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Commentary

中国学とSinology
「漢華圏」平和論序説

石井剛
東京大学大学院総合文化研究科教授
社会・文化
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単に「中国」を理解するためにだけではなく、漢華圏の未来を共に想像し、豊かにしていくための智慧としてこそ「中国学」はある。写真は北京の人民大会堂で日中共同声明に調印する、田中角栄首相(左)と周恩来首相(右)。1972年9月29日。(共同通信社)。
単に「中国」を理解するためにだけではなく、漢華圏の未来を共に想像し、豊かにしていくための智慧としてこそ「中国学」はある。写真は北京の人民大会堂で日中共同声明に調印する、田中角栄首相(左)と周恩来首相(右)。1972年9月29日。(共同通信社)。

清朝打倒を目指す人たちにとって、この問題はより切実でした。なぜなら自らの帰属する国家を清朝であると名乗ることは、清朝打倒の立場としては受け入れがたいものだったはずだからです。こうしたことから、もともとは「国の中央」というほどの意味だった「中国」が、かれらにとって共通のアイデンティティを示す国家の名前として相応しいという考えが生まれてきます。また、中原地域の人々を古来「華夏(かか)」と呼んでいたことを受けて、「中華」という呼び名も生まれてきました。「中華民国」はそうした中から考案された国名です。中華民国の成立は、中国人にとって、自らの国民アイデンティティを託す新しい国家の誕生を意味したわけですから、日本人がその後も国なき文明として「支那」の呼称を使い続けることは、うれしかったはずはありません。

「中国の現状と未来」を理解することとは

日本人の中にも、そうした感情に共鳴し、「支那哲学」や「支那文学」という看板を掲げ続けていた大学の学問に反旗を翻(ひるがえ)す動きが出てきます。竹内好や武田泰淳らによる中国文学研究会結成(1934)がそれです。新しい共和国家として歩み始めた中国の「現状と未来」を正しく認識しようという彼らの野心は、しかし、Chinese studiesと決して同じではなかったとわたしは思います。というのも、彼らは「中国」という当時としては斬新な概念を研究対象に掲げることで、中国に対する日本人の理解のありかたを変えようとしたのであり、それは究極的には、日本語で行われる世界認識のありかたを転換しようとすることでした。その意味では、「中国の現状と未来」を論じながら、彼らが最も関心を寄せていたのは、「日本の現状と未来」であったとすら言えるだろうと思うのです。このことは、竹内や武田の戦後の活躍ぶりから見ても的外れな評価ではないはずです。「中国の現状と未来」は、彼らにとって、他なる対象ではなく、自らが属している世界に対する自らの働きかけの起点であり、自らの未来を切り拓(ひら)く実践の武器でもあったのです。

今日では「シナ/支那」という表現は、日常の表現としても差別語であるという認識が普及して今日に至っています。Sinologyは国際的に広く使われていることばであり、語源のSinaeは「秦」の転訛(てんか、本来の発音がなまって変わること)だと言われていますから、これを日本語的に表した「シナ/支那」に侮蔑的な意味はないという意見も確かにあります。しかし、これまでに述べたような経緯を反省的にとらえるかぎり、それらの経緯を無視していまこれを「シナ学」と呼ぶのは、日本の近代化過程で行われた暴力的な対外拡張の歴史を否定することが恥ずべきであるのと同じように恥ずかしいことであるとわたしは思います。

「漢華圏」としてのサイノスフィア

しかし、Sinologyを「中国学」と訳せばそれですべて解決するかというとそうでもなさそうです。上述のように、SinologyとChinese Studiesは単に呼び方が異なっているのではなく、厳密に言えば扱う対象が異なっています。また、より複雑なことにヨーロッパのSinologyが本来対象にしていた「中国」は必ずしも同時代の中国と同じではないのです。復旦大学の歴史学者葛兆光によれば、中国の領域は歴史的に可塑(かそ)的であり、現在の中華人民共和国の支配領域をそのまま歴史的に不変の固有領域であると考えることはできません(葛兆光『中国は“中国”なのか』、橋本昭典訳、東方書店、2020年)。

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