Commentary
中国の不動産バブルで犠牲になった農民の悲哀
社会的弱者の声を聞く「問題指向的研究」のススメ①
2013年当時、私は通りがかった羊山鎮の党委員会書記にも話を聞いている。彼は「清明節(先祖の墓参りをする祭日)に2012年は30万人、2013年には22万人が訪れましたよ。出店1軒のミネラルウォーターの売り上げが1日平均で1万5000元にも上りました!」と得意げに話した。
しかし、これに対して私の友人は、「22万人なんてウソだ。2012年の労働節の時期にも来たけど、人はまばら。清明節の時は烈士(国のために戦い犠牲になった人)の墓参りとして、小中学生を動員したのです」と呆れ顔だった。「レジャー地区」内には烈士陵墓があり、鎮政府は中央政府から毎年補助金をもらって拡張していた。
消されてしまった「乱開発を批判する声」
関連の情報はないかと、日本に帰ってすぐにインターネットで検索すると、以下のような文章が多数投稿されていた。
例えば「山東金郷羊山鎮:狂建“国際軍事旅遊度假区”為什么?」(なぜ山東省金郷県羊山鎮は“国際軍事観光レジャー区”を乱開発するのか?)と題する、「蒋公的博客」(蒋公)のブログ(2010年7月30日)だ。筆者は2013年5月に検索したが、その一部の内容を日本語でまとめた。
近年、農民は土地を失っている。コストが上がり、農業経営が難しくなる中、出稼ぎに行く者が増え、中小学生の退学率も高い。鎮政府は国際軍事観光レジャー地区をつくろうとしているが、こんな辺鄙な農村が国際観光なんて大きな話になるのか。ここは小さくとも美しく古い町だった。古くから残る廟(びょう)や祠(ほこら)、果樹園や森林も破壊されたというのに、風光明媚といえるのか。どれほどの観光客が訪れるというのか。広範囲の農地を収用し、人口の湖や遊園地をつくった。このあたりはもともと降水量が少なく、地下水も枯渇し、たびたび干害が発生する。湖を掘れば、砂漠化が進み、自然災害が起こる。地質公園をつくるというが、名所旧跡でもなく、石灰採掘場に残った池や低い岸壁の周りに見栄えの悪い偽物の楼閣や桟道をつくるだけじゃないか(注:羊山の人たちは昔、石灰岩を採掘して生計を立てていた)。
鎮政府は烈士陵墓を拡張するという。羊山は国民党軍と激しく戦闘し、多くの死傷者を出した。しかし、この戦闘が行われたのは短い期間で、羊山は長期間革命根拠地として存在したわけではなく、それ相応の革命に関する文物もない。使わなくなった人民解放軍の大砲、タンカー、戦闘機を買い取って展示しているが、羊山での国民党との戦いとどう関係があるというのか。外国や中国の他の地域から、わざわざ誰がこのようなものを見に来るのか。荒野に建設するならまだしも、盲目的に功績をあげるために、地方政府が土地を収用し、湖を掘り、伝統的な町並みを破壊して平地にしたのだ。
羊山鎮の役人と企業が結託して開発を行い、農民の土地や住居を奪うという劣悪な強盗行為を働いた。鎮政府は権力を用いて立ち退きを要求し、市場の価値を考えることもなく自ら査定した企業を選び、立ち退きの補償金を勝手に確定し、水や電気を止めた。警察を動員し、(注:立ち退きを拒む者に対し)すでに処分が終わったはずの計画出産の違反を問いただしたり、前科のある者を再び派出所に呼び出したりした。商いをする者は税務部門に厳しく調べられ、処分された。飲食業関係者は衛生防疫部門に調べられた。村人たちは屈辱に耐え、不平等な条件をのまざるをえなかった。数千人がすみかを失い、子どもが退学し、老人は気を病んで入院した。悲しみに暮れて服毒自殺した老人もいる。立ち退きの現場では、携帯電話を壊された。救急車が停まっているのに、気絶した人は救助されなかった。私たちは上級部門とメディアに訴えたが、ことごとく介入され、唯一取材を実現させた山東テレビ局の番組『新聞女生組』は、放映日に全県が停電にされたため、見ることができなかった。
しかし現在では、上記のブログを含め、検索しても多くの文章が削除されてしまっている。「羊山鎮+国際軍事+旅遊度假区(観光レジャー地区)」といったキーワードで検索しても、出てくる文章は観光地のアピールや宣伝ばかりだ。
だが、今もかろうじて削除されていない文章があった。冒頭に、その一部を写真で掲載した「群衆来信:金郷羊山鎮要建国際軍事旅遊度假区実在荒唐_劉景涛_新浪博客」『企業資訊策画団隊』(2010年1月24日)。
ここには、平屋に住んでいた農民を強制的に立ち退かせて開発業者が建設するマンションへの移転させるため、1平米あたり家屋は約400元、庭は100元という補償金が支払われていると書かれている。
本稿を第1回目として、社会的弱者の視点から中国社会を垣間見るシリーズを書き継いでいく。本シリーズには「問題指向的研究のススメ」と副題をつけた。「問題指向的研究」は、社会の問題や現象の説明だけに終始するのではなく、歴史的経緯、政治・経済的コンテクストの中で社会を理解し、社会変革の意識の下に行う研究である。そのためには、研究者も社会のアクターとして変化の中にいることを認識しながら、自らの立ち位置を明示的に捉える必要がある。
羊山鎮の事例を見てもわかるように、権力やカネの力で抑圧されている社会的弱者の声をすくい上げるのは容易ではない。中国をめぐる国際情勢が緊張しつつある昨今、そして、学者もソーシャルメディアで発信するようになったデジタル環境を考えれば、中国研究のあり方も変化を踏まえながら調整する必要がある。研究者個々人、そして専門領域によっても問題分析のアプローチは異なるが、私自身は、学者は「中立性」を唱えるのではなく、自らの置かれた環境に特定のコンテクストが関わっていることを鋭く自覚しなければならないと考えている。そうしたコンテクストに無自覚である、あるいは自覚していても触れずして表面的な分析を行い続ければ、現実から乖離した学者の押し付けの理論化が広く浸透してしまう。
「問題指向的研究」において私は、私たち学者が率先してさまざまなイシューを論争的に捉え、自らのポジションを批判的に見る必要があると強調したい。また、国家やさまざまな勢力の間に緊張関係があり、激しく社会が変動する中で、権力(パワー)を分析し、それと適度な距離を保つことで学問の独立性・批判性を確保し、信頼を高めなければならないと考えている。また、女性やマイノリティの視点も重視していきたいと考えている。