Commentary
『ナタ 魔童の大暴れ』の成功とその寓意
とことんまで追求された映像表現とストーリー展開の妙

また、「ナタ2」のキャラクターや場面の造形において、青銅器、水墨画、衣装、武器などの中国の美術・意匠の伝統が貫かれているが、それが受け入れられない海外の観客もいるかもしれない。ただ、この点は中国の文化的個性に関わることなので、それがむしろ魅力的だと感じる海外の観客もいるだろうし、無国籍的なキャラクターにしたらつまらなくなってしまうかもしれない。
一方、劇伴音楽の方はグローバル・スタンダードに寄り添いすぎていて、中国の文化的個性を打ち出すことができていなかったのはやや残念であった。ハリウッド映画でも日本映画でも、緊張する場面ではこんな音楽、戦いの場面ではこんな音楽という共通のパターンがあり、「ナタ2」もそうしたパターンにのっとっているため、見ていて違和感はない。だが、その反面、正直なところ、見た後も印象に残るような音楽は何もなかった。
意外に複雑なストーリー展開の寓意
「ナタ2」を海外で受け入れにくくしているもう一つの要因はストーリーが意外に複雑なことかもしれない。不思議な力を持つ子供のようなヒーローが、善良な人々が住む村を怪物たちの襲撃から守るという「風の谷のナウシカ」のような話かと思わせておいて、そこに一ひねりも二ひねりも加わるのである。
主人公のナタの両親は村(陳塘関)を海底に潜む妖怪たちの襲撃から守っているのだが、ナタは強くなって両親を助けるために、天上の仙人たちの世界へ赴き、そこで試練を与えられて仙人を目指す。天上には12人の金仙がいて、6つの星が一列に並んだ時に会議を開き、村を襲う海底の妖怪討伐について話し合う。
この会議のシーンは中央政治局会議を想起させる。その会議を主催する無量仙翁を見て想起するのはもちろんあの人である。
ところが、後半になって実は村を滅亡させた黒幕が無量仙翁だとわかり、ナタは無量仙翁に歯向かう。無量仙翁はナタをその両親や海底の妖怪たちとともに巨大な鼎(かなえ)の中に閉じ込めてしまう。その鼎の蓋はなぜか「$」マークになっている。
鼎の中は高温で、中にいる人間や妖怪たちは高温によって霊丹にされようとしている。霊丹とは無量仙翁たちの力の源泉となる薬なのだ。ナタは海底の妖怪たちと力を合わせて最後は鼎を突き破り、妖怪たちを地上や海中に解放する。
映画の前半の間は、無量仙翁をトップとする仙人界が中国、海底の妖怪たちがアメリカを象徴しているのかと思っていたが、どうやら違うようだ。海底の妖怪たちも中国の庶民なのであって、彼らは高温で熱せられて国力(霊丹)に転化されようとしているのである。労働者たちは身を粉にして働いて外貨準備(ドル)という霊丹を国家にもたらす。だから鼎の蓋が$なのである。身を焼かれる妖怪たちが鼎を突き破ったことは、国力に転化される状況を拒否する意志を表しているのではないだろうか。
(注1)最近刊行された、複数の日本の中国専門家による著作の中で「2022年末まで3年ほどにわたって続けられたゼロ・コロナ政策」という記述を見かけたが、これは誤りである。2020年と2022年には厳しい行動制限が行われたものの、2021年には行動制限が行われていないことはこの映画興行収入の推移が示すとおりである。