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Commentary

マレーシアへ脱出する中国の回族
信仰の自由を求めた先の苦悩

松本ますみ
室蘭工業大学名誉教授
社会・文化
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マレーシアには近年、イスラーム信仰や教育の自由を求めて移住する中国の回族が増えている。写真はクアラルンプールの寧夏レストラン。(著者撮影)
マレーシアには近年、イスラーム信仰や教育の自由を求めて移住する中国の回族が増えている。写真はクアラルンプールの寧夏レストラン。(著者撮影)

 マレーシアには中国回族が数千人住んでいるといわれている。正式な統計はない。2000年代から留学やビジネスなどで徐々に増え始めた。仕事のうち80%ぐらいはレストラン経営、特にラーメン店(豚肉を使わない、日本では蘭州ラーメンとして知られている麺類)はすでに100軒以上はあるという。その他、IT関連業、運送業、ファッション取引業、教育仲介業などさまざまだ。中国と行き来を繰り返している人が多いが長期滞在ヴィザでほぼ移民状態の人もいる。子どもを国際学校にやっている保護者も多い。なぜマレーシアなのか?

 結論から先にいえば、彼ら/彼女らはイスラーム信仰や教育の自由を求めてマレーシアに来ている。マレーシアは人口の約6割がマレー人で、ムスリム多数派の国家である。

 かたや中国では、2015年から「宗教中国化」の方針が出て、宗教への介入が激しくなった。モスクは中国風に「改築」され、街頭やハラール食品の包装のアラビア語文字は強制的に消された。18歳以下の子どもはモスクに立ち入り禁止である。かつてはアラビア風の様式で中国一ともいわれる威容を誇った雲南の沙甸(さでん)モスクも、今年(2024年)中国風に「改造」された。「中華民族の大復興」へ向けたイデオロギー統一のイスラーム版「完成」であった。建国(1949年)当初、中国共産党は「回民」と呼ばれるイスラーム信仰を持つ人々を「回族」と民族認定した。「宗教中国化」はその回族のアイデンティティの根幹を揺るがしつつある。

イスラーム復興、女学、そして世俗化の波

 回族は人口1000万、チワン族につぐ人口を持つ「少数民族」である。西北に多いが、中国全国に暮らし、漢語を母語とする。外見も漢族とあまり変わらない。マルクス主義は将来的に宗教消滅を目指す。中国共産党政権にとって、宗教が社会で力を持つことはイデオロギーの正統性と体制の凝集力を揺るがす。文革期はモスクを破壊し、宗教書を焚書(ふんしょ)し、宗教指導者を打倒し、宗教学校を閉鎖し、民衆には強制養豚までさせた。信仰深い人々にとっては筆舌に尽くしがたい屈辱でハラスメントだった。

 イスラーム信仰がなければ、回族は漢族に同化されてしまう。それでは、文革の暴力を是認することになる。正直、謙虚、誠信、信頼、平和、清潔をモットーとする先祖伝来の人間らしい生き方をも捨てることになる。そのような危機感のもと、改革開放後、1980年代初頭から中国各地のイスラーム共同体(ジャマ―ア)では、モスクが再建され、人々が礼拝に集まり、宗教学校が作られ、宗教関連書籍が続々と出版された。同時に女性の宗教学校(女学、女校)も作られていった。これら一連の現象は世界的イスラーム復興の一部だった。

 女学は多くモスク付属で、学費は低廉か無料。非識字か半識字の女性を集め、漢語とアラビア語、イスラーム教義を教え、ヒジャブが制服であった。保護者は公立学校の無神論のカリキュラムや漢化を恐れていた。

 女学では「賢妻良母」を謳(うた)っていた。日本でいう「良妻賢母」であるが、文脈は少し違う。女性が母となれば、家庭でイスラーム的倫理を教える最適の存在になる。宗教知識のある妻を夫は尊重し、妻/母は家庭やジャマ―アの精神的支柱となるという解釈で、一種のイスラーム的人権教育だった。ジャマ―アと宗教的エスニシティ回族の再生を女性に託していたともいえる。

 中国政府にとって女学はナショナリズムや無神論の優越、共産党の支配の正当性といったカリキュラム支配が及ばぬ空白地帯であった。また、非識字、半識字者の存在は大国を目指す中国政府の面子にもかかわった。そこで中国政府は9年間の義務教育を2005年から開始した。保護者にも脱貧困のため普通教育は重要だということが周知され、統計上はほぼ100%の子どもが男女共学の公立学校に通うようになった。世俗主義への地ならしだった。

 女学は、識字学校としての役割を2010年代初には実質的に終えた。が、イスラーム学習、アラビア語学習のニーズが廃れたわけではない。初中(日本の中学校に相当)卒で入る女学は存在したし、公立学校の放課後や長期休暇中のイスラーム学習は各地で続いていた。

 そこに2015年以来の宗教中国化の動きである。習近平思想でアレンジされた宗教解釈しか許されなくなり、イスラーム文献はおろか、宗教関係の書籍は図書館や書店からほぼ消えた。一方で、経済的成長は辺境の回族にも及び、子どもの数は少なくなり、子どもは宗教の内容を理解しないまま競争に邁進(まいしん)し上位大学を目指し、都市で働くようになった。

なぜマレーシアなのか?

 2000年代、筆者が各地の複数の女学でアンケート調査を行った時、女学の生徒のあこがれの留学先で断トツ1位がマレーシアであった。人気の理由は、第1に、イスラーム国家で信教の自由が守られていること、第2に、華人が多く、漢語も英語も通じること、第3に、距離的に近いこと、第4に、政情や治安や物価が安定していること、第5にアラビア語やイスラームを学べる国際イスラーム大学マレーシアが存在することなどが挙げられた。

 2000年代にはすでにマレーシア留学を終えて帰国し中国国内のイスラーム学校で教えたり、浙江省の義烏(ぎう:世界的な日用品取引の拠点)などで商売やアラビア語通訳をしたりする人々が出ていた。信仰の深さが経済的豊かさとリンクしていた。しかし、宗教の中国化が定着する2016年あたりから、マレーシアに留まるか、別のイスラーム国家か欧米に渡る、というトレンドができた。夫は仕事で中国とマレーシアを行き来するが、妻と子はマレーシアに留まる、というケースも出てきた。

 マレーシア留学ブームは江沢民、胡錦涛政権下のイスラーム復興の一環であった。その時代は今から考えれば比較的宗教管理が緩かった。が、習近平政権の回答は「宗教中国化」という厳格な管理であった。「文革2.0」とも称される所以である。その結果、信仰の自由とイデオロギーからの自由を求めて留学生とマレーシア滞在者の数が増えていった。

Aさんのケース

 2024年7月に筆者がクアラルンプール(以下、KL)で話を聞いた女学関係の二人の女性について述べてみよう。

 Aさんは1963年生まれ。現在、KLでラーメン店を経営している。2000年にKLにやってきた。彼女は、1990年代末に3年間甘粛省臨夏の臨夏中阿女校(私立)という中等専門学校(実業高校に相当)レベルの最高峰の女学で『穆斯林(ムスリム)婦女』という機関紙の編集を行っていた。

 彼女は大学まで世俗教育を受け、陝西省のある都市で公務員をしていたが(1982-97)、無神論と信仰の間で懊悩(おうのう)し、信仰内容を学ぶべく臨夏中阿女学に入学した。年下の学生に漢語を教え機関紙編集もしながら働く勤労学生であった。当時、彼女はこう書いていた。「人間はみな宇宙の原理を求めてやまない。私が見つけたのはかつて無視していたイスラームだった。魂が安定し心が休まる哲理がそこにあった…ムスリム女性も神聖なる宣教事業を行うことができるのだ」と。

 ここでいう宣教事業とは、キリスト教のように異教徒に対する宣教でない。無神論の社会で存在の意味を見出せない回族にイスラームを再発見してもらう行為のことだ。彼女はその後溢(あふ)れる才気を生かし、宗教倫理を学び伝えるという大志を抱いてKLにやってきた。まず、華人ムスリムの団体で、漢語で信仰内容を教えた。その後手広く商売をした後、KLでX電台という華人ムスリム・回族向けの漢語ネットラジオ局を主催した(2012~16年)。企画、取材、構成、MCすべてこなし、いろんな人をゲストに呼んでいた。中には、中国の思想状況や宗教政策に批判的な中国出身の大物知識人も出演したりして、リスナーに人気であった。彼女の漢語で「イスラームを宣教する」という当初の望みは着々と進んでいるように思えた。

 ところが、中国当局からの圧力を受けて、結局ネットラジオ局は停止せざるを得なくなった。それ以降、信仰に関する文章も怖くて発表できない。現在はラーメン店を経営して糊口(ここう)をしのぎつつ、匿名でWeChatに暗に政権批判や現代社会の精神的貧困を嘆く論評、随筆や詩を投稿している。投稿に信仰関係の敏感ワードはない。「何でも書けるなら、いくらでも書きたいものがある。でも、中国のきょうだい、親戚、友人のことを考えると勇気が出ない。自己表現できる優秀さには勇気を伴う。今でも宣教したいし、やりたいこともあるが、敏感すぎてできない。今はただの回回の老太太(ムスリムのおばあちゃん)になってしまった」と自嘲気味に語る彼女に往年の輝きを見出すことは難しい。

 「信仰を広める」という希望があった彼女だが、身はマレーシアという安全圏にあっても、漢語でイスラームについて表現する限り当局の監視や圧力から自由でない。年齢的な問題もあり、彼女はマレー語も英語もアラビア語も堪能(たんのう)になれなかった。そして、現在のKLには、改革開放直後の中国のジャマ―アにあった温かい回族ネットワークは作りにくい。回族の組織やモスクもない。中国政府からの監視・圧力や密告を恐れて回族自身が疑心暗鬼となり、逼塞(ひっそく)している。その結果、彼女もKLの回族社会で梯子を外されたような形となった。

KLのラーメン店(筆者撮影)
KLのラーメン店(筆者撮影)

Bさんのケース

 Bさんは1975年青海省西寧生まれ。浙江省義烏(前述)で彼女がムスリム向け幼稚園経営をしていた2009年末、筆者は義烏で彼女に会っている。今回はKLでの思わぬ再会であった。彼女はSg幼稚園という義烏時代と同じ名称の幼稚園をKLで経営している。

 彼女は寧夏大学のアラビア語専攻(1999-2003)で学び、その合間に、寧夏の小鎮である韋州で草の根女学の教師をしていた。卒業後、義烏に出て、アラビア語通訳や会社経営をしていたが、やはり教育が大事と 2007年にSg幼稚園を開いて、教育局の認可もとった。

 当時は24カ国と中国各地のムスリムの子どもを 7-80人預かっていた。武術、イスラーム的生活様式やアラビア語の基礎を教えた。教育機関でアラビア語に触れられるのは幼稚園だけであった。

 当時は成功した幼稚園経営者としてメディアからの取材も多く、幼稚園の認可証も毎年更新されていたが、同じ回族通訳や起業家からの嫉妬や陰口は多かった。やはり習近平政権以降様子が変わった。衛生、消防設備、経理がどうのと30部門ぐらいの役所部門が来て因縁をつけられ、ずいぶん改築にお金を使わされたあげく、幼稚園は閉鎖となった。Bさんは仲介業者に頼んで、出国。2017年9月に国際イスラーム大学のアラビア語・宗教専攻に入学した。40歳を過ぎていた。一種の亡命である。

 2020年7月にKLで建物を借り、借金して、Sg幼稚園を再開した。園児や保育士、従業員にはパレスチナ人やソマリア人難民、ロシア人難民もいる。

 彼女は敬虔(けいけん)で、英語もアラビア語も堪能で人一倍勇気も能力もあり、人望もある。ソマリア難民の従業員とはアラビア語で話す。彼女はいう。「マレーシアでは信仰は自由。幸福感、安全感、帰属感がある。中国は愛せるが、党は愛せない」。

 中国ではアラビア語はもちろん、英語まで教えなくなって、習近平思想の「洗脳」教育が進んでいることを彼女は憂いている。かつて彼女が中国で切り開いたイスラーム教育の道は頓挫したが、KLで再開できた。彼女は、将来的に娘の進学に合わせ、オーストラリアかアメリカに渡り、同じようなムスリム幼稚園の開園を夢見ている。

彼ら/彼女らの安住の地はどこに?

 「マレーシアは中国の影響が大きいので完全に自由な言動はできない。ウイグル人が強制収容所に入れられたので、みな非常に恐れている」と、KL在住のある回族知識人はいう。「清末(しんまつ:19世紀末から20世紀初めの中国)の状況と同じ。歴史上同様のことが起こった。しかし、回民は圧力があろうと1000年以上生きながらえた。回民が回民であるため知識人の役割は大きい。ただリスクがあり、それを担える人は少ないし、周囲の人も協力を躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ない。今は様子見だ」。

 別のYouTuberの回族女性はいう。「KLの回族は、組織化せず、名簿も作らず、一人でやる。レトリックで婉曲(えんきょく)的に表現するしかない。直接的な表現はできない」。

 「出る杭」は打たれ、表現の自由を奪われたAさん。義烏で苦労して作った幼稚園が嫌がらせを受け閉鎖を余儀なくされ、KLで再建したBさん。どちらも改革開放期のイスラーム女子教育のパイオニアで、宗教振興の高い理想を掲げていた。しかし、彼女たちも時代の制約からは自由ではなかった。中国のイスラーム界は現在打撃を受け沈黙している。KL在住の回族もきょうだいや親戚を中国に残し、中国とビジネスをしているので、目立つことを極力避け沈黙する。

 KLにはAさんやBさんのように信仰の自由を求めたある種の亡命者もいれば、子どもに中国共産党下の教育は受けさせたくないという教育難民もいる。そして、後者は回族だけでなく漢族にも多い。そして皮肉にも子どものイスラーム教育は、「家庭で教える」という人が多い。結局、マレー語を重視せず漢語か英語だけで生活しようとすると、国境移動の原動力だった信仰は結局二次的になるというジレンマがある。彼らの悩みはどこにいっても解決しそうにない。しばらくは時機を窺い、KLで羽休めということだろう。

KLのインターナショナルスクール(筆者撮影)
KLのインターナショナルスクール(筆者撮影)

 かつて、筆者が2000年代に義烏の敬虔(けいけん)なムスリム起業家に子どもの将来の進学先について訊いた時に、「優秀だったら北京大学か清華大学、そうでなかったらマレーシアかエジプト留学」と答えていたのが印象的だった。彼らの心配事は、中国国内の大学で信仰を保つのが難しいことと、子どもが万一漢族と結婚すれば信仰から離れることだった。そして国内の一流大学進学希望の傾向が示すのは、次世代の選択肢を増やすという名目で、世俗化への方向性を彼ら/彼女たち自身が選び取っているということだった。

 あれから20年たった。中国のイスラーム復興にかつての勢いはない。少子化、高学歴化、中国の高度経済発展と生活水準の底上げ、さらには上からの宗教中国化と世俗化の波がある。これは習近平政権が譲れないところだろう。また、信仰の自由を求めて移住したマレーシアが楽園というわけでもない。彼らはマレー語がわからないので華人ムスリムと繋がろうとする。しかし華人ムスリムにとっては、中国は祖先の地。憧憬(しょうけい)の対象で、ビジネスチャンスもある。そこに中国の宗教政策の実態を知る回族と華人ムスリムの間に微妙な認識のずれが生じる。

 そういえば「日本にイスラーム大学があればみな留学するのに」という話はよく聞いた。先進国で漢字を使い、信教の自由がある日本がブルーオーシャンに見えるらしい。

 

参考文献

松本ますみ2010『イスラームへの回帰:中国のムスリマたち』山川出版社

中国ムスリム研究会編2012『中国のムスリムを知るための60章』明石書店

奈良雅史2016『現代中国の<イスラーム運動>:生きにくさを生きる回族の民族誌』風響社

澤井充生2019『現代中国における「イスラーム復興」の民族誌:変貌するジャマ―アの伝統秩序と民族自治』明石書店

(本論は、科学研究費補助金 基盤研究(B)(一般)「21世紀中華系ディアスポラのアイデンティティとコミュニティ再構築に関する総合的研究」 研究代表者 松本ますみ 課題番号 2 4 K 0 0 3 25の研究成果の一部である)

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