Commentary
中国学とSinology
「漢華圏」平和論序説
歴史的スコープだけではなく、空間的にも「中国」は多元的です。ハーヴァード大学の現代中国文学研究者王徳威は、ここ約十年ほど、「華語語系文学」(Sinophone literature)という方法論を提唱しています。この方法論によれば、台湾、香港や少数民族自治地域のような中華人民共和国の周縁のみならず、東南アジアや欧米の華僑・華人世界もまた、一つにして多様なSinophone(中国語を基幹とする諸言語の総称)圏域の中に納められます。とりわけその周縁に近づくほど、言語的多様性は複雑化し、社会レベルのみならず個人においても多言語使用が日常化して、世界は数多くの異なる声の響き合う世界——ミハイル・バフチンの言う「ヘテログロシア」——として立ち現れてきます。そして、そこはつねに内外を通じる開放性に支えられており、そうであるが故の豊かさとトラウマが混在しながら、未来へ向かっているのです。「中国」の可塑(かそ)性や、そうであるが故の多様性は、それ自体が豊かな可能性の場として、その内外の人々を誘っているとも言えるでしょう。
日本も「中国」の圏域の一部を構成している
実は、「中国」をひとつの圏域であるととらえた場合、最も重要な事実は、わたしたちがこうして毎日を暮らしている社会もまた、その圏域の一部を構成しているということです。そのことは、明治の漢学が日本語話者の文章作法や基本素養としての漢文を含んでいたことからも明らかです。漢字がなくして、日本人の読み書き能力は開花せず、漢字を受容したが故に、日本人は、中国の古典籍を自らの世界観や道徳観、政治社会体制の礎(いしずえ)にしました。神道や日本独自に発展した仏教などに代表される宗教観も、それらがここまで豊かになるための想像力の資源として、漢字が決定的な作用を果たしていたことは否定しようがありません。日本文化が表す世界は漢字を基礎として構成されてきました。もちろんそれらをすべて中国由来のものであると考えるのはナンセンスですが、受容、借用、同化、土着化など、次元の異なるさまざまな変容と生成のプロセスにおいて、Sinophone圏域の周縁であることの特性が活かされており、それによって日本文化が育ってきました。大切なことは、このプロセスが一方的な「中国化」だったのではないということです。例えば近代語彙の日本語から中国語への移入のように、日本から中国への流れもありました。
要するに、Sinophone圏域とは、中央の華夏文化から大きな影響を受けつつ、多様な周縁を開放的に包摂(ほうせつ)し、つねに変容し続けているダイナミックな相互関係の領域であり、日本もその中に入っているということだと思います。Sinophoneはこと言語に着目した概念なので、言語を媒介とするあらゆる文化を含みこむと考えるなら、Sinosphere(サイノスフィア)と呼んでみてもよいでしょう。漢字と漢文化を共有する圏域という意味では、これを「漢華圏」と訳すことも可能かもしれません。ただし「漢字文化圏」という既存のことばを使わないのは、Sinosphereには、漢字を使わないエスニック・グループ(例えばモンゴル、チベット、ムスリム系諸民族、台湾原住民などなど)も包摂されうる弾力性がつねに存在するからです。わたしたちにとってSinologyとは、この多様な圏域の中に棲(す)まいながら、この圏域の未来を共に創っていく学問であるということができます。