Commentary
中国学とSinology
「漢華圏」平和論序説
友と信の「中国学」へ
漢華圏の中にどっぷりと浸かって、それを中心とする世界イメージを形成してきた江戸時代までの長い歴史の後に、西洋と出会ってより大きな世界の存在をまざまざと知ることになった日本は、西洋中心の世界像を受け入れ、それに追いつこうと努力してきました。この近代化の過程で、日本は自らが漢華圏の先導者となろうとする傲慢(ごうまん)な態度で、この圏域を自らの支配下に納めようと侵略と植民地化の道を歩みました。その戦争に敗れたことによって、ようやく日本は漢華圏との和解の端緒を得ます。1972年の日中国交回復と1978年の日中平和友好条約締結はその画期でした。「友好」、いや「友(ゆう)」は、儒学における五種の人倫関係(父子=親、君臣=義、夫婦=別、長幼=序、朋友=信)の中で唯一対等な関係です。血縁にも権力にもよらないこの関係が維持されるための紐帯(ちゅうたい)は「信」以外にありません。つまり、日本と中国が友好関係を結んだことは、相互の「信」が両者の関係を規定するのだと法的に定められたことにほかなりません。しかも、この相互信頼関係が単に二国間関係を規定するだけでないことは、これらの条約にも明確にされています。
両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである。(「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」1972年)
つまり、日本と中国の友好関係は、アジアと世界の平和に貢献するものであり、そうならなければなりません。漢華圏が長い歴史の中で圏域内外の多様な文化による相互作用の領域であったのは、決して過去のことではありません。むしろ、近代の惨禍を経て再び友好関係を相互に確認し合った今日こそ、その豊かな平和的発展のための条件はそろったと言うべきです。単に「中国」を理解するためにだけではなく、漢華圏の未来を共に想像し、豊かにしていくための智慧としてこそ「中国学」はあります。
北半球の西側で戦火が収まらず、緊張が太平洋にも及ぼうとしている今日、日本の「中国学」はSinologyの歴史に連なることによって、平和な世界を実現するためのモデルを漢華圏から提供していくことができるはずです。