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Commentary

香港ポップスの歌詞が描き出す「東京」の表象
林夕・黄偉文・陳少琪のヒットソングに共通するもの

銭俊華
東京大学大学院総合文化研究科博士課程
社会・文化
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香港のポピュラーソングは、いつも香港人のそばにある。その歌の世界に「東京」もしばしば現れる(写真:PIXTA)
香港のポピュラーソングは、いつも香港人のそばにある。その歌の世界に「東京」もしばしば現れる(写真:PIXTA)

 片思いするとき、失恋するとき、卒業するとき、家族を思い出すとき、そして、社会に怒りを覚えるとき、抗議デモで何かの理想を追求するとき……。

 香港のポピュラーソングはいつも香港人のそばにいた。1970年代から流行し始めた、広東語で歌われる数々の香港ポップス。一度も聴いたことのない日本人がいても全然おかしくないが、日本のカバー曲をはじめ、日本でのデビュー、ミュージックビデオのロケ地など、「日本」は香港ポップスにとって欠かせない要素である。

 歌詞の細部にも「日本」がときどき現れる。その中で目立つのは「東京」である。この文章では、しばしば「東京」を題材にする作詞家・林夕、黄偉文、および陳少琪の作品を取り上げて論じてみる。コロナ禍明けと円安の影響で、東京の繁華街や観光スポットでは再び香港人観光客の姿がよく見られるようになった。彼らが以前から持っている東京に対するイメージをポップスをつうじて知ることで、彼らや香港に対する新たな理解や発見が生まれるかもしれない。もちろん、外国人が日本の中心地である東京をどのように感じているかを知ることは、日本の読者にとって自国を理解するうえでも有益だろう。

渋谷を舞台に失恋物語が展開される「東京百貨」

 3人の作詞家が東京を舞台にしたり、東京の要素を利用したりする背景は、言うまでもなく旅行にある。土地面積が東京の半分しかない香港では、東京から大阪へのような「国内旅行」は存在しない。香港を離れる際には「出国」手続きが必要になる。2007年から2016年までの期間では、香港人は年間平均11.4回もの海外旅行をしたといわれている(注1)。

 中でも、日本は人気の旅先である。以下に取り上げる作品が生まれた1990年代後半から2000年代までの期間では、香港からの訪日観光客数は年間6万人程度から50万人程度にまで増加した。2005年の例をあげると、人口に対する訪日観光客の割合は、台湾(5%)に次いで香港(3.9%)が第2位。韓国(2.5%)、米国(0.16%)、中国(0.015%)を上回っており、香港人が日本への旅行をどれだけ好んでいるかがうかがえる(注2)。

 このように日本がますます魅力的に映る香港人は、最もよく訪れる日本の首都・東京に対してどのようなイメージを抱いているのか、香港ポップスの歌詞から探ってみよう。

 陳少琪が書いた「東京百貨」(2007年)では、渋谷という「ヒット商品の森」を舞台にして失恋物語が展開された。行列のできるレストランは「私」と「あなた」の出会った場所であり、消えた窓の明かりは「私」の今の寂しさを象徴している。「恋愛は試着のようなもので/選ぶことこそが幸せなのだ」というフレーズでは、相手を手に入れるよりも、その過程が喜びだったと「私」が自らを慰めているのかもしれないが、同時に、自分はまさに「試着」された服のような存在だったという悲しい解釈もできる。いずれにせよ、歌詞が言う「世界中心」である東京で行われた消費行動を失恋物語に喩(たと)え、それに共感することは、購買力が高く消費文化を謳歌している香港人の心性の一部を示唆している。

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