Commentary
香港の歴史叙述における「抗日」「祖国」の強調
抗戦・海防博物館の変化

しかし、初代館長である呉志華によれば、1997年の香港返還を見据え、展示構成は英領時代の内容を維持しつつ、明清時代の展示を加え、香港と広東との関係に焦点を当てるとともに、中国人民解放軍に関する展示も新たに追加されたという。呉はインタビューにおいて、次のように語っている。
もし彼ら〔中国人民解放軍側〕がこれに満足しなければ、博物館にとって大きな問題となる。だから我々は上層部の幹部を招いた。私は彼らをいくつかのギャラリー、アヘン戦争、日本、そして人民解放軍の展示に案内した。私は彼らにすべてを承認してほしいわけではなかったので、訪問前に展示全体のテキストのコピーは渡さなかった。最終的に、私は非常に慎重にすべてを説明した。そして問題はなかった。その後の開幕式では、彼らの政治部門のトップを招いた(注6)。
以上のことから見るに、旧館の展示構成においては、主権移譲後に鯉魚門の海防史やイギリスの存在に焦点を当てる内容が、中国側の不満を招くおそれがあると懸念されていた。そのため、博物館が円滑に開館・運営されるよう、香港と中国の古くからの密接な関係や、駐香港中国人民解放軍に関する内容を展示に組み入れる動きが見られたのである。
香港抗戦・海防博物館の「主旋律」
1931年9月18日の満洲事変以降、特に1937年7月7日に日中間の全面戦争が勃発して以来、香港は避難民の受け入れ、募金活動、軍用品の輸送、抗戦(抗日)に関する情報発信などを通じて、中国の抗戦を支援してきた。1941年12月8日、アジア太平洋戦争が勃発し、香港ではインド兵、カナダ兵、華人兵士を含むイギリス軍と日本軍との間で18日間にわたる激しい戦闘が繰り広げられた。香港の陥落後には、中国共産党系のゲリラ部隊が、香港において情報収集や捕虜救出などの活動を行っていた。このように見ると、「抗戦」はまさに香港の歴史において重要な位置を占めている。しかしながら、この「抗戦」の歴史が必ずしも鯉魚門にある海防博物館に盛り込まれなければならないとは限らない。とはいえ、新たに抗戦博物館を設立するよりも、既存の海防博物館を改修し「抗戦」を組み込んだ方が簡便であったのかもしれない。
新館における主たるテーマは、「海防」よりも先に「抗戦」となった。筆者の現地調査によれば、2017年12月時点の旧館には、「日軍侵港(1941)」および「日占時期(1941-1945)」の二つの展示室が設けられ、いずれもアジア太平洋戦争における日本の香港侵攻および占領に焦点を当てていた。これに対して、2024年9月時点の新館には、「映像と音声により抗戦を語る」「日軍侵華・共に敵に立ち向かう」「日軍侵港」「抗日ゲリラ隊と敵地後方での活動」という四つの展示室が新たに設けられ、「抗戦主題展覧庁」を構成している。二つの展示室の増設は、「抗戦」に関する展示内容の拡充を意味している。特に、「日軍侵華・共に敵に立ち向かう」および「抗日ゲリラ隊と敵地後方での活動」の展示により多くのスペースを割いて、抗戦に対する香港の貢献、香港市民の愛国心、ならびに中国共産党系ゲリラ部隊の香港における犠牲を強調することが可能となったのである。