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Commentary

香港サッカー親善試合「メッシ欠場騒動」のなぜ
香港の政治状況に対する「静かな抗議」だったのか

銭俊華
東京大学大学院総合文化研究科博士課程
社会・文化
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2月7日、日本のヴィッセル神戸との親善試合でプレーするメッシ。その3日前の香港での試合は欠場していた(写真=東京・国立競技場、共同通信IMAGE LINK)
2月7日、日本のヴィッセル神戸との親善試合でプレーするメッシ。その3日前の香港での試合は欠場していた(写真=東京・国立競技場、共同通信IMAGE LINK)

 このたびのメッシの香港来訪では結構タイトなスケジュールが設定されていた。メッシは2月1日にサウジアラビアでの試合を終え、2日の午後2時半頃に香港に到着した。同日の記者会見には出席しなかったが、3日にはチームの練習、子どもたちとのサッカー交流、パラリンピック選手や障害者、大病を患った経験のある子どもとの交流会もあった。VIPとのパーティーにも参加したそうである。子どもと交流するとき、メッシは笑顔だったし、こうしたスケジュールが普通ではないかと思われるかもしれないが、2014年のアルゼンチン代表は、試合前の非公開練習と試合当日のみに出席し、他の活動を拒否した。

 『香港01』によれば、香港政府は約100万香港ドル(約1900万円)を用意してメッシをビクトリアハーバー遊覧に誘い、香港観光を宣伝させようと目論んだ。メッシを新設スポーツパークに招待しようとする動きもあった。しかしこれらは拒否されたという。欠場の代わりにトロフィーを受け取ることや、香港トップの行政長官である李家超との握手と写真撮影も回避した。去年の『ニューヨーク・タイムズ』によれば、サウジアラビア観光局と契約したメッシは3年間で2500万米ドル(約37億円)の報酬を受け取る可能性があり、実際の仕事は、数回のCM出演、SNSへの投稿、家族や友人と一緒にサウジに遊びに行くことなどである。それに比べ、香港政府が提示した金額が相場に相応しくないように見える。つまり、報酬が少なかったことが、メッシが香港政府からの要請に協力しなかった理由の一因かもしれない。また、李家超行政長官は米大統領令13936号に基づく制裁の対象者の一人であるため、米メジャーリーグでプレーしているメッシが彼との写真撮影を避けたのではないかという見解もある。

メッシの香港政治への「静かな抗議」だったのか

 中央政府の駐香港連絡弁公室主任である駱恵寧は2021年4月15日の全民国家安全教育日に際して、国家安全を破壊する行為の一種を指す言葉として、「軟対抗」(ソフトな対抗)との表現を用いた。2023年からは香港政府もこの言葉をときおり使っている。保安局の局長である鄧炳強が「軟対抗」を論じる際には、「香港や国家の安全を脅かし、香港や国家に対する憎しみをあおり、香港政府や中央政府を中傷しようとする」行為に言及したり、「羊村絵本事件」(オオカミが羊を支配し殺そうとする物語で香港政府を風刺したと言われ発行関係者らが逮捕された事件)を取り上げたりしている。行政長官の李家超も、経済、土地、住宅などの問題を口実に「軟対抗」を行う人がいると述べた。

 この「軟対抗」という言葉を使って、前述した一連のメッシの「非協力」は「軟対抗」だとみなす声がある。彼らは、メッシが2017年にノーベル平和賞を受賞した民主化・人権活動家の劉暁波にサイン入り写真を贈ったことや、政治的中立を保つために2022年のワールドカップ優勝後にアルゼンチンのアルベルト・フェルナンデス大統領の招待を拒否したことなどを取り上げ、メッシは香港の政治状況(2020年「国安法」の施行や「国家安全」に関する香港基本法23条の立法化の推進など)を察知したうえで静かな抗議を行ったと憶測している。つまり、メッシは政治的中立を保ちつつ、民主主義や人権擁護の立場を支持する一面もあると想像されている。

 しかし、2017年に劉暁波は末期の肝臓がんと診断され、同年7月13日に亡くなっている。サイン入り写真を贈ったことは中国での民主主義や人権擁護を支持する意図を持っていたのか、それとも平和賞受賞者への最後の心遣いなのかは断言できない。メッシは、王家による専制政治が敷かれているサウジアラビアの「観光大使」を引き受けたし、2023年6月15日に北京で開催されたアルゼンチン対オーストラリアの試合でプレーしている。つまり、メッシは非民主的と言われている国でのプレーや活動を拒否しているとは言えない。2014年のワールドカップ後には、メッシはクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領(当時)の招待に応じた。つまり、アルベルト・フェルナンデス大統領の招待を拒否したことを、メッシが政治的中立性を守ろうとしている証拠だとする見方にも問題がある。以上から考えると、メッシが香港の政治状況に対して静かな抗議を行ったと証明することは容易ではない。

 一方で『人民日報』系の『環球時報』は2月8日の社説で、「メッシとインテル・マイアミは(試合に欠場したことに対して)人々を納得させるような説明をしていない。今回の出来事の真の原因に関してはさまざまな憶測が飛び交っている。一説によれば、今回のやり方には政治的な動機があるという。香港はイベント経済を盛り上げようとしているが、外部勢力が香港を苦しい立場に追い込もうとしたというのである。事態の推移を考えるとこの推測が当たっている可能性も否定できない」としている。また、行政長官の諮問機関である行政会議のメンバー、葉劉淑儀は7日にX(旧ツイッター)で「香港の人々はメッシ、インテル・マイアミ、そして背後にいる黒い手を憎んでいる。彼らは意図的かつ計画的に香港を軽んじた」というポストを投稿した。

 「外部勢力」や「背後にいる黒い手」とは何か? 『環球時報』と葉劉淑儀は詳しく説明していない。9日、3月に予定されていた杭州でのアルゼンチン対ナイジェリアの親善試合と北京でのアルゼンチン対コートジボワール親善試合は中止になった。杭州市体育局が発した声明によれば、中止は「周知の理由」による決定である。今回の騒動はまず契約やイベント運営に原因を求めるべきであるが、杭州市当局や『環球時報』、葉劉淑儀氏の反応からみると、彼らはそうとは考えていないようである。

 来客でもあるメッシ選手の故障欠場に対し、主催側が繰り返し表現した感情は主に「極度の失望」であった。また、メッシが2月7日に東京での試合でプレーしたことについて、中国全国人民代表大会の香港代表であり立法会議員である霍啓剛は「これは私たち香港のサッカーファンの傷口に塩を塗る行為だ」とフェイスブックに投稿した。タトラー・アジアも8日に、「メッシとスアレスが2月7日に日本でプレーしたことは、もう1つの平手打ちのように感じられる」とした。2月8日にタトラー・アジアはチケットを購入した全員に50%の払い戻しを行う決定と、4300万香港ドル(約8億2000万円)の損失を公表した。今回の騒動が今後どのように展開するかは予測できないが、香港の一市民として不調を訴える来客に、まずお大事にしてくださいと言うべきだろう。

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