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Commentary

萎縮する言論空間にどう抗うか
台湾の「亜亜事件」と龍応台の論考をめぐる論争から考える

阿古智子
東京大学大学院総合文化研究科教授
社会・文化
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国民党軍と共産党軍による激しい戦闘の舞台となった金門島。敵の上陸を防ぐ為に海岸沿いに立てられた杭が今も残されており、異様な光景が広がっている。約2km向こうの対岸に見えるのは中国の廈門(アモイ)。2025年2月撮影(著者提供)
国民党軍と共産党軍による激しい戦闘の舞台となった金門島。敵の上陸を防ぐ為に海岸沿いに立てられた杭が今も残されており、異様な光景が広がっている。約2km向こうの対岸に見えるのは中国の廈門(アモイ)。2025年2月撮影(著者提供)

龍のコラムの問題点について、野嶋は「批判で最大のものはこの文章が『投降主義』に等しく、中国のプロパガンダに迎合しているのではないか、という点だ。台湾の大多数の人々が歓迎できない『統一工作』や『軍事的威圧』を、なんの批判もなく、所与のものであるかのように受け入れているように見えるからだ」と述べている。

先に見たように、龍は昨今の頼清徳政権の対中強硬路線を批判しているが、野嶋は近年の台湾の政党が独立も統一も論じず、現在の繁栄と自由を守れるならば、中国を刺激する独立論を唱えることは控えてきたと見る。さらに、軍事的威圧、スパイ活動、認知戦やサイバー攻撃による世論への揺さぶりなど、中国が仕掛ける統一工作を批判し、「中国の論理からすれば『国家統一のために必要な措置』ということになろうが、台湾の人々が、自由で民主的な方法で自分たちの将来を決めるという原則に立つのなら、(龍が)現在の中国の行為をまず批判せずに、台湾に『中国と交渉しろ』というのは、さすがにリアリズムを飛び越えた敗北主義ではないだろうか」と述べる。

異なる立ち位置から感じる「恐怖」

龍応台は2006年、共産党系の有力日刊紙・中国青年報の付属週刊紙『氷点週刊』が1900年の義和団事件について公的な歴史解釈と異なる観点の論文を掲載し、停刊処分を受けた際には、中国の胡錦濤国家主席に宛てた公開書簡を発表し、共産党政権による言論統制や知識人弾圧を厳しく批判したこともある。戦後家族で台湾に渡って苦難の道を歩み、その後、世界各地で教鞭(きょうべん)をとり、文化部長としても活躍し、プライベートでは国際結婚もしている彼女は、立ち位置の異なる人々の間での調整がいかに重要であるかも、身に染みて理解しているはずだ。

それにもかかわらず龍は、中国共産党が昨今強める統制や圧力の実態を無視するかのようにして、頼清徳政権の問題点を次のように指摘する。

「恐怖はより大きな支配力を行使したいという衝動をも生み出しますが、それはまさに頼清徳総統が追求しているタイプの支配でありましょう。1950年代、私たちは戒厳令下にあり、常に中国の侵略を心配していました。今日、緊張が高まる雰囲気の下、台湾はアメリカの武器を購入し、頼総統は中国を挑発するかのように『敵』という言葉を発しています。両岸交流に関する冷戦時代の疑念の再燃は、人々をあの不安な時代へ回帰させ、平和と台湾が積み上げてきた開かれた民主的な社会を築く努力を脅かすものであります」

頼総統は2025年3月13日、国家安全保障高官会議後の記者会見で、次の5つの脅威に対処すると述べた。(1) 中華民国台湾の前途は必ず2300万の台湾人民が決めるのであり、(台湾の)国家主権に対する中国の脅威に対処する、 (2) 国軍に対する中国の浸透・スパイ活動の脅威に対処するため、軍事裁判制度を復活させる、(3)中国政府が台湾市民向けに大量に中国パスポートや身分証を発行し、国民の認識を混乱させようとする脅威に対処する、(4)国民の中国旅行に対するリスク意識を高め、公職者の訪中情報を公開し、統一戦線工作やインターネットやAIを利用した認知作戦(人間の認知を操作する工作)を通して台湾社会に浸透しようとする中国の脅威に対処する、 (5) 「融合発展」を通じて台湾のビジネスマンや青年を引き付け、経済的に浸透しようとする脅威に対処する。

中国は2005年に祖国統一を法的に推進するとして「反国家分裂法」を制定したが、2024年6月には司法当局が、台湾独立を図り、国家を分裂させる行為に対して最高で死刑を科すとした司法手続きの指針を定めた。台湾は2020年に、中国を「域外敵対勢力」とみなす「反浸透法」を成立させている。

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