Commentary
1980年代の中国はソ連・東欧をどう見ていたか
新刊紹介:『改革開放萌芽期の中国』(晃洋書房)
中国は、この数十年間、中国共産党体制の下で経済発展してきた。社会主義の看板を掲げたままの経済発展は、世界でも特異である。重視される価値観も、「富強・民主・文明・和諧・自由・平等・公正・法治・愛国・敬業・誠信・友善」という変わった組み合わせで構成されている。その善し悪しについては賛否両論あるわけだが、それらがどうであれ、現在の中国を形作った直接的な起源の1つが改革開放の初期の歴史であることは、さほど異論はないだろう。
この初期の歴史は、共産党の公式見解によれば、1978年に始まった。しかし、歴史研究者は、改革開放が実質的には1970年代初頭から1990年代初頭にかけて緩やかに準備され、その後に本格化した、と理解している。1970年代初頭は、中国が文化大革命の中で、日本を含む西側諸国との関係改善に踏み切った時期にあたる。また、1990年代初頭は、鄧小平が天安門事件で世界から孤立した中国を立て直すべく、改革開放に大号令をかけた時期にあたる。
それでは、この時期の中国は、どのように改革開放を準備したのだろうか。
ほとんど語られることがない「1980年代の政治改革」
従来、経済改革については、当事者の回想も含めて、活発な議論が展開されてきた。なぜなら、その歴史は、1990年代半ばから2010年代半ばまでの中国に高度経済成長をもたらした原動力だと考えられ、中国にとって「成功の物語」になりやすいからである。ところが、経済改革とセットだったはずの政治改革、とりわけソ連や旧・東欧諸国が社会主義の政治体制を続々と変化させていった時期に相当する1980年代の政治改革については、ほとんど語られることはない。現在の政治情勢につながる史料の公開は、どの国でも完全ではないため、致し方のないことかもしれない。
しかしながら、1980年代の出来事は、すでに半世紀も前のことである。史料面の制約が大きいとはいえ、研究者は、1980年代の政治改革の歴史についてもさまざまな工夫を凝らしながら、そろそろ歴史化しなければならないだろう。日本でも、知中派か親中派か反中派かにかかわらず、このプロセスの解明が現在の中国政治を深く知るうえで役に立つに違いないという直感にも似た社会的感覚がある以上、研究者は、この社会的要請に応えるべく、学術的基盤を少しずつ固めていかなければならない。