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Commentary

定年制度改革は高齢者就業にどう影響するか
中国家計所得調査(CHIP)のミクロデータから読み解く

厳善平
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授
社会・文化
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少子高齢化と人口減少の難局に立ち向かうため、さらなる法定退職年齢の引き上げと年金給付の制度改革が待たれている。写真は北京市内の公園で運動する高齢者。2023年1月16日(共同通信社)
少子高齢化と人口減少の難局に立ち向かうため、さらなる法定退職年齢の引き上げと年金給付の制度改革が待たれている。写真は北京市内の公園で運動する高齢者。2023年1月16日(共同通信社)

中国では、生産年齢人口(15-64歳)が2010年を境に減少する傾向にあり、就業者の生産年齢人口に対する比率(就業率)も大きく低下している。2024年9月、全人代が法定退職年齢(定年)の引き上げを決定した背景にはそうした事情がある。定年引き上げには、厳しさを増す年金財政の収支構造を改善し、少子高齢化による労働供給の減少を緩和する効果が期待されるが、実際はどうであろうか。小論では、北京師範大学所得分配研究院が2019年に行ったChina Household Income Project(中国家計所得調査、CHIP2018)のミクロデータを用い、後者の定年制度改革の高齢者就業に及ぼす影響を分析してみたい。

定年制度改革の背景と要点

中国の旧定年制度は基本的に非農業戸籍をもつ都市住民に適用され、その主体は党政府機関(党・行政・人大・政協)、事業単位(大学・研究機関・病院・文化事業等)、国有・外資系・民営企業、自営業などで働く非農業戸籍者である。男性は原則60歳、女性は原則50歳(ブルーカラー)または55歳(ホワイトカラー)を迎えた年に定年退職し、国(年金機構など)から年金を受給する仕組みとなっている。ただし、病気、野外や鉱山など過酷な環境下で働いた者は、所定の手続きを経れば早期退職し年金が支給される。

この制度は1950年代に作られたものであり、高学歴化、長寿化が進む21世紀に入ってからは、その合理性も持続可能性も失われている。法定退職年齢の引き上げに関しては、20年以上も前から様々な議論が行われてきたが、複雑な利害関係が絡み合うため、制度改革が先送りされ続けた。少子化が進む中、現役世代と年金生活者とのバランスが維持しにくくなり、労働市場の需給逼迫(ひっぱく)も顕在化するようになった。

この問題を解決すべく行われた2024年の定年制度改革だが、その要点は3つある。第1に、2025年から15年間をかけて、男性の定年を60歳から63歳に、女性のそれを50歳から55歳に、あるいは55歳から58歳に段階的に引き上げる。第2に、2030年から年金受給要件である社会保険料納付期間を15年から20年に延長する。第3に、年金受給要件を満たす者は最大3年間の早期退職を選択できる。ただし、退職年齢が旧法定退職年齢を下回ることは認められない。

都市農村間の就業率格差

中国国家統計局の人口センサスによると、16歳以上人口に占める就業者の割合は2000-20年の間に74.1%から58.2%へと 15.9ポイントも下がった。主な理由として、就業率の高い農村人口が激減していること、大学進学率の上昇に伴う若者の労働市場参入が遅くなっていること、就業率の低い高齢人口が急増していることが挙げられる。

さらに、都市農村間、男女間、異なる年齢層において就業率の格差が大きい。CHIP2018に基づいた図1aが示すように、農村、都市ともに20-40代の就業率はほぼ同じ高水準にあるものの、10代、50代以上においては農村の就業率が顕著に高く、特に55歳以上ではそのギャップが大きい。10代の都市農村間格差は主として進学率の相違、50代以上のそれは定年制度の相違、によるものである。

農村では、性別就業率は男性が高く、しかもそのギャップがすべての年齢層で等しく観測される(図1b)。一方の都市では、女性より男性の就業率が各年齢層で高く、中でも50代においてそのギャップが40ポイント超と際立つ(図1c)。

こうした統計的事実は、定年退職制度が基本的に非農業戸籍をもつ都市住民に適用されること、また、男女間で差別的な定年制度が作られていることに起因する。

図1

定年退職者の基本状況

旧制度下の退職年齢は総じて法定のものより若い。都市の定年退職者を調査したCHIP2018の集計結果によれば、定年退職者の退職時年齢は平均で53.7歳にすぎず、男女別ではそれぞれが57.4歳、50.9歳となっている(表1)。その裏返しだが、男女の勤続年数に7歳近いギャップがある。女性の平均寿命が2020年に80.9歳と男性より5.5歳も長いこと(国家統計局)を考えると、定年制度に大きな問題が潜んでいると理解できる。

表1

 
退職した年次により退職時の平均年齢が異なるものの、全体としては時間の経過とともに退職時の平均年齢が上昇する傾向にあり、また、女性に比べ男性のそれが顕著であることもCHIP2018の集計結果から窺われる(図2a)。

一方、図2bが示すように、旧制度下での希望退職年齢は実際の退職年齢とさほど変わらず、しかも、それが退職した年次と関係なく観測される、という事実も判明する。退職後、潤沢な年金収入が保障されていることがその背景にあろう。

図2

図3は退職前の職場別にみた調査時の年金給付額と退職前の給与を比較したものであり、全体として退職前給与に対する年金が1.47倍になる。つまり、都市の年金生活者はその年金収入が退職時の給与よりも47%多いということである。退職前の職場別にみると、党政府機関や事業単位で働いた者の年金収入が際立って高いことが分かる。

図3

実際、8割くらいの年金生活者は「年金が基本的な生活ニーズを満たせるか」という設問に対し肯定的な答えを出している。「足りない」との回答者は16.5%と少数である(図4a)。その裏返しとして退職後の再就職は全体の8.9%に留まり、8割以上の者は家事等(56.8%)やレジャー・学び(22.0%)に時間を費やす形で老後を送っている(図4b)。

「再就職」の回答者は基本的に年金収入が少ない。図4cから見て取れるように、「再就職」「元職場再雇用」と回答した者の年金月額はそれぞれ平均2170元、2779元と「レジャー・学び」「家事等」と回答した者のそれを下回る。

「年金が基本的な生活ニーズを満たせるか」に対し、「足りない」を選んだ回答者の年金は少なく、「比較的余裕ある」と回答した者の年金の4割くらいにすぎない(図4d)。

図4

要するに、都市部退職者の圧倒的多数は年金だけでも基本的な生活ニーズを満たすことができている。定年後の再就職、元職場再雇用は基本的に、年金が比較的少なく、年金だけでは生活できないような者に限られる。

都市部における高齢者就職の決定要因

都市部における高齢者の就業行動または就労選択をより詳しく分析するため、ここで、CHIP2018の個票データから50-80歳の全サンプル(およそ1万人)を抽出し、調査時点での就業または非就業が個々人の属性や収入とどのように関連しているかを重回帰分析で検証する。

ここでは、就業を1、非就業を0とする従属変数を設定し、年齢、性別、政治的身分(共産党員か否か)、戸籍(農業vs非農業)、月収、教育を独立変数としたLogisticモデルを構築し、SPSSを用いて計量分析した。分析対象の平均年齢は60.0歳、男性が49.3%、共産党員が18.7%、非農業戸籍者が54.3%をそれぞれ占める。また、平均月収は2716元であり、教育水準別の分布は、小卒以下が24.7%、中卒が37.9%、高卒が20.9%、職業高校・中専卒が4.4%、大専・大学・大学院が12.1%となっている。なお、全体の就業率は48.1%(3922/8155)である。

推計結果から得られた主な統計的知見(他の条件が同じ場合における年齢の就業選択に及ぼす効果)は以下の通りである。

第1に、年齢と就業選択の間にU字型の関係がある。加齢とともに就業を選択する確率が下がるものの、一定の年齢を超えるとその確率が反転する。

第2に、女性に比べ男性高齢者が就業を選択する確率が顕著に高い。

第3に、非農業戸籍をもつ高齢者の就業確率が農業戸籍者に比べ顕著に低い。

第4に、収入の多い高齢者ほど、その就業選択の確率が低い。

第5に、教育水準も高齢者の就業選択に有意に影響を与える。中卒の高齢者に比べ、小卒以下または大卒以上の高齢者は就業を選択する確率が有意に高く、高卒の高齢者は就業選択の確率が有意に低いが、職業高校・中等専門学校・大学専科の高齢者では有意な差をみせない。

第6に、一般人と共産党員の間に就業選択の確率における有意な差はみられない。

第7に、高齢者の就業選択における西部地域と中部地域との間に有意な差はみられず、東部地域では就業を選択する確率が比較的低い。

このように、農村から都市に移住した農業戸籍をもつ者は就業を選択する傾向が強く、年金を含む収入の高い人ほど就業を選択しない傾向がみられる。また、低学歴者および高学歴者の両方において、就業を選択する傾向が顕著である。

前述の通り、定年引き上げ後も所定の要件を満たす者には、最大3年間の早期退職が認められる。高額な年金を受給する党政府機関や事業単位の退職者は、定年延長を選ばない可能性が高い。そのため、名門大学出身の高学歴エリートにとっては、就職や昇進の機会が広がることが予想される。厳格な規律検査や管理監督が制度化された昨今の中国では、定年を迎えた公務員は速やかに退職し自由な暮らしを追い求める風潮がある。

結局、定年引き上げによる影響を最も受けやすいのは、農村から都市へのニューカマーや教育水準も収入も比較的低い階層の人々であろう。旧制度の下、いったん退職した後も年金を受給しつつ再就職する彼らは、新制度の下では定年を3-5年延長され、年金受給の開始も相応に先延ばしされる。ただ、50代以上女性の就業率の上昇は幾分か期待できるかもしれない。その意味で、定年制度改革は年金財政の改善に寄与するとともに、労働市場における需給逼迫(ひっぱく)の緩和に一定の効果をもたらすといえよう。

むすび

1980年に始まった1人っ子政策の影響もあり、それ以降の30年間にわたり、中国における生産年齢人口の割合は上昇し続けた。年齢構造の変化に由来する人口ボーナスは中国経済に年平均10%の高度成長をもたらし、無尽蔵の労働供給と低賃金は中国を「世界の工場」として成長させる原動力となったのである。

一方、出生率が急落し、総人口に占める年少人口の割合も低下し、また、長寿化が進み、高齢人口の割合が急速に上昇してきた。中国は中所得国でありながら早くも少子高齢社会に突入したのである。加えて、大学教育の拡張や急速な都市化により、就業率の低下が引き起こされ、都市労働市場における需給逼迫が常態化している。

こうした人口動態を背景に、年金財政の改善や労働供給の増加を図るべく定年制度改革が行われたが、上述の分析結果が示すように、労働供給増の効果は限定的なものにならざるを得ないだろう。高い年金を約束される党政府機関などの職員は改革後も早期退職を選択する可能性が高い一方、収入の低い労働者階層は現に定年を迎えた後も働き続けているからである。

中国経済における労働力不足はもはや変え難い長期的な傾向である。少子高齢化と人口減少の難局に立ち向かうため、さらなる法定退職年齢の引き上げと年金給付の制度改革が待たれている。

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