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Commentary

改革開放初期の中国における「新権威主義」
1980年代、「権威」はいかに議論されていたか

李暁東
島根県立大学国際関係学部教授
政治
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2012年11月15日、中国共産党の第18期中央委員会第1回全体会議を終え、北京の人民大会堂の壇上に並ぶ総書記に選出された習近平氏(中央)ら新政治局常務委員。翌2013年11月には「全面的に改革を深化させる」という目標を掲げた第18期中央委員会第3回全体会議が開かれた(写真:共同通信IMAGE LINK)
2012年11月15日、中国共産党の第18期中央委員会第1回全体会議を終え、北京の人民大会堂の壇上に並ぶ総書記に選出された習近平氏(中央)ら新政治局常務委員。翌2013年11月には「全面的に改革を深化させる」という目標を掲げた第18期中央委員会第3回全体会議が開かれた(写真:共同通信IMAGE LINK)

その中で、とくに注目に値する議論の1つとして、「新権威主義」をめぐる論争が挙げられる。

権威主義は現在、専制主義に近い意味合いで使われ、ネガティブないし否定的に捉える論調が多くみられるが、1980年代半ばごろに中国で提起された「新権威主義」は逆に政治体制の正統性を主張する言説としてポジティブに唱えられていた。改革を急進的に推し進めようとする一部の中国の改革知識人と、逆に安定を重視する穏健な立場から強力な政治的リーダーシップが必要だと考える人々とが、それぞれの立場からいずれも「権威」の強化を主張していた。急進的な改革者たちは改革を妨げる保守的勢力の抵抗を突破するためにストロングマンを求め、一方の穏健な改革者は安定重視の立場から強い指導力を強調したのである。そして彼らはモデルとして、とくに権威主義体制の下で経済成長を遂げた韓国や台湾などのアジアNIESを挙げている。

もちろん、「新権威主義」の主張は多くの批判を招いた。批判者たちはアジアNIESの成功経験をある程度認めたものの、これらの国や地域の状況が中国と異なっていると指摘したのみならず、さらにこれらの国や地域における民主化の潮流に注目し、権力集中を批判して中国の政治的民主化を主張したのである。

論争は繰り広げられたが、「新権威主義」論者とその批判者との間に政治的民主化という目標についてはコンセンサスがあった。そもそも「新権威主義」の論者たちが「権威主義」の頭にあえて「新」をつけたのは、強力な指導者を求めることは個人の自由発展の障害を取り除き、個人の自由を保障するためだと強調しようとしたからである。

価格改革の挫折、社会的な混乱で低下した「権威」

経済改革とともに政治的民主化改革を望んだ改革派が「権威」をことさらに強調したのは、1978年以来進めてきた改革が1つの曲がり角に差しかかったからにほかならなかった。1980年代に始まった請負制を特徴とする経済改革は、まずは農村で、その後は都市部で巨大な成功を収めた。しかし、やがて、経済をさらに発展させるためには従来の経済体制を変革しなければもはや改革を前進させることができないという課題が改革派に突きつけられるようになった。

その象徴の1つが価格改革である。改革の初期には、過渡的な措置として計画経済システム下の公定価格と市場経済システム下の市場価格とが併存する「双軌制」がとられていた。このような二重価格制は結局、両者間の価格差を利用して利益を求める「官倒」(官僚ブローカー)の横行を招くようになり、一般の人々の間に大きな不満を募らせることになった。そのため、不合理な価格統制を自由化して価格を市場に決めさせることを目指す価格改革が断行された。しかし、改革はインフレを引き起こし、1988年にさらに社会的混乱を招くことになって、結局挫折した。

一方で、その前年の1987年に「社会主義初級段階」論が提起された。経済的改革を成功させるために、「党政分離」を旨とする政治体制改革の目標が掲げられ、大きな一歩が踏み出されようとしたのである。

1988年の価格改革の挫折と社会的な混乱とは、改革を断行しようとした指導部の権威の低下を招いた。市場経済に向けての価格改革と「党政分離」の政治体制改革とが挫折するのではないか。そのような危機感から出発して、一部の改革派知識人はそれぞれの立場から「新権威主義」(またはそれと相似した)主張を提起したのである。

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