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Commentary

孫文 死して100年
遺言状の行方から考える

石川禎浩
京都大学人文科学研究所教授
社会・文化
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孫文を「国父」でも「偉大なる革命の先行者」でもない人間にもどして考えてみる。台湾でも、大陸でも、死後100年を契機にそんな試みがそろそろ始まってもよいだろう。写真は原本が行方知れずになっている孫文の「遺嘱」(遺言状)。Wikipedia「総理遺嘱」の項より転載。
孫文を「国父」でも「偉大なる革命の先行者」でもない人間にもどして考えてみる。台湾でも、大陸でも、死後100年を契機にそんな試みがそろそろ始まってもよいだろう。写真は原本が行方知れずになっている孫文の「遺嘱」(遺言状)。Wikipedia「総理遺嘱」の項より転載。

孫文は中華民国という「国」の「父」

孫文に与えられる尊称は、通常「国父」、あるいは「総理」だが、それは正確に言うと中華民国という「国」の「父」であり、中国国民党という「政党」の「総理」にほかならない。つまりは中華民国を統治する国民党あっての孫文だということである。かれを「国父」に祭り上げ、理想の指導者像をこしらえたのは孫文自身ではなく、かれの後継者たちである。台湾で「民国」や「国民党」の存在感が対外的にも対内的にもビミョーになってしまった今日、それに乗っかる孫文の価値はグッと下がってしまった。それどころか、「中華民国」を引きずることや国民党の復権を不安視、迷惑視する向きには、孫文は無価値どころか、むしろマイナスですらある。台湾の孫文はかなり風当たりの強い100周年を迎えることになろう。

事情は大陸でもそれに対応的で、「一つの中国」という理念と国共合作という歴史体験を共有してくれる国民党が台湾を支配してくれるのであれば、孫文はその理念のシンボルとして、共有財産の如き高い価値を持つ。他方で共産党も、孫文に価値を認めないような政権担当者――つまりは民進党――は絶対に避けたいという思惑では、国民党に近い立ち位置にあるということになる。こうした、もろもろの事情とそれぞれの思惑を抱えて、100周年の日が間もなくやってくる。人気にかげりがあるとはいえ、そこは100周年、大陸、台湾ともにそれに合わせて様々な行事や企画展が予定されている。大陸では郷里広東中山市の孫中山故居紀念館、南京の中山陵など、台湾では言うまでもなく台北の国父紀念館をはじめとして、特別展示、記念シンポジウム、美術展、記念植樹などが目白押しである。

行方知れずの遺言状

こうした記念の年の行事のさいの特別展に出品されるか、わたしが密かに注目している歴史文物がある。孫文が「革命未だなお成功せず」と言い残したかの遺言状、すなわち「遺嘱(いしょく)」〔編集部注:本記事メイン画像参照〕の原本である。こう書くと、「何を寝ぼけたことを。展示されるに決まっているじゃないか。孫文の逝去100周年なんだから、これがなくてどうする」と叱られそうだが、そうおっしゃる方にはぜひ教えていただきたい。あの「遺嘱」の原本は、どこへ行けば見られるのか?

周知のように、孫文には遺書(遺嘱)がある。死の前日に署名したもので、「国事遺嘱」、あるいは「総理遺嘱」「国父遺嘱」とも言う。「余、国民革命に力を致すこと、およそ40年」で始まる全143字、自らの革命生涯を振り返り、同志にその信条と目標を示す簡潔な美文で、文中の「革命未だなお成功せず」の一句がとりわけ有名なのだが、実はその原本は長らく行方知れずなのである。「えっ、台湾の国父紀念館が保管しているんじゃないの」「国民党の最重要文書だから党史會が所蔵しているはず」「故宮博物院?」「民国の資料だから南京の第二歴史檔案館、違う?」「超一級文物なら北京の中国国家博物館でしょう」「共産党が放っておくわけないじゃない、中央檔案館あたりにあるのさ」と、まぁ色々な意見が出るかも知れないが、少なくともこの半世紀ほど、「国事遺嘱」の現物を確認した者はいない。

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