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Commentary

中国の所得格差の実態を明らかにする家計調査
中国学へのミクロデータ活用法:社会調査データ編②

馬欣欣
法政大学大学院経済学研究科教授
連載
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中国家計所得調査(CHIP)は雇用者の賃金や家計の消費支出などを詳細に調べる。調査結果を基に所得格差や貧困問題に関する実証研究が可能だ。写真は大勢の人でにぎわう北京市内の繁華街(2023年2月、共同通信IMAGE LINK)
中国家計所得調査(CHIP)は雇用者の賃金や家計の消費支出などを詳細に調べる。調査結果を基に所得格差や貧困問題に関する実証研究が可能だ。写真は大勢の人でにぎわう北京市内の繁華街(2023年2月、共同通信IMAGE LINK)

私は2004年4月に慶應義塾大学大学院博士後期課程に進学しました。私の指導教官は、著名な労働経済学者である清家篤先生と樋口美雄先生で、日本で労働経済学分野の実証研究の最先端を走っていた先生方でした。そのとき、樋口先生をリーダーとする慶應家計パネル調査(Keio Household Panel Survey:KHPS)プロジェクトが始まりました。私はKHPSチームの一員として、パネル調査や計量分析について基礎から学びました。ミクロデータを用いた実証研究に魅了されました。

私は、中国のミクロデータを使用して、中国労働市場の格差問題を研究しようと決意しました。この分野の関連文献を調査した結果、トップジャーナルに掲載される学術論文の90パーセントが中国家計所得調査(Chinese Household Income Project Survey:CHIP)データを使用していることがわかりました。また、当時のCHIP研究プロジェクトのリーダーは中国社会科学院経済研究所の所長である趙人偉先生と李実先生であることを知りました。そこで、2005年に同研究所を訪れ、KHPSでの経験を生かしつつ、CHIPデータを用いて、性別役割の分離と男女間の賃金格差に関する日中比較研究のアイデアを李先生に説明しました。李先生は共同研究に同意してくださいました。これは非常に幸運なことでした。国際共同研究としてスタートを切り、2005年からCHIPのミクロデータを使用し始めました。

その結果、2006年には李先生との初の共著論文(「中国城鎮職工的性別工資差異与職業分潔的経験分析」) が『中国人口科学』に掲載されました。これは性別役割の分離と中国の男女間賃金格差に関する初の実証研究となりました。現在までにこの論文は引用数が300、ダウンロード数が3862となっています。

一般の研究者が利用可能な「最も優れた家計調査」

CHIPデータの中国語名称は「中国家庭収入調査数拠」、日本語では「中国家計所得調査」です。中国社会科学院経済研究所、北京師範大学中国収入分配研究院、および国家統計局が実施する、全国の代表的な地域をカバーする家計所得調査です。初回の調査は1988年に行われ、その後、約5~7年ごとに調査が実施されています。現在、CHIPのミクロデータは1988年、1995年、1999年、2002年、2007年、2013年、および2018年について構築されており、これらのデータはすべて一般公開され、利用が可能です。

学術研究のためにこれらのデータを入手する場合、北京師範大学中国収入分配研究院のウェブサイト(http://www/ciidbun.org.chip/index.asp?lang=CN)にアクセスし、申請手続きを行います。同サイトでは、中国語または英語のバージョンを選択できます。また、データのダウンロードやその他の情報に関する疑問や問い合わせがある場合は、メールで連絡ができます(ciid@ciidbnu.org)。

国家統計局は毎年、中国都市部と農村部の住民を対象とする全国調査を実施しますが、そのデータは一般の研究者が利用できないものとなっています。一般の研究者が利用可能な最も優れた家計調査のミクロデータはCHIPデータです。

CHIPは、国家統計局の住民台帳を基に、多段抽出法を用いて全国代表の地域から代表的なサンプルを抽出します。都市部と農村部の人口ウェイトを使用し、全国の実態を把握し、分析することが可能です。

また、調査内容に関して、他のミクロデータ(中国家庭追跡調査〈CFPS〉、中国家庭金融調査〈CHFS〉、中国総合社会調査〈CGSS〉など)と比較して、CHIPデータの強みは以下の3つにまとめられます。

第1に、CHIPには、所得と消費に関する最も優れた調査項目が含まれています。雇用者の賃金(基本給、実物手当、現金手当、ボーナス)、自営業者の所得、家計所得(勤労所得、金融資産、住宅資産など)および家計消費支出(生活、教育、医療などの消費品目別)に関する詳細な項目が調査されており、所得格差や貧困問題に関する詳細な実証研究が可能です。現在までに、トップジャーナルに掲載されている中国の所得格差に関する実証研究の論文で、CHIPを用いたものが最も多いです。したがって、家計所得のデータの信憑性は非常に高いといえます。

第2に、両親や兄弟に関する詳細な調査項目(母親、父親の党員資格、職種、国有・非国有部門など)も含まれています。CHIPデータを使用して、貧困の連鎖、社会階層の流動性などの実証研究も可能です。

第3に、労働市場問題に関する優れた質問項目が含まれています。個人属性(年齢、教育、性別、民族、党員、婚姻状態、家族構成など)以外に、初職や転職、国家統計局や国際基準に基づいて設定した職種と業種などの情報を入手できます。労働経済学、家族経済学、ミクロ開発経済学の分野で実証分析を行うことが可能です。

そのうえ、CHIP調査では、毎回ほぼ同じように重要な調査項目が設計されています。つまり、CHIPは複数時点のクロスセクション調査(repeated cross-section survey)であり、異なる時期を比較し、その変化を分析することにも利用可能です。

産業セクター分断化による影響をCHIPデータで導き出す

他のミクロデータを用いた学術論文と比較して、CHIPデータを用いた実証研究の図書および論文の数は最も多いです。本稿の最後に、いくつかの日本語、中国語、英語の図書・学術論文を挙げました。個々の論文を詳しくは紹介できませんが、ここで私の論文(Ma, 2018)を簡単に紹介させていただきます。

中国の体制移行期において2つの重要な現象が注目されています。まず、市場が戸籍制度によって分断されたこと。多くの出稼ぎ労働者が民間部門または競争産業セクターで働く一方、都市戸籍住民の大多数は国有部門または独占産業セクターで働いています。次に、市場が国有部門と非国有部門、または独占産業セクターと競争産業セクターによって分断されたこと。とくに2000年以降、政府が国有部門および独占産業セクターに資金援助を行い、「国進民退」(国有部門が拡大し、民間部門が縮小する)現象が起こり、独占産業(国有企業)と競争産業(民営企業)の間の賃金格差が拡大しています。しかし、そうした産業セクターの分断化が出稼ぎ労働者と都市戸籍住民の賃金格差に与えた影響に関する研究はほとんどありませんでした。

そこでMa(2018)では、2002年と2013年のCHIPのミクロデータ(CHIP2002、CHIP2013)を用い、部門格差に関するBrown要因分解モデル(Brown, Moon and Zoloth, 1980)を活用し、こうした産業セクターによる市場分断化が出稼ぎ労働者と都市戸籍住民の賃金格差にどのように影響したかを分析しました。このモデルでは、賃金格差に対する以下の4つの要因の影響を数量的に計測することができます。

  • 同じ産業セクター内における人的資本などの量の差異 [業種内属性格差]
  • 同じ産業セクター内における人的資本などの要因のリターンの差異 [業種内評価格差]
  • 独占産業セクターと競争産業セクター間の人的資本などの量の差異 [業種間属性格差]
  • 独占産業セクターと競争産業セクター間の人的資本などの要因のリターンの差異 [業種間評価格差]

研究の結果、次の点が明らかになりました。まず、2002年と2013年にも、同じ産業セクター内における人的資本などの量の差異(例えば、製造業で働くグループで、平均教育年数は出稼ぎ労働者が都市戸籍労働者に比べて短いこと)の貢献度は61.2パーセント(2002)、77.7パーセント(2013)で最も大きく、これは賃金格差が生じた主な要因です。また、2002年から2013年にかけて人的資本などの要因のリターンの差異(例えば、同じレベルの学歴を持っても、賃金水準は出稼ぎ労働者が都市戸籍労働者より低いこと)の貢献度が大きくなり、独占産業セクターに就業する際にも、そして同じ産業セクターに就業する際にも、学歴や職種などの条件が同じでも、出稼ぎ労働者の賃金水準が低く設定され、出稼ぎ労働者に対する差別的取扱い問題が深刻化していることがうかがえます。こうした差別的取り扱いも賃金格差が生じたもう1つの要因であることが示されました。

一方で、CHIPデータの限界や利用上の注意点もあります。CHIPは、複数時点のクロスセクションデータです。パネルデータではないため、個人や家計の行動を分析する際には、一部の内生的問題(例:個人間の異質性問題)に対処できません。個人間の異質性問題が重要な研究課題の場合、CHIPデータの代わりに、他の中国のパネル調査データ(CFPSなど)の使用を検討すべきでしょう。

また、個人と家計のIDから詳細な地域情報(省、コミュニティなど)を取得できますが、研究者自身が地域コードなどを活用し、情報を再収集する必要があります。さらに、詳細な地域情報を用いて分析を行う際には、別途申請が必要となります。

CHIPデータの利用で味わえる「実証研究の楽しさ」

2000年代初期まで、CHIPデータがまだ公表されていなかった頃は、データを入手すれば良いジャーナルに発表できる可能性が高かったと思います。しかし2010年以降、CHIPデータが一種の公共財として公表されて以降、世界中の研究者がCHIPデータを使用することになりました。データ入手の競争から研究アイデアの競争に変わりました。研究者は、先行文献と差別化した新たな研究アイデアを持ち込み、また高度な計量分析手法を用いない限り、国際ジャーナルに論文を公刊する競争に勝つことが難しくなっています。

計量分析の手法が進歩し、実証研究の水準は高まっています。CHIPデータを活用して先行研究との差別化を図ることが重要です。ほかの研究者が見逃している重要な研究課題を発見し、普遍性と中国独自の特性を考慮した経済行動のメカニズムを究明することが、非常に重要です。

CHIPデータを用いた実証研究は数え切れないほど多いですが、CHIPデータを用いた実証研究全体を早く把握し、また最新の研究を知る観点から、学生の方々には本稿の最後に挙げた日本語・中国語・英語の図書・論文を読むことをお勧めします。そしてCHIPデータを使用することで実証研究の扉を開け、実証研究の楽しさを味わってください。実証研究が好きになってください。「好きこそ物の上手なれ!」です。

参考図書:

馬欣欣 (2011)『中国女性の就業行動-「市場化」と都市労働市場の変容』、慶應義塾大学出版会。(日本語)。

李実・岳希明・史泰麗・佐藤宏等著(2017)『中国収入分配格局的最新変化-中国居民収入分配研究V』中国財政経済出版社。(中国語)。

Sicular, T., Li, S.,Yue, X., and Sato, H. (Eds.) (2020) Changing Trends in China’s Inequality: Evidence, Analysis, and Prospects. Oxford UK: Oxford University Press. ISBN:978-0190077938

 

参考学術論文:

Appleton, S., Song, L., and Xia. Q. (2005) Has China crossed the river? The evolution of wage structure in urban China during reform and retrenchment. Journal of Comparative Economics, 33(5), 644–663.

Démurger, S., Li, S., and Yang, J. (2012) Earnings differentials between the public and private sectors in China: Exploring changes for urban local residents in the 2000s. China Economic Review, 23(1), 138–153.

Gustafsson, B., and Li, S. (2000). Economic transformation and the gender earnings gap in urban China. Journal of Population Economics, 13(2), 305–329.

Knight, J. and Li, S. (2006) Unemployment duration and earnings of re-employed workers in urban China. China Economic Review,17(2), 103–119.

Ma, X. (2018). Labor market segmentation by industry sectors and wage gaps between migrants and local urban residents in urban China. China Economic Review, 47, 96–115.

Ma, X. (2022) Parenthood and the gender wage gap in urban China. Journal of Asian Economics, 80, 101479.

Ma, X. and Li, S. (2022) Self-employment in urban China: Entrepreneurship or disguised unemployment? China & World Economy, 30(1), 166–195.

Zhan, P., Ma, X., and Li, S. (2021) Migration, population aging, and income inequality in China. Journal of Asian Economics,76, 101351.

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