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Commentary

石破茂新政権の成立と日中・日台関係
本格始動に至るまでの課題と関門

川島真
東京大学大学院総合文化研究科教授
国際関係
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石破政権にとって、長きにわたった清和会中心の自民党政治からの脱却は容易なことではない。まずは岸田政権の積み残した諸課題に着実に取り組みつつ、本格始動に備えることになるだろう。写真はラオスのビエンチャンで会談前に握手する石破首相(左)と李強首相。2024年10月10日(共同通信社)
石破政権にとって、長きにわたった清和会中心の自民党政治からの脱却は容易なことではない。まずは岸田政権の積み残した諸課題に着実に取り組みつつ、本格始動に備えることになるだろう。写真はラオスのビエンチャンで会談前に握手する石破首相(左)と李強首相。2024年10月10日(共同通信社)

日本で石破茂新政権が発足した。自民党総裁選では、高市早苗候補を抑えての勝利だった。岸田文雄前首相は、自らの政策を継承する候補者を支持するといい、最後に石破候補を支持した。これにより、岸田前首相は、自らの政権を支えてきた、麻生太郎、茂木敏充らと袂(たもと)を分かつことになった。麻生、茂木は、高市候補を支持していた。

党内「政権交代」としての石破政権誕生

石破政権の成立は、ある意味で自民党内の政権交代をも意味していた。2000年の森喜朗政権以来、民主党政権の時期はのぞいて基本的に清和政策研究会(旧安倍派、以下清和会)の政治家の政権、あるいは清和会が支持した政治家の政権が続いてきた。麻生、茂木が支持した岸田政権も、安倍派の一定の支持があってこそ自民党内で多数派を形成できた。しかし、岸田政権の下で安倍晋三元総理が他界し、政治資金をめぐる問題で清和会は窮地に陥った。今回の総裁選挙では、清和会は身動きが取れない状態になり、結局、日本会議などの関係者をはじめ保守派が高市候補を支持したものの、岸田総理、菅義偉元総理が石破候補を支持して、石破政権が誕生した。「派閥」は解消されたとされているが、政治家のグループは残されていることに鑑(かんが)みれば、これは「清和会(系)政権」からの政権交代が起きたということだ。

それを印象付けたことは、石破政権による村上誠一郎議員の総務大臣起用だ。村上は、安倍政権時代にその特定秘密保護法や安保法制などについて政権に反対し、「安倍晋三は国賊」などと述べて一年の役職停止処分になり、安倍派から強く排撃された人物である。清和会系政権が長期間続いたことは、既得権益層が形成されていたことも意味する。石破政権の成立は、この既得権益層への反発への狼煙(のろし)が上がった事件だと見ることもできる。だが、石破政権がどれほど継続するかについては、さまざまな見方がある。

日中関係「正常化」の基調と戦略的互恵関係

石破政権の誕生は日中関係にどのような意味を持つのか。清和会は元々保守的な派閥であり、台湾との関係も強固に保ってきた。しかし、2012年に成立した第二次安倍政権は、特に2014年から日中関係の正常化を進めた。同年のうちに「四項目合意」に基づいて首脳会談を実現し、2018年5月に習近平国家主席と安倍総理との電話会談が実現し、同月には李克強首相が来日し、同年10月には安倍総理が中国を公式訪問し、関係の正常化が内外に印象付けられた。

他方、国際派の宏池会政権であったはずの岸田政権も、日中関係改善に意欲を見せ、「建設的かつ安定的な関係」といった中国側と共有する言葉も創出し、また日中関係を「戦略的互恵関係」へと位置付け直すところまではできたが、その内容は依然不分明であり、関係性に大きな進展は見られなかった。

米中「競争」関係があり、またウクライナ戦争で国際関係が緊張する中で、岸田政権はアメリカや他の先進国との共同歩調を強化した。だがアメリカ自身がそうしているように、対中抑止力を高めるためには軍事安全保障能力を高め、同盟国・同志国間の連携を強化するとともに、中国との対話を継続していくことが必要になる。だが、岸田政権はアメリカほどに中国との首脳交流、閣僚交流の実績を積み上げられなかった。議院内閣制の日本では首相はもちろん、閣僚も実質的にほぼ全てが選挙で選ばれる国会議員であるがために、「親中」というレッテルを貼られることを恐れ、中国との接触それ自体に抑制的になったと考えられる。

石破茂政権の成立と日中関係

石破政権が成立すると習国家主席は祝電を送った。そこでは「一衣帯水」(両国が極めて近接していることのたとえ)などといった日中関係を好意的に見る言葉が盛り込まれた。だが、中国国防部は石破首相の持論であるアジア版NATO(北大西洋条約機構)などには強く反発している。ただ、石破首相は所信表明演説でアジア版NATOなどには言及していない。

石破首相は、その所信表明演説において、中国について次のように述べた。「中国に対しては、「戦略的互恵関係」を包括的に推進し、あらゆるレベルでの意思疎通を重ねてまいります。一方、中国は、東シナ海や南シナ海における力による一方的な現状変更の試みを、日々、強化しております」。また「我が国として主張すべきは主張し、責任ある行動を強く求めつつ、諸懸案を含め対話を行い、共通の諸課題については協力する、「建設的かつ安定的な関係」を日中双方の努力で構築していきます」。これらの言葉は、基本的に岸田政権と同じである。つまり岸田政権の対中政策を継承すると述べたのである。これは後述するように、岸田政権の積み残した外交課題もそのまま継承することを意味する。なお、石破総理は「先月には、幼い日本人の子供が暴漢に襲われ、尊い命を失うという痛ましい事件が起きました。これは断じて看過しがたいことです」とも述べたが、これは中国に対して意見を言うべき時にははっきり言う、ということを示そうとしたものと思われる。

中国側はこの所信表明演説の内容を好意的に受け止めているようである。たとえアジア版NATOを持論にしていても、靖国神社参拝を公約した高市候補よりも良いと思われたのかもしれないし、台湾の民進党政権との関係性が強い清和会と距離をとっていることが好意的に受け止められたのかもしれない。

日中首脳間の電話会談と石破−李強会談

前述のように、2018年5月習国家主席と安倍総理との電話会談が行われたが、これは最初の中国の国家主席と日本の首相との電話会談だった。また、この直後に李克強首相が来日したことからも、この電話会談が中国国内における対日関係「改善」へのゴーサインであったと見られる。

その後、菅義偉政権、岸田政権が成立した時にも、習国家主席からの祝電だけではなく、電話会談が行われてきた。中国では、少なくとも表面的には、日中関係改善のシグナルが点灯し続けているとも言える。しかし、目下のところ、石破総理に対しては習国家主席からの祝電は打たれていても、電話会談は行われていないようだ。これは中国の関係改善シグナルが止まったということなのか、目下のところわからない。

だが、10月10日、ラオスにて石破総理と李強首相との間の首脳会談が実現した。そこでは改めて「戦略的互恵関係」、「建設的かつ安定的な関係」といった言葉が再確認された。だが、それ以外の会談内容については日中双方の公表内容に相違がある。日本側は深圳や蘇州の事件、また中国の海洋進出などについての懸念を表明していたとしているが、中国側のそれには見られない。また、中国側の記録では石破首相が日本にはデカップリングの意図はないと述べたことになっているし、台湾問題について日中共同声明で述べた立場を堅持するとも述べたことになっているが、日本側の公表記録にはそれがない。いずれにせよ、岸田政権までの対中政策が継承されており、また「戦略的互恵関係」とはいっても具体的にどのような内容をそこに盛り込むのかという岸田政権の課題もまた同様に継承されたということになる。

日本外務省の記録では、「引き続き首脳レベルを含むあらゆるレベルで重層的に意思疎通を重ねていく」ことを両首脳が確認したという。回復した日中戦略対話などの事務レベルだけでなく、自民党幹事長となった森山裕議員を中心とした日中議連による議員交流が進む可能性もある。しかしながら、深圳の事件などの影響もあり、日本社会が中国に向ける視線は以前にまして極めて厳しくなっており、選挙を控える石破新政権の中国との関わり方には相当な慎重さが求められるであろう。

台湾の頼清徳政権の課題

石破政権の成立によって戸惑っているのは台湾の頼清徳政権ではないだろうか。台湾の民進党政権、とりわけ頼総統自身、副総統時代から特に清和会系の政治家との関係を重視してきた。安倍元総理との関係も深く、奈良での銃撃事件に際しては副総統でありながらただちに来日し、安倍家を訪れている。その後も、萩生田光一議員ら清和会系の政治家との関係を深めた。無論、総裁選以前に石破議員が台湾を訪問しているように、数多くの自民党の議員が台湾を訪問して、当時の蔡英文総統や頼副総統と会見している。しかし、頼総統周辺と清和会系とのつながりは、超党派の議員連盟である日華懇(日華議員懇談会)よりも強い状態にあったと考えられる。ところが、清和会系の政治家に政治資金問題が発生してから状況が変わり、今回の石破政権では頼総統の「友人たち」の顔ぶれはほとんど見られないのではないか。

自民党の特定派閥、あるいは議員グループとの関係に依存した日台関係の脆弱(ぜいじゃく)性はつとに指摘されてきた問題である。行政レベルの、それも高レベルの継続性のある制度に基づく関係性、また軍事安全保障、経済安保に限定されない広範な領域の行政対話の制度化実現など、日台関係にはまだまだ多くの課題がある。民間どうしの交流が極めて活発なだけに、政治、行政レベルの日台関係の再構築が急務だ。これもまた石破政権の課題になる。

だが、石破新政権の外交ビジョンに「台湾」がどれほどの位置を占めているのか不明だ。安倍政権には台湾政策のビジョンがあったし、菅政権は台湾とのワクチン協力を実施し日台間の信頼関係を深めた。だが、岸田政権の時期には、日台議員交流も活発で、ウクライナ戦争後に「台湾有事論」はじめ多くの議論が巻き起こり、同盟国、同志国の間で「台湾海峡の平和と安定」という言葉が一層重視されるようにはなったものの、日台政府間関係それ自体に大きな進展があったというわけではない。果たして石破新政権に台湾との関係に関する絵が描かれているのだろうか。

石破茂政権にとっての「三つの関門」

ただ、石破政権が本格的に始動し、その外交政策の輪郭が浮かび上がるのには少し時間がかかりそうだ。11月のアメリカ大統領選の結果次第では日米関係の再調整が必要になるし、総裁選で敗れた勢力の巻き返しも十分に考えられる。また、そもそも石破政権が本格的に始動するには三つの関門を無事にくぐり抜けねばならないと思われる。その第一は10月末の衆議院選挙であり、第二は2025年1月の通常国会での議論、そして第三に2025年夏の参議院選挙だ。どのラインが「合格点」なのかは今後定まろうが、この三つの関門を通過することができれば、本格始動に至ることになる。そもそもそれが可能なのか。またそれが可能であるとするならば、その過程でどのような対中、対台湾政策を含む対外政策が形成されるのか。

長きにわたった清和会中心の自民党政治からの脱却は容易なことではない。何を継承し、何を修正、転換していくのか。まずは岸田政権の積み残した諸課題に着実に取り組みつつ、三つの関門をくぐり抜け、本格始動に備えることになるのであろう。

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