Commentary
抗戦勝利80周年の国際会議と軍事パレード
異例ずくめのキャンペーンから見えた幅と奥行き
文芸の夕べと軍事パレード
9月2日に開催された会議の前日にあたる1日には人民大会堂で文芸の夕べを鑑賞し、会議終了後の3日は長安街の軍事パレードを参観した。いずれも強制だったわけではない。文芸の夕べは、「松花江上」――1936年につくられ民衆の間に広まった名曲である――の歌唱で東北難民を描く舞台から始まり、延安抗戦を軸に抗日戦争史を歌舞曲に仕立てたものであった。ところどころに第二次世界大戦における欧州の戦の様子も挟み込まれ、今回の会議の正式名称が「中国人民の抗日戦争及び世界反ファシスト戦争の勝利80周年を記念する国際学術シンポジウム」であったことを思い起こさせる内容になっていた。一方、西南抗戦がほとんど描かれていなかったのも、会議の基調発言と軌を一にしている。
軍事パレードの様子は全世界に中継された。天安門付近の参観者は14億人から選ばれた5万人。約2万8000人に1人ということになり、中央の政府機関の幹部クラスであっても、直接、現場で参観できたのは一部に限られていたようである。パレードの実施前後、北京の中心街は封鎖状態に置かれて人通りは絶え、前日の国際会議に出席した参観者は、ホテルを出る時から会場に着席するまでに、空港にあるようなチェックを都合4回受ける仕組みになっていた。会議を主催した党史院の関係者は、炎天下での参観となることにたいへん気を遣っており、参観者一人ひとりに対し飲料や帽子がセットになった小さな袋が配布された。医療関係者も配置され、足の不自由な高齢者の移動を助けるため、車椅子まで用意するという周到さであった。長時間の待機になるため、付近には大規模な仮設トイレ(これはむろん全参観者に対するものであったが)も設置されていた。
41年前、中国留学中の1984年に、国慶節軍事パレードの実況中継を、やはり中国に滞在していた故 石田浩氏(元関西大学経済学部教授)と二人で、上海のホテルの一室でずっと見ていた記憶がある。どこかのんびりした中に、溌剌(はつらつ)とした雰囲気も漂っていたように思う。天安門には趙紫陽と胡耀邦の二人が並び立って閲兵していた。あれから41年が経つ間に、いろいろなことがあった。今回のロシア・北朝鮮の首脳同席は、様々な意味で中国の現在を映し出す情景だったであろう。実況中継のため目の前で動き回るカメラマンが使っていたカメラは、どれもキャノンかソニーの製品だったので、日本の工業製品は、さらに間近でパレードを見ていたことになる。
再び会議のことなど
今回の会議準備の入念さは、異例ずくめであった。提出論文字数の厳格な指定、発言原稿の用意、さらには会議当日の発言者の事前指定から服装に関する注意まで、自分自身、これまでに経験したことがないものであった。抗戦勝利80周年の党・学・軍共同の行事になっていたことに加え、現在の共産党政権にとって、抗日戦争に関するキャンペーンが政治思想教育の要に位置づけられていることも、大きく影響したように思われる。その背後には、中国近現代史学界の様子の紹介でも触れたように、価値観の多様化が進む中、様々な社会問題もかかえる中国の現実がある。われわれとしては、表層のキャンペーンに注意するだけではなく、幅と奥行きを持った中国社会に対する認識を培っていくことが大切となる。