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Commentary

追悼・李克強――なぜ習近平の後塵を拝したのか
衆目一致の超エリートが「最も存在感の薄い総理」に甘んじた

李昊
東京大学大学院法学政治学研究科准教授、日本国際問題研究所研究員
政治
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2012年11月15日、中国共産党の第18期中央委員会第1回総会を終え、記者会見場で手を振る総書記に選出された習近平氏(左)と新政治局常務委員の李克強氏。李氏は習氏の後塵を拝し、最高指導者になれなかった(写真:共同通信IMAGE LINK)

 そんな存在感の薄い李克強総理も、時折若干含みのある発言をし、観察者の想像力をたくましくさせた。習近平が貧困撲滅の達成に躍起になっている中、2020年5月の全国人民代表大会における記者会見で、李克強は「6億人は月収が1000元程度しかない」と話し、波紋を呼んだ(注24)。衝撃的な発言に対して国家統計局や専門家が釈明に追われた(注25)。2022年3月、全国人民代表大会において総理として臨む最後の記者会見では、「長江と黄河は逆流しない」と改革・開放を続けていく決意を示したが(注26)、これも習近平の方針に対する不満ではないかと憶測を呼んだ。

 同年8月にも李克強は改革・開放の象徴である深圳を視察し、「長江と黄河は逆流しない」と繰り返した(注27)。同じ日、習近平は遼寧省錦州市にある遼瀋戦役記念館を視察し、革命の歴史を振り返っていた。両者の違いが際立ち、憶測を呼んだ。

 2023年3月には、李克強が総理を退任する際、国務院のスタッフを前に、「人がやることを天は見ている(人在幹、天在看、蒼天有眼)」と思いをにじませたような挨拶がまた話題になった。観察者はこうした李克強の発言に一喜一憂していた。これらの発言にどの程度政治的な意図が込められていたかは確かめる術(すべ)もないが、これらの発言は李克強が常識的で開明的な考え方を持つ政治指導者であったことを示している。

 こうした実務派のイメージの証左となるエピソードはほかにも少なくない。有名なのは「李克強指数」である。遼寧省党委員会書記を務めていた時期、李克強は省のGDP統計を信用せず、省内の鉄道貨物輸送量、銀行融資残高、電力消費の推移を重視しているという旨をアメリカの駐中国大使に話したという(注28)。これが李克強指数と呼ばれた。実際に李克強指数が経済状況を表す指標として適切であるかは評価が分かれるが、李克強が実態、真実を知ろうと努めていたことは間違いないだろう。

 2020年、新型コロナへの対応においても李克強と習近平の考え方は大きく異なっていたようだ。李克強は「正確な数字、真実を報告しろ」と指示し、習近平は「感動的なストーリーを積極的に報じよ」と命じたという(注29)。新型コロナが感染拡大する中、習近平総書記は同年1月17日から18日までミャンマーを訪問し、その後21日まで雲南省に滞在していた。1月20日、武漢での調査から北京に戻った専門家が「ヒトからヒトへの感染が起きている」と報告した相手は李克強総理だった(注30)。同日、ヒトヒト感染の事実が公表され、雲南にいる習近平からも「人民の生命の安全と健康を最優先に感染を断固抑え込め」と指示が出され、大規模なロックダウンへとつながった。ヒトヒト感染の事実の公表は李克強の指示だったと思われる。

 「実事求是」(事実に基づいて真理を求めること)は中国共産党人の最も重要な行動規範の1つである。今日の中国共産党中央委員会の機関誌のタイトルも『求是』である。李克強はこのような精神の体現者だったと言えよう。そして、実事求是を大切にするという姿勢は中国に限らず、政治家として不可欠の素養であることは言うまでもない。

頂点を極めていたら民主化に導くことができたか

 李克強は広く改革派のイメージが持たれている。確かに李克強は市場経済を重視する経済政策を目指し、改革を志向していたことは否定しえない。しかし、共産主義青年団の先輩でもある胡錦濤がリーダーシップを発揮することなく10年の任期を終えてしまったように、既得権益の強固な中国において、改革を進めることは困難である。端的に言って李克強は総理として改革を推し進めることに失敗したし、仮に最高指導者になっていたとしても改革の推進は極めて難しい仕事だっただろう。

 また、李克強が中国を民主化に導くというナイーブな期待も一時期聞かれた。確かに李克強は英語も堪能で国際感覚を有した政治家だった。しかし、李克強は海外に長期留学をしたことがなく、民主主義体制の下で暮らしたこともなく、民主主義に深い理解があるとは思えない。大学卒業後、一貫して体制内エスタブリッシュメントとして歩んできた。先輩である胡錦濤と同様に、正真正銘の共産党人である。李克強が中国共産党の李登輝やゴルバチョフになることはなかっただろう。

2023年10月31日、幼少期を過ごしたとされる安徽省合肥の住宅付近に供えられた写真と花束(写真:共同通信IMAGE LINK)

 その意味で、李克強に過度な幻想を抱くべきではないだろう。しかし、李克強が中国をより穏健で開かれた国に導こうとしていたことは想像に難くない。それは中国人民と世界の人々にとって、そして中国共産党自身にとっても望ましいことだっただろう。李克強は間違いなく優れた政治指導者だった。外国の企業経営者や政治家がこぞって「李克強詣で」をしていた時期の中国の将来に対する楽観的な期待は今となっては霧散した。かつてのスーパースター李克強は、その早すぎる死によって悲劇の主人公となった。

(注1)金順姫「2カ月前、敦煌に現れていた李克強氏 動画で笑顔、「顔色良かった」」朝日新聞デジタル、2023年10月27日(https://digital.asahi.com/articles/ASRBW4SRJRBWUHBI02F.html)。

(注2)「李克強同志逝世」新華網、2023年10月27日(http://www.news.cn/politics/2023-10/27/c_1129942174.htm)。

(注3)「中共中央 全国人大常委会 国務院 全国政協訃告 李克強同志逝世」新華網、2023年10月27日(http://www.news.cn/politics/2023-10/27/c_1129943498.htm)。

(注4)金順姫「李克強氏の旧居に追悼の人波、あふれる花束 当局は世論の動向警戒」朝日新聞デジタル、2023年10月30日(https://digital.asahi.com/articles/ASRBZ5VJGRBZUHBI00V.html)。

(注5)なお、習近平総書記は1975年に清華大学に入学しているが、この時期大学入試は実施されておらず、習近平は「工農兵学員」として推薦された。

(注6)「李克強同志生平」『人民日報』2023年11月3日。

(注7)朝日新聞中国総局『紅の党 完全版』朝日新聞出版、2013年、183-184頁。

(注8)「李克強与妻女常用英語交流 其博士論文経得起考験」中国新聞網、2013年3月16日(https://www.chinanews.com.cn/gn/2013/03-16/4649086.shtml)。

(注9)井上亮「その日、新橋の中華料理店がざわついた 去る李克強氏、日本にも足跡」朝日新聞デジタル、2022年10月22日(https://digital.asahi.com/articles/ASQBQ3Q7SQBPUHBI03B.html)。

(注10)同じ時、後に総書記となる習近平は、最下位の中央候補委員(151人中第151位)であった。

(注11)宗海仁『第四代』Carle Place, NY, 明鏡出版社、2002年、421-463頁。Andrew J. Nathan and Bruce Gilley, China’s New Rulers: The Secret Files, New York: New York Review Books, 2002, pp. 120-127.

(注12)例えば、「真の「胡体制」幕開け」『読売新聞』2007年10月12日。

(注13)坂尻信義、峯村健司「ポスト胡 公開審査」『朝日新聞』2007年10月17日。

(注14)朝日新聞中国総局『紅の党 完全版』195頁、比嘉清太「党エリート 冷遇の最後 李克強氏死去 世渡り下手 習氏と逆転」『読売新聞』2023年10月28日。

(注15)朝日新聞中国総局『紅の党 完全版』195頁。

(注16)Grace Tsoi and Sylvia Chang “How Xi Jinping made himself unchallengeable,” BBC, 17 October 2022 (https://www.bbc.com/news/world-asia-china-63210545).

(注17)朝日新聞中国総局『紅の党 完全版』171頁。

(注18)Willy Wo-Lap Lam, Chinese Politics in the Era of Xi Jinping, New York and London: Routledge, 2015, p. 56, Cheng Li, Chinese Politics in the Xi Jinping Era: Reassessing Collective Leadership, Washington, D.C.: Brookings Institution Press, 2016, p. 216, 高新「没有江、曾的推挙就没有習近平的上位」自由亜洲電台、2023年1月2日(https://www.rfa.org/mandarin/zhuanlan/yehuazhongnanhai/gx-01022023155742.html)。

(注19)「新一届中央委員会和中央紀律検査委員会誕生記」中国政府網、2007年10月21日(https://www.gov.cn/ztzl/17da/content_781254.htm)。

(注20)Lam, Chinese Politics in the Era of Xi Jinping, p. 58, Bo Zhiyue, China’s Elite Politics: Governance and Democratization, Singapore: World Scientific, p. 25, Susan L. Shirk “The Return to Personalistic Rule,” Journal of Democracy, Vol. 29, No. 2, p. 28, 朝日新聞中国総局『紅の党 完全版』192-194頁。

(注21)吉岡桂子「米中対話 リーコノミクスの序章」『朝日新聞』2013年7月14日、川瀬憲司「中国経済持ち直し」『日本経済新聞』2013年10月1日。

(注22)大越匡洋「色あせるリコノミクス」『日本経済新聞』2014年3月6日。

(注23)「李克強総理在重慶市考察」中国政府網、2020年8月(https://www.gov.cn/zhuanti/202008lkqzlkc/index.htm)、「李克強在重慶考察時強調 做好防汛救災和恢復重建工作 在改革開放中持続努力巩固経済恢復性増長勢頭」新華網、2020年8月23日(http://www.xinhuanet.com/politics/2020-08/23/c_1126403087.htm)。

(注24)「李克強総理出席記者会並回答中外記者提問」新華網、2020年5月29日(http://www.xinhuanet.com/politics/2020-05/29/c_1126047196.htm)。

(注25)「“6億人每月人均収入1000元”?国家統計局回応」人民網、2020年6月15日(http://politics.people.com.cn/n1/2020/0615/c1001-31747507.html)、「怎么看“6億人每月収入1000元”」新華網、2020年6月22日(http://www.xinhuanet.com/politics/2020-06/22/c_1126144559.htm)。

(注26)「李克強総理出席記者会並回答中外記者提問」中華人民共和国中央人民政府、2022年3月11日(https://www.gov.cn/premier/2022-03/11/content_5678618.htm#allContent)。

(注27)「李克強:黄河長江不会倒流,塩田港的水也会滔滔不絶!小平同志“南巡”講話提出“発展是硬道理”,至今聴起来振聾発聵!」騰訊網、2023年10月27日(https://new.qq.com/rain/a/20231027A0AW1300)。ただし、この表現は新華社の公式報道からは削除されている。「李克強在広東考察時強調:在改革開放上勇於探索 為穏経済促進発展注入新動力」新華網、2022年8月18日(http://www.news.cn/politics/leaders/2022-08/18/c_1128923819.htm)。

(注28)“Keqiang ker-ching: How China’s next prime minister keeps tabs on its economy,” The Economist, 9 December 2010 (https://www.economist.com/asia/2010/12/09/keqiang-ker-ching).

(注29)冨名腰隆、金順姫「習体制、「外様」退場」『朝日新聞』2022年10月23日

(注30)宮嶋加菜子、平井良和、冨名腰隆「「ヒトヒト感染」、情報届かず」『朝日新聞』2020年7月5日。

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