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Commentary

香港の歴史叙述における「抗日」「祖国」の強調
抗戦・海防博物館の変化

銭俊華
東京大学学術研究員
社会・文化
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中国の「主旋律」を前面に押し出しつつ地元の歴史を語ることは、抗戦・海防博物館が現在の香港に提示している歴史叙述のあり方であるといえよう。写真は香港抗戦・海防博物館の常設展示室。2024年9月11日(筆者撮影、以下同じ)
中国の「主旋律」を前面に押し出しつつ地元の歴史を語ることは、抗戦・海防博物館が現在の香港に提示している歴史叙述のあり方であるといえよう。写真は香港抗戦・海防博物館の常設展示室。2024年9月11日(筆者撮影、以下同じ)

もう一つの注目すべき点は、新館において海防史が利用され、香港が中国の一部であることを示そうとしている点である。常設展の入口に位置する第1展示室「歴代の防衛体制の構築」の入口壁面には、「香港は古来、中国の領土であり、中国から切り離すことのできない一部である」との標語が大文字で掲示されている。この展示室では、唐代から清代、すなわち618年から1911年にかけての「歴代王朝下の香港」における海防の様子が紹介されている。「唐代の香港」「宋代の香港」といった歴史的叙述を通じて、観覧者に対して、香港は古くから中国の政権の統治下にあったという印象を自然と与える構成となっている。面白いことに、このように祖国との関係を示すために展示されている文献において、頻繁に登場する地名が「香港」ではなく、「屯門」(現在の香港新界西端に位置する地域)である。これは、「香港」という名称が文献上に登場するのは、明代の郭棐による『粤大記』巻三十二「広東沿海図」が最も早い事例であるとされていることによるのであろう(注7)。

「主旋律」とは異なる音程

祖国とともにする抗戦、および切り離せない祖国との関係の強調は、返還以降、中国側および香港政府が掲げてきた「主旋律」であり、国家安全維持法の施行(2020年)と反対派の弱体化によって、ほとんど抵抗を受けることなく、新館において全面的に実現された。しかし、それにしても、「主旋律」とは異なる音程が展示空間の中に残されていると見ることは、依然として可能である。

2017年12月時点の旧館には、一つの展示室を占める「英治時期(1841-1860)」と二つの展示室を占める「英治時期(1861-1941)」が設けられていた。2024年9月時点の新館には、「軍事態勢」「港湾施設」「多民族の軍人たち」という三つの展示室が設けられている。展示室の名称には、イギリスの存在は明示されなくなったが、展示内容としてはむしろ充実した。旧館と同様にイギリス軍の香港部隊を紹介するパネルと実物展示のほかに、新館では、香港に駐留した軍艦の基本情報を紹介する、壁一面を占めるデジタル展示も導入された(写真1)。

展示室のほか、博物館の敷地内には鯉魚門要塞の史跡巡りコースがあり、砲台や壕跡といった軍事遺跡には大きな変化は見られないようである。2018年の台風による閉鎖と改修を経て、2022年の再開館時に導入された、香港義勇防衛軍など香港防衛戦に参加した部隊の兵士の銅像(写真2)と、それらの背後に広がる海の景色を背景に撮影できるフォトスポット「Snap@MCD」は、2024年の新館でも引き続き設置されている。

愛国や抗戦、そして古くから切り離せない中港関係といった「主旋律」を前面に押し出しつつ地元の歴史を語ることは、抗戦・海防博物館が現在の香港に対して提示している歴史叙述のあり方であるといえよう。

写真1:軍艦HMS TAMARを紹介するデジタル展示。
写真1:軍艦HMS TAMARを紹介するデジタル展示。
写真2:香港義勇防衛軍の華人兵士の銅像。
写真2:香港義勇防衛軍の華人兵士の銅像。

(注1)中華人民共和国成立後、中央人民政府政務院および国務院は、1945年9月2日に連合国との間で行われた、日本の降伏文書調印の翌日である9月3日を「九三抗戦勝利記念日」と定めた。2014年2月27日、第12期全国人民代表大会常務委員会第7回会議において、9月3日を「抗日戦争勝利記念日」、12月13日を「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」とする決定が採択された。これにより、国は毎年9月3日に抗日戦争勝利を記念する行事と、12月13日に南京大虐殺の犠牲者を追悼する行事を実施することとなった。同年以降、香港政府もこの決定に従い、両日の行事を行うようになった。

(注2)2018年9月の台風による被害を受けて閉鎖・改修を経た後、国家安全維持法の施行後にあたる2022年11月に再開館した時点で、同館はすでに大規模な改修を受けており、本稿で取り上げた「映像と音声により抗戦を語る」「日軍侵華・共に敵に立ち向かう」「抗日ゲリラ隊と敵地後方での活動」「多民族の軍人たち」など、新たな展示室が導入されていた。2022年11月の再開から2024年9月の新館設立までの期間は比較的短く、筆者自身による現地見学も行っていなかったため、本稿では新館の展示内容をもとに、国家安全維持法施行前後における海防博物館の比較を試みるものである。

(注3)Edward Vickers, “Capitalists can do no Wrong: Selective Memories of War and Occupation in Hong Kong,” in Mark R. Frost, Daniel Schumacher and Edward Vickers (eds.), Remembering Asia’s World War Two, New York: Routledge, 2019, pp. 141-142.

(注4)同上。

(注5)同上。

(注6)同上。

(注7)しかも、このときの「香港」は、現在のアバディーン(香港仔)一帯を指していたに過ぎず、香港島全体や、ましてや現在の香港全域を意味するものではなかった。

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