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Commentary

中国の所得格差の実態を明らかにする家計調査
中国学へのミクロデータ活用法:社会調査データ編②

馬欣欣
法政大学大学院経済学研究科教授
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中国家計所得調査(CHIP)は雇用者の賃金や家計の消費支出などを詳細に調べる。調査結果を基に所得格差や貧困問題に関する実証研究が可能だ。写真は大勢の人でにぎわう北京市内の繁華街(2023年2月、共同通信IMAGE LINK)
中国家計所得調査(CHIP)は雇用者の賃金や家計の消費支出などを詳細に調べる。調査結果を基に所得格差や貧困問題に関する実証研究が可能だ。写真は大勢の人でにぎわう北京市内の繁華街(2023年2月、共同通信IMAGE LINK)

 CHIPは、国家統計局の住民台帳を基に、多段抽出法を用いて全国代表の地域から代表的なサンプルを抽出します。都市部と農村部の人口ウェイトを使用し、全国の実態を把握し、分析することが可能です。

 また、調査内容に関して、他のミクロデータ(中国家庭追跡調査〈CFPS〉、中国家庭金融調査〈CHFS〉、中国総合社会調査〈CGSS〉など)と比較して、CHIPデータの強みは以下の3つにまとめられます。

 第1に、CHIPには、所得と消費に関する最も優れた調査項目が含まれています。雇用者の賃金(基本給、実物手当、現金手当、ボーナス)、自営業者の所得、家計所得(勤労所得、金融資産、住宅資産など)および家計消費支出(生活、教育、医療などの消費品目別)に関する詳細な項目が調査されており、所得格差や貧困問題に関する詳細な実証研究が可能です。現在までに、トップジャーナルに掲載されている中国の所得格差に関する実証研究の論文で、CHIPを用いたものが最も多いです。したがって、家計所得のデータの信憑性は非常に高いといえます。

 第2に、両親や兄弟に関する詳細な調査項目(母親、父親の党員資格、職種、国有・非国有部門など)も含まれています。CHIPデータを使用して、貧困の連鎖、社会階層の流動性などの実証研究も可能です。

 第3に、労働市場問題に関する優れた質問項目が含まれています。個人属性(年齢、教育、性別、民族、党員、婚姻状態、家族構成など)以外に、初職や転職、国家統計局や国際基準に基づいて設定した職種と業種などの情報を入手できます。労働経済学、家族経済学、ミクロ開発経済学の分野で実証分析を行うことが可能です。

 そのうえ、CHIP調査では、毎回ほぼ同じように重要な調査項目が設計されています。つまり、CHIPは複数時点のクロスセクション調査(repeated cross-section survey)であり、異なる時期を比較し、その変化を分析することにも利用可能です。

産業セクター分断化による影響をCHIPデータで導き出す

 他のミクロデータを用いた学術論文と比較して、CHIPデータを用いた実証研究の図書および論文の数は最も多いです。本稿の最後に、いくつかの日本語、中国語、英語の図書・学術論文を挙げました。個々の論文を詳しくは紹介できませんが、ここで私の論文(Ma, 2018)を簡単に紹介させていただきます。

 中国の体制移行期において2つの重要な現象が注目されています。まず、市場が戸籍制度によって分断されたこと。多くの出稼ぎ労働者が民間部門または競争産業セクターで働く一方、都市戸籍住民の大多数は国有部門または独占産業セクターで働いています。次に、市場が国有部門と非国有部門、または独占産業セクターと競争産業セクターによって分断されたこと。とくに2000年以降、政府が国有部門および独占産業セクターに資金援助を行い、「国進民退」(国有部門が拡大し、民間部門が縮小する)現象が起こり、独占産業(国有企業)と競争産業(民営企業)の間の賃金格差が拡大しています。しかし、そうした産業セクターの分断化が出稼ぎ労働者と都市戸籍住民の賃金格差に与えた影響に関する研究はほとんどありませんでした。

 そこでMa(2018)では、2002年と2013年のCHIPのミクロデータ(CHIP2002、CHIP2013)を用い、部門格差に関するBrown要因分解モデル(Brown, Moon and Zoloth, 1980)を活用し、こうした産業セクターによる市場分断化が出稼ぎ労働者と都市戸籍住民の賃金格差にどのように影響したかを分析しました。このモデルでは、賃金格差に対する以下の4つの要因の影響を数量的に計測することができます。

  • 同じ産業セクター内における人的資本などの量の差異 [業種内属性格差]
  • 同じ産業セクター内における人的資本などの要因のリターンの差異 [業種内評価格差]
  • 独占産業セクターと競争産業セクター間の人的資本などの量の差異 [業種間属性格差]
  • 独占産業セクターと競争産業セクター間の人的資本などの要因のリターンの差異 [業種間評価格差]

 研究の結果、次の点が明らかになりました。まず、2002年と2013年にも、同じ産業セクター内における人的資本などの量の差異(例えば、製造業で働くグループで、平均教育年数は出稼ぎ労働者が都市戸籍労働者に比べて短いこと)の貢献度は61.2パーセント(2002)、77.7パーセント(2013)で最も大きく、これは賃金格差が生じた主な要因です。また、2002年から2013年にかけて人的資本などの要因のリターンの差異(例えば、同じレベルの学歴を持っても、賃金水準は出稼ぎ労働者が都市戸籍労働者より低いこと)の貢献度が大きくなり、独占産業セクターに就業する際にも、そして同じ産業セクターに就業する際にも、学歴や職種などの条件が同じでも、出稼ぎ労働者の賃金水準が低く設定され、出稼ぎ労働者に対する差別的取扱い問題が深刻化していることがうかがえます。こうした差別的取り扱いも賃金格差が生じたもう1つの要因であることが示されました。

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