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Commentary

香港ポップスの歌詞が描き出す「東京」の表象
林夕・黄偉文・陳少琪のヒットソングに共通するもの

銭俊華
東京大学大学院総合文化研究科博士課程
社会・文化
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香港のポピュラーソングは、いつも香港人のそばにある。その歌の世界に「東京」もしばしば現れる(写真:PIXTA)
香港のポピュラーソングは、いつも香港人のそばにある。その歌の世界に「東京」もしばしば現れる(写真:PIXTA)

 また、「旅」の1つの経由地を象徴する「東京」は、林夕の「如果東京不快樂」(2000年)と黃偉文の「桃色冒險」(2010年)によって描かれる。前者では「東京」に加えてパリ、イギリス、アイスランド、札幌、北極、砂漠、天国、後者では宇宙、戦国、四川、北アフリカ、カブールを縦横無尽に駆けめぐっている。

 「如果東京不快樂」では、旅を恋の旅に喩える。旅の途中で見た風景は持ち帰ることができないが、思い出は残り、また次の旅も待っている。したがって、「たとえ東京が楽しくな」くても、「私はイギリス〔の風景〕を持ち帰り部屋に飾りたい」というのである。

 このようなロマンチックな象徴である「東京」に対し、「桃色冒險」では「東京」は、「艶めいた冒険」の一場面として描かれる。語り手は「赤い着物を着て、空を舞う霜と雪に白く染められながら出発し/そして〔東京〕タワーに降り」ド派手に登場する。「この瞬間、新宿御苑にいて/あなたのことを聞くと四川まで跳んでいく/新たな冒険へ」と元恋人から逃れ、新しい恋を始める。視点や観光スポットによって、「東京」はロマンチックなだけでなく、刺激的な恋の旅の舞台となることができたのである。

格差を問いかける「曼谷瑪利亞」、地元を振り返らせる「東涌日和

 「旅」をめぐって「東京」という表象を使う歌詞で、筆者が好きな作品は、黃偉文の「曼谷瑪利亞」(2003年)と陳少琪の「東涌日和」(2003年)である。

 「曼谷瑪利亞」では、「僕」はバンコクの風俗街で働くマリアと、同い年のガールフレンドのマリアの異同を考える。「同じ名前のマリアで/同じくマリアを信じる/同じく満腹を得て毎日ネイルや買い物をするのか/なぜ1人はバンコクに沈む半生を過ごす運命で/もう1人はただちに東京に飛んでぜいたくを買い漁るのか」とのフレーズでは、新興国出身の女性観光客が東京で消費文化を楽しむ一方で、途上国出身の女性はバンコクで観光客に体を売らざるを得ない現実を比較し、その格差を問いかける。ここでの「東京」は、先述した「東京百貨」と同じく消費文化の象徴であるが、「恋バナ」を超えて他国の不幸な女性(あるいは広い意味での「他人」)に関心を寄せ、自らの幸運や他人への無関心を香港人に反省させる装置になる。「東京」とは無関係な話だが、バンコクのマリアに対し「愛を分け与える」という「僕」の行動には、純粋な関心かそれともサービスの購入か、想像が広がる。後者の場合、今まで香港人がバンコクを訪れた際、マリアのような女性の立場にどれだけ加担していたかという疑問が浮かび上がるだろう。

 陳少琪の「東涌日和」は、普通のラブソングであり、「恋バナ」のレベルにとどまるが、歌詞での「東京」は、恋愛の舞台やブランドとしてロマンを引き立てるものではない。「僕は君とともに花の都〔東京〕に行けず/心斎橋を散歩するためのお金もない」。しかし、香港の電車で(しかも香港では基本的に各駅停車しかない)君と「窓の外の宇宙を眺め」、「旺角から楽富まで/一瞬で将軍澳まで突き進む」ことができる。つまり、「僕」と「君」は、香港の西側のニュータウンの東涌から出発し、東側のニュータウン将軍澳まで遊びに行くことで満足している。東京、大阪、おしゃれな尖沙咀やセントラルなど香港の中心地に行けなくても、2人が一緒にいれば十分と歌われている。まさに、「東京の風景がないが/東涌の風景を独占するくらいはできる」ということである。ぜいたくな海外旅行よりも、地元の風景を楽しんで地味でいいのではないか。この作品は香港人に地元を振り返らせるものである。

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