Commentary
変わりゆく中国におけるフェミニストのもがき
王政ミシガン大学教授が語る社会主義時代からのフェミニズム史
建国当初、女性政策の背後には必ず女性からの提案や要求があった。1952年に蔡暢が婦連の主席として毛沢東に面会を求め、女性の要求を突き付けた。だが、1957年には反右派闘争の中で女性幹部も打撃を受けた。例えば、上海のある婦連幹部は託児所や食堂が足りないとクレームをつけたら、右派だと批判されてしまった。
それ以降は共産党の支配の中に女性運動が隠れてしまった。
1980年代になると、さまざまな言論が活発になったが、その中で男性エリートが性差を強調することによって、社会主義フェミニズム的な男女平等に対するバックラッシュが起きた。例えば社会学者の鄭也夫は「中国の女性は日本に学んで家庭に入れ」と主張した。
他方で、社会主義国家フェミニストたちによって女性研究が活発になり、新しいフェミニストの運動につながった。毛沢東時代には社会主義的なジェンダー平等メカニズムがあったが、それが市場経済の導入とともに崩壊し、社会の中で急速に性差別が露わとなった。女性研究があったおかげで、女性たちはそうした社会に対する懸念を示すことができた。しかし、1989年の天安門事件以降、女性学者の自発的な女性研究は停止してしまった。
1990年代以降は、『新中国婦女』の表紙から各界で活躍する女性が消えてしまい、むしろ消費者としての女性、享楽する女性、果ては性の対象としての女性像が現れるようになった。2007年の『中国婦女』の表紙(図4)は1960年代までの『新中国婦女』と好対照を見せている。
第2世代フェミニストが主張した「ジェンダー」
1995年に世界女性大会が北京で開催されたのを機に、NGOによる女性運動が活発になり、多くの民間組織が出現した。その例として、陝西省婦女理論婚姻家庭研究会、中国法学会の家庭内暴力に反対するネットワーク、中国におけるジェンダーと開発などが挙げられる。
また、「陰道独白」という劇(注1)が2003年から全国で上演され始めた(編者注:「陰道独白」はアメリカの劇作家イブ・エンスラー作の朗読劇「ヴァギナ・モノローグス」の中国語版である。日本では宮本亜門の演出により上演された。中国では2003年に中山大学教授艾暁明とその学生たちによって中国語版が初演された。その後、BCome小組の「陰道之道」など中国化された内容のものが上演されたが、2017年に上演に対する制約が強まり、2018年以降は上演されていないようである)。
この劇は妻に対する夫の暴力を描くなど、フェミニズム的な劇であったが、中国では2018年に上演禁止となってしまった。
ジェンダー(中国語で「社会性別」)がフェミニストにとって社会正義や平等を追求する比較的安全な領域となった。第1世代の徹底的な女性解放のヴィジョンに比べ、「ジェンダー」という言葉を用いた主張は、もって回った言い方になっている。