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Commentary

マレーシアへ脱出する中国の回族
信仰の自由を求めた先の苦悩

松本ますみ
室蘭工業大学名誉教授
社会・文化
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マレーシアには近年、イスラーム信仰や教育の自由を求めて移住する中国の回族が増えている。写真はクアラルンプールの寧夏レストラン。(著者撮影)
マレーシアには近年、イスラーム信仰や教育の自由を求めて移住する中国の回族が増えている。写真はクアラルンプールの寧夏レストラン。(著者撮影)

 女学は、識字学校としての役割を2010年代初には実質的に終えた。が、イスラーム学習、アラビア語学習のニーズが廃れたわけではない。初中(日本の中学校に相当)卒で入る女学は存在したし、公立学校の放課後や長期休暇中のイスラーム学習は各地で続いていた。

 そこに2015年以来の宗教中国化の動きである。習近平思想でアレンジされた宗教解釈しか許されなくなり、イスラーム文献はおろか、宗教関係の書籍は図書館や書店からほぼ消えた。一方で、経済的成長は辺境の回族にも及び、子どもの数は少なくなり、子どもは宗教の内容を理解しないまま競争に邁進(まいしん)し上位大学を目指し、都市で働くようになった。

なぜマレーシアなのか?

 2000年代、筆者が各地の複数の女学でアンケート調査を行った時、女学の生徒のあこがれの留学先で断トツ1位がマレーシアであった。人気の理由は、第1に、イスラーム国家で信教の自由が守られていること、第2に、華人が多く、漢語も英語も通じること、第3に、距離的に近いこと、第4に、政情や治安や物価が安定していること、第5にアラビア語やイスラームを学べる国際イスラーム大学マレーシアが存在することなどが挙げられた。

 2000年代にはすでにマレーシア留学を終えて帰国し中国国内のイスラーム学校で教えたり、浙江省の義烏(ぎう:世界的な日用品取引の拠点)などで商売やアラビア語通訳をしたりする人々が出ていた。信仰の深さが経済的豊かさとリンクしていた。しかし、宗教の中国化が定着する2016年あたりから、マレーシアに留まるか、別のイスラーム国家か欧米に渡る、というトレンドができた。夫は仕事で中国とマレーシアを行き来するが、妻と子はマレーシアに留まる、というケースも出てきた。

 マレーシア留学ブームは江沢民、胡錦涛政権下のイスラーム復興の一環であった。その時代は今から考えれば比較的宗教管理が緩かった。が、習近平政権の回答は「宗教中国化」という厳格な管理であった。「文革2.0」とも称される所以である。その結果、信仰の自由とイデオロギーからの自由を求めて留学生とマレーシア滞在者の数が増えていった。

Aさんのケース

 2024年7月に筆者がクアラルンプール(以下、KL)で話を聞いた女学関係の二人の女性について述べてみよう。

 Aさんは1963年生まれ。現在、KLでラーメン店を経営している。2000年にKLにやってきた。彼女は、1990年代末に3年間甘粛省臨夏の臨夏中阿女校(私立)という中等専門学校(実業高校に相当)レベルの最高峰の女学で『穆斯林(ムスリム)婦女』という機関紙の編集を行っていた。

 彼女は大学まで世俗教育を受け、陝西省のある都市で公務員をしていたが(1982-97)、無神論と信仰の間で懊悩(おうのう)し、信仰内容を学ぶべく臨夏中阿女学に入学した。年下の学生に漢語を教え機関紙編集もしながら働く勤労学生であった。当時、彼女はこう書いていた。「人間はみな宇宙の原理を求めてやまない。私が見つけたのはかつて無視していたイスラームだった。魂が安定し心が休まる哲理がそこにあった…ムスリム女性も神聖なる宣教事業を行うことができるのだ」と。

 ここでいう宣教事業とは、キリスト教のように異教徒に対する宣教でない。無神論の社会で存在の意味を見出せない回族にイスラームを再発見してもらう行為のことだ。彼女はその後溢(あふ)れる才気を生かし、宗教倫理を学び伝えるという大志を抱いてKLにやってきた。まず、華人ムスリムの団体で、漢語で信仰内容を教えた。その後手広く商売をした後、KLでX電台という華人ムスリム・回族向けの漢語ネットラジオ局を主催した(2012~16年)。企画、取材、構成、MCすべてこなし、いろんな人をゲストに呼んでいた。中には、中国の思想状況や宗教政策に批判的な中国出身の大物知識人も出演したりして、リスナーに人気であった。彼女の漢語で「イスラームを宣教する」という当初の望みは着々と進んでいるように思えた。

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