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Commentary

新参の都市住民が暮らす「城中村」というスラム
不動産バブル崩壊で中国経済は「日本化」するか②

丸川知雄
東京大学社会科学研究所教授
経済
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深圳市中心部の「城中村」とされる福田区崗厦村。密集するアパートの家賃は破格の安さだ(筆者撮影・2023年8月)
深圳市中心部の「城中村」とされる福田区崗厦村。密集するアパートの家賃は破格の安さだ(筆者撮影・2023年8月)

 第1回の最後で、中国の都市には住宅を所有できる階層と所有できない階層がいると書いた。住宅を所有できる階層とはどんな人たちであろうか。北京市、上海市、広州市、深圳市といった大都市の中心市街地に近いところで新築マンションを買おうとしたら日本円で1戸1億円は優に必要である。年収が少なくとも1000万円はないとこんなに高い物件は買えないだろう。ところが、中国の都市にはそこまでの年収はなくてもマンションを所有できる人たちがいる。それは1990年代前半までにこうした大都市の住民だった人たちである。

 その頃までは住宅は勤め先が従業員に支給してくれるものであった。決して広いアパートではなかったが、タダみたいに安い家賃を支払うだけでよかったし、夫婦共働きで運がよければ、夫婦がそれぞれの勤め先から住宅の支給を受け、1戸は人に貸して家賃収入を得る、なんてこともできた。1990年代後半に住宅の商品化が行われ、従業員住宅は、そこに住んでいる人たちに売却された。商品化が行われた初期であれば、日本円にして数十万円程度の格安値で払い下げを受けることができた。

 こうして1990年代後半までにアパートを所有できた人はものすごく価値のある資産を手にしたことになる。何しろアパート1戸のお値段が20年余りで数十万円から1億円以上に高騰したのだから。住宅が老朽化して立ち退きを迫られるようなことがあればラッキーである。立ち退きの際に高額の補償金が得られるのだから。上海市では市中心部の古いアパートの住民に立ち退いてもらうために、その補償として市内のマンション4戸を与えたという話も聞いた。

 一方、1990年代後半から後に大都市の住民となった人たちにはこうした資産はない。マンションを買うには高額所得者になるしかない。では高額所得者になれない新参の都市住民はどうしているのか? そうした人々の多くが住んでいるのが「都市の中の村(城中村)」と呼ばれる場所である。

都市の国有地の中にポツンと残された「城中村」

 「城中村」とは何か? 国際的に通用する言葉でいえばそれはスラム街である。ただし、発展途上国のスラム街というと、その住民は廃品回収をして生計を立てているとか、無職だったり、薬物依存症だったりといったイメージが伴うが、中国の城中村の住民の多くは工場や建設現場で働くブルーカラー労働者や警備員、そして最近流行のフードデリバリーの従業員といった人たちのようだ。城中村の中で商店を営んだり、アパレル縫製工場などのビジネスを展開したりしている人々もいる。スラム街というと「街の吹き溜まり」のようなイメージがあるが、中国の城中村の住民たちは労働者や小企業主として都市の産業の重要な担い手となっており、この住民たちなしでは都市の経済が回っていかない。

 なぜ「都市の中の村(城中村)」というのか。それは、その場所が土地制度において都市ではなく農村に属するからだ。中国の国土は国有地と集団所有地に分かれる。都市部は国有地であるのに対して、農村は村民が総体として所有する集団所有地である。都市化が進むと、当然都市の領域が広がっていくことになるが、その際に、都市の政府が村と話し合い、村の土地を買い上げて国有地にする。中国では農業用地の転用は厳しく制限されており、田畑を勝手に住宅地や工業用地に変えてはいけないが、都市の政府が村の土地を買い上げて国有地にした後、住宅や工業団地に用途を転換し、土地使用権を不動産業者や企業に売却して利用させる。

 以上が都市化を進めるうえでの正しい手続きだが、都市の拡大が急である場合、こうした正しい手続きを踏まぬまま、なし崩し的に農村が都市化していくことがある。中国の村は多くの場合、住宅が真ん中に集中し、農地がその周りを取り囲む目玉焼きのような形をしている。そのうち、真ん中の黄身にあたる住宅用地は「宅基地」と呼ばれ、各農家が一定の敷地を占有して、その中に家を建て、家庭菜園を営んだり、場合によっては小さな工場を建てたり、アパートを建てて人に貸して家賃を稼いでいたりする。周りの白身部分は農業用地と決められていて、そこにアパートや工場を建てることはご法度だが、真ん中の部分は事実上農家の私有地に近く、かなり自由に使うことができるのである。

 このような村に都市が次第に拡大して近づいてきた。都市の政府は村に対して土地を買い上げたいと申し出る。村は農地の部分についてはあっさりと買収の申し出に応じるだろう。どうせ農業以外の用途では使えない土地である。将来までの農業収入に見合う額の補償金が払われるのであれば村民は喜んで土地売却に応じる。

 ところが、村の真ん中の住宅用地の部分については、話は簡単ではない。都市の拡大が村に近づくにつれ、村民はアパートを建てて都市で働く人たちを住まわせ、家賃を稼ぐようになる。そうなると、庭付き1戸建ての価値程度の補償額では村民は到底売却に応じない。必ずアパートの価値も含めた額を補償することを要求するだろう。また、村の土地は集団所有なので、一部の農民だけが自分の家の敷地を売るということもありえない。必ず村全体として売却の意志を固めないと宅基地の売却には応じられない。そのため、市政府は都市化を進める際に村の農地部分だけ買い上げて、補償額が高くて交渉も面倒な住宅用地は後回しにしがちである(仝・高・龔、2020)。

 このような経緯から、都市の中に、村の真ん中の住宅用地にあたる部分が市政府によって買収されずに取り残され、国有地の中にポツンと集団所有地が残ることになる。これが城中村である。

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