トップ 政治 国際関係 経済 社会・文化 連載

Commentary

マレーシアへ脱出する中国の回族
信仰の自由を求めた先の苦悩

松本ますみ
室蘭工業大学名誉教授
社会・文化
印刷する
マレーシアには近年、イスラーム信仰や教育の自由を求めて移住する中国の回族が増えている。写真はクアラルンプールの寧夏レストラン。(著者撮影)
マレーシアには近年、イスラーム信仰や教育の自由を求めて移住する中国の回族が増えている。写真はクアラルンプールの寧夏レストラン。(著者撮影)

 ところが、中国当局からの圧力を受けて、結局ネットラジオ局は停止せざるを得なくなった。それ以降、信仰に関する文章も怖くて発表できない。現在はラーメン店を経営して糊口(ここう)をしのぎつつ、匿名でWeChatに暗に政権批判や現代社会の精神的貧困を嘆く論評、随筆や詩を投稿している。投稿に信仰関係の敏感ワードはない。「何でも書けるなら、いくらでも書きたいものがある。でも、中国のきょうだい、親戚、友人のことを考えると勇気が出ない。自己表現できる優秀さには勇気を伴う。今でも宣教したいし、やりたいこともあるが、敏感すぎてできない。今はただの回回の老太太(ムスリムのおばあちゃん)になってしまった」と自嘲気味に語る彼女に往年の輝きを見出すことは難しい。

 「信仰を広める」という希望があった彼女だが、身はマレーシアという安全圏にあっても、漢語でイスラームについて表現する限り当局の監視や圧力から自由でない。年齢的な問題もあり、彼女はマレー語も英語もアラビア語も堪能(たんのう)になれなかった。そして、現在のKLには、改革開放直後の中国のジャマ―アにあった温かい回族ネットワークは作りにくい。回族の組織やモスクもない。中国政府からの監視・圧力や密告を恐れて回族自身が疑心暗鬼となり、逼塞(ひっそく)している。その結果、彼女もKLの回族社会で梯子を外されたような形となった。

KLのラーメン店(筆者撮影)
KLのラーメン店(筆者撮影)

Bさんのケース

 Bさんは1975年青海省西寧生まれ。浙江省義烏(前述)で彼女がムスリム向け幼稚園経営をしていた2009年末、筆者は義烏で彼女に会っている。今回はKLでの思わぬ再会であった。彼女はSg幼稚園という義烏時代と同じ名称の幼稚園をKLで経営している。

 彼女は寧夏大学のアラビア語専攻(1999-2003)で学び、その合間に、寧夏の小鎮である韋州で草の根女学の教師をしていた。卒業後、義烏に出て、アラビア語通訳や会社経営をしていたが、やはり教育が大事と 2007年にSg幼稚園を開いて、教育局の認可もとった。

 当時は24カ国と中国各地のムスリムの子どもを 7-80人預かっていた。武術、イスラーム的生活様式やアラビア語の基礎を教えた。教育機関でアラビア語に触れられるのは幼稚園だけであった。

 当時は成功した幼稚園経営者としてメディアからの取材も多く、幼稚園の認可証も毎年更新されていたが、同じ回族通訳や起業家からの嫉妬や陰口は多かった。やはり習近平政権以降様子が変わった。衛生、消防設備、経理がどうのと30部門ぐらいの役所部門が来て因縁をつけられ、ずいぶん改築にお金を使わされたあげく、幼稚園は閉鎖となった。Bさんは仲介業者に頼んで、出国。2017年9月に国際イスラーム大学のアラビア語・宗教専攻に入学した。40歳を過ぎていた。一種の亡命である。

 2020年7月にKLで建物を借り、借金して、Sg幼稚園を再開した。園児や保育士、従業員にはパレスチナ人やソマリア人難民、ロシア人難民もいる。

 彼女は敬虔(けいけん)で、英語もアラビア語も堪能で人一倍勇気も能力もあり、人望もある。ソマリア難民の従業員とはアラビア語で話す。彼女はいう。「マレーシアでは信仰は自由。幸福感、安全感、帰属感がある。中国は愛せるが、党は愛せない」。

 中国ではアラビア語はもちろん、英語まで教えなくなって、習近平思想の「洗脳」教育が進んでいることを彼女は憂いている。かつて彼女が中国で切り開いたイスラーム教育の道は頓挫したが、KLで再開できた。彼女は、将来的に娘の進学に合わせ、オーストラリアかアメリカに渡り、同じようなムスリム幼稚園の開園を夢見ている。

1 2 3 4

Copyright© Institute of Social Science, The University of Tokyo. All rights reserved.