Commentary
抗戦勝利80周年の国際会議と軍事パレード
異例ずくめのキャンペーンから見えた幅と奥行き
しかし、全ての報告が基調発言の線をなぞっていたわけではない。各地の大学から参加した研究者の報告には、日韓の研究も視野に入れた「慰安婦」問題の研究史の全面的な総括(蘇智良)、小農経営に着目した華北の抗日根拠地史研究(李金錚)、南京事件に関する国際宣伝の分析(張連紅)、戦後日本の「太平洋戦争史観」の問題点の考察(高士華)など、広い視野を備えた充実した報告が少なくなかった。また、日本の華北分離工作から盧溝橋事件に至る過程の検討(徐勇)や南京事件に関する松井石根の主張への批判(程兆奇)は、日本の学界における一般的理解とは異なる部分があるとはいえ、日本側の史料と研究成果もよく読み込み、対話が十分可能な研究であったように思われる。こうした多様な研究成果は、改革開放が始まって以来の、中国歴史学の半世紀近い発展の到達点を反映したものであった。というよりも、むしろそうした多様化が進んでいるからこそ、基調報告的な発言が必要とされた、というのが実態に近かったかもしれない。党の役割の強調といういわば表層の公式的な議論だけに目を向けるのではなく、中国近現代史学界の幅と奥行きの広がりにも、よく留意しておきたい。
7月から8月にかけ、廬山(江西省)、杭州、南京をはじめ中国各地で開かれた抗戦勝利80周年に関わる会議では、自分が聞いたところによれば、地域史としての日中戦争史と呼ぶべき内容を含め、商品流通、交通、鉱山開発、金融、衛生など多方面にわたって、さらに多様かつ具体的な実証研究が報告されていた。開催地点からしても、西南抗戦に関わる報告が多くなるのも当然である。その中国には、戦争が終結した1945年の時点で300万人を超える日本の兵士と民間人がいた事実を忘れるわけにいかない。中国で膨大な研究の蓄積を通じて形成される、新たな歴史の記憶とどのように向きあっていくか、日本における日中戦争史研究にも新たな課題が浮かびあがってくる。
苦心の跡が窺える、外国からの出席者の顔ぶれ
約20ヵ国とされた外国からの出席者を名簿で拾ったところ(したがって必ずしも正確なものではない)、日6(在日中国人研究者と在中日本人研究者を含む)、韓4、米2、英2、仏・独・伊・希(ギリシア)各1、ロシアほか4、アフリカ・東南アジア・ラテンアメリカなど7であり、ロシアやアフリカ諸国の場合、国際政治の専門家や対外文化交流の担当者らが多かった。国際会議の形を整えようと苦心した跡が窺える。
日本からの出席者と報告題目を掲げておく。
- 鹿錫俊「独ソ開戦後の日米両国の対独戦略に関する蔣介石の誤った判断」
- 段瑞聡「戦後における昭和天皇の戦争への反省」
- 祁建民「中国の戦場における日本軍兵士の体験」
- 馬場公彦「全面戦争勃発前後における日本の世論形成」
- 石田隆至「戦後日本の平和運動と侵略に対する反省」
- 久保亨「戦時日本の中国調査と戦後の反省」
いずれもこれまでの論稿を基礎に、新たな議論を展開した内容であったように思われる。また韓国の白永瑞は、グローバルな視角から第二次世界大戦に関する中韓両国の共同の記憶を提示し、鄭在貞は朝鮮半島に敷設された鉄道が中国侵略に果たした役割を論じようとした。さらにフランスの D. C. Serfass は日本占領地区における伝記史料のデータベース作成を紹介し、アメリカの M. S. Muscolino は抗日戦争が環境に与えた二重の性格を考察していたようである。
以上の外国からの出席者の報告に関する紹介が「ようだ」となっているのには理由がある。残念なことに、外国からの出席者の報告は要旨集には掲載されていたとはいえ、論文集には全く収録されなかったからである。なぜかは不明である。