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Commentary

なぜ中国で「上野千鶴子ブーム」が巻き起こったか?
フェミニズムの停滞と再興

李亜姣
宇都宮大学国際学部助教
社会・文化
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2023年の中国で突然起きた「上野千鶴子ブーム」は、ジェンダー及びフェミニズムを取り巻く中国社会の動向から理解する必要がある。写真は北京市内の書店に並ぶ、中国語に翻訳された上野の著書。2024年2月(共同通信)
2023年の中国で突然起きた「上野千鶴子ブーム」は、ジェンダー及びフェミニズムを取り巻く中国社会の動向から理解する必要がある。写真は北京市内の書店に並ぶ、中国語に翻訳された上野の著書。2024年2月(共同通信)

 日本における中国研究はジェンダーの視点に欠けている。しかし、最近、日本の中国研究者はジェンダー問題に関心を持たざるを得なくなった。その背景には、2019年の東京大学入学式での祝辞をきっかけに中国全土で「上野千鶴子ブーム」(以下、引用を除き「ブーム」と略記)が巻き起こったことがある。また、「ブーム」は日本で開催される講座やセミナーを通して日本に逆輸入され、注目を集めている。

2023年の中国で突然起こった「ブーム」

 東京大学名誉教授の上野千鶴子(以下、上野)は、1970年代前半に日本で誕生したウーマンリブ運動の代表的な人物の一人であり、日本の女性学の先駆者でもある。他方、彼女の日本軍性暴力問題[1]や日本の移民受け入れ問題[2]等に関する言論は時に論争の元になった。

 筆者は最初、日本フェミニズム運動のパイオニアとして上野を知った。その後、お茶の水女子大学の大学院生として上野の特別講義を受講し、上野の学者としての一面も知った。突然中国で上野がブームになるとは思ってもみなかった。筆者が知っている上野には特に大きな変化はなかったが、大きな変化を遂げたのは、むしろ中国のほうである。

 2023年2月以降、「ブーム」は日本の主要メディアによって取り上げられ、報道された[3]。と同時に、「ブーム」の理由を分析する研究も増えた。代表的なのは、中国人民大学の宋少鵬「『上野千鶴子ブーム』とインターネット時代のマーケットプレイス・フェミニズム――苦境と活路」(2024)、東南大学の陸薇薇「中国における上野千鶴子ブームの今とこれから」(2022)がある。上野自身は中国での「ブーム」の背景として以下の4点を指摘している(上野、2023)。

 第一は改革開放後の中国で市場化が進み、中国の若い女性の経験が、ネオリベラリズムのもとの資本主義社会に生きる日本女性の経験と似通ってきたことである。

 第二は「一人っ子政策」の結果である少子化のもとで育った娘たちだということである。両親から息子並みに期待され、高等教育を受け、時には男の子と競争して優位に立ち、のびのび育った娘たちが、社会に出て理不尽な性差別に直面するからである。

 第三は日本の女性の経験はしょせん外国の話、として聞いていられる距離感である。

 第四は中国のフェミニストたちは集会もアクションも難しい状況に置かれている。フェミニズムに国境はない。上野の著作はそういう彼女たちの経験に言語を与える役割を果たしたのではないだろうか、と上野は推測する。

 以上のように、上野本人は、「ブーム」の理由についてネオリベラリズム改革のジェンダーへの影響、一人っ子政策のもとで育った娘たちの苦境、距離感、中国におけるフェミニズム運動の圧迫を指摘した。だが、筆者は「ブーム」が起きた理由は上野が指摘した4点だけではなく、さらに次の4つの理由があると思う。

1.ジェンダー研究の遅れと停滞

 第一は、日本に比べて中国の女性学・ジェンダー研究が遅れていることである。

 1980年代に李小江が率いた婦女研究運動の影響を受け、中国で女性学が創設され、女性学学部や婦女研究センターも各地の大学で開設された。また、一部の大学・大学院には、女性文学とジェンダー文学研究、社会学と女性学、コミュニケーション論とジェンダー等、学際的なジェンダー研究の専攻が各学科の下に設置されるようになった。

 にもかかわらず、現在、女性学学部を有する大学はたったの3校しかない[4]。また、2010年以降、一部の婦女研究センターは創設者の定年退職とともに消滅していった。女性学・ジェンダー関連の学会や研究センターが多数存在する日本と比べると、中国の女性学・ジェンダー研究はかなり遅れている。新自由主義改革や国家主義等のジェンダー研究は海外で盛んに行われているが、中国国内のジェンダー研究は政治的影響で文学や表象研究にとどまるしかない。上野のようにジェンダーと政治経済学の視点から現代社会を分析する研究は中国では非常に少ない。例えば、筆者が監訳者としてかかわった上野の『女たちのサバイバル作戦』[5](写真左奥)は、1985年の男女雇用機会均等法の制定以来30年間、日本女性が教育、雇用、結婚、出産、介護などの場面で直面した課題に焦点を当て、ジェンダーと新自由主義の複雑な関係を体系的に解明したものである。人気書き込みサイト「豆瓣」(Douban)で読者の感想を読むと、上野の日本社会についてのジェンダー研究に共感し、中国にもこういうジェンダー研究が欲しいというコメントが目に付く。つまり、中国社会の現状を分析するジェンダー研究が不足しているため、上野のジェンダー研究が中国の女性が置かれている苦境を理解したいというニーズに応えたわけである。女性学・ジェンダー研究が中国の高等教育において冷遇されている現状は、「ブーム」の大きな背景の一つとなっている。

2.ゼロコロナ政策の影響

 第二の理由として、ゼロコロナ政策によって、中国の社会的再生産領域(Social Reproduction)が大きな打撃を受けたことが挙げられる。多くの人々は市民生活基盤の脆弱(ぜいじゃく)性に気づき、「不婚不育」(結婚も出産もしない)を抵抗の手段として取り始めた。それが上野の知名度をさらに上げる道を開いたのである。

 2018年に中国の行動派フェミニストたちは家庭内性暴力問題防止を呼び掛けるため、「不婚不育保平安(身の安全を守るため、結婚も出産もしない)」を打ち出した。このスローガンは、婚姻制度を批判するものであるが、既婚女性は批判の対象としない。しかし、これに対する反響は当時あまり大きくなかった。一方、2016年以降、若い女性ネチズンを中心にラディカルフェミニズムが登場した。彼女らは、主に「反婚反育(結婚や出産に反対)」、「反服美役(美しさの規範による束縛に反対)」を掲げた。女性の社会的地位が向上する一方で家事労働の負担が続くという矛盾の中、結婚という重荷を下ろして仕事だけに集中しようという呼び掛けが「反婚反育」であり、同じ系統の造語として、「搞銭(お金を稼ぐこと)」、「婚驢(ロバのように働いて石臼を引く女性のことで、男性よりも多くの時間、労力、物資を提供する既婚女性に対する揶揄(やゆ))」などがある。婚姻制度に敵対し、女性内部を分裂させるラディカルフェミニズムの動きは、コロナ禍前から何度もネット上で大炎上したことがある。

 「不婚不育」というスローガンが転換点を迎えたのは、ゼロコロナ政策の最中に起きた出来事がきっかけである。2022年5月、ある若い男性が警察官と対峙(たいじ)しているビデオがネット上で大流行した。そのビデオには、警察官が男性に、「移送[6]」を拒否すれば家族の3世代が処罰の影響を受けると警告する様子が映っている。「我々が最後の世代だ」と彼は警察に言っていた。ゼロコロナ政策を徹底するために一部の地域で末端の管理者たちが行き過ぎた行動制限を実施した結果、さまざまな人災が生じたりするなど、不透明な運用ルールによる生活や仕事への影響が国民の不満を引き起こした。若者にとって、こうした圧迫に対して個人でもできる抵抗は、「不婚不育」であり、先ほどの男性の言葉もその一例である。その後、「不婚不育」は男性を含む広い範囲の若者から支持を獲得し、中国社会への消極的な抵抗に変わった。ラディカルフェミニズムがネット上で掲げたスローガンの「反婚反育」と比べると、「不婚不育」を主張し、能動的に実践する主体が現実社会に現れるようになった。同じ時期に、「躺平(タンピン、寝そべり族)」という造語も流行った。ゼロコロナ政策の不透明な運用ルールによって、社会的再生産のデプリーション(Depletion、枯渇)が発生したと言えよう。

 2023年2月に実施された、北京大学を卒業した3人の女性と上野との対談は、フェミニスト以外の一般の人々が上野の名前を知るきっかけとなった。30代半ばの北京大卒の女性が上野に対して「なぜ20歳ごろから結婚しないと決めたの?男性に傷つけられたの?それとも家庭の問題なの?」と質問したことや、「結婚・出産を経験した女性はフェミニストの最下層に属するのか」といった質問は、世間に大きな波紋を呼んだ。その理由としては、「反婚反育」がこれまで何度もネット上で大炎上してきたことや、「不婚不育」をめぐって男女問わず厚い支持層が形成されたことが挙げられる。また、対談に出た北京大卒のエリート女性たちが、婚姻が権利の剥奪を伴うことに無自覚なだけでなく、他者の「不婚不育」の選択を見下していることがネットなどで批判された。

 これまで上野の名前は、フェミニズムやジェンダーに関心を持つ人々の間でのみ知られていたが、この対談を契機に一気に社会現象となり、より多くの人々に認知されるようになった。

3.中国独自のマルクス主義フェミニズムの再燃

 第三の理由として、中国国内のバックラッシュ(反動)の影響で行動派フェミニストを代表とする自由主義フェミニズムの活動が停滞しており、婦女連(中華全国婦女連合会)をはじめとする国家フェミニズムの見えざる政治も終焉(しゅうえん)を迎える中、中国独自のマルクス主義フェミニズムが再燃していることが挙げられる。上野の『家父長制と資本制』はその再燃に向けて薪を集める役割を果たした。

 2012年以降、20~30代の若い女性を中心にした行動派フェミニストはソーシャルメディア、パフォーマンス・アート、ヴァギナ・モノローグを中心とする演劇、フェミニストセミナー等を通して、アドボカシー(擁護)活動やフェミニスト・コミュニティの構築に力を入れた。2015年のフェミニスト5人姉妹事件[7]以降、フェミニズムへの弾圧が公然化した。こうしたバックラッシュの影響を受けて、行動派フェミニストの活動範囲は公共領域から退かざるを得なくなった。

 婦女連をはじめとする国家フェミニズムは建国(1949年)以来、舞台裏で男女平等的な政策や法律を熱心に推進してきた(詳しくは本サイト掲載「変わりゆく中国におけるフェミニストのもがき」を参照)。しかし、2017年に婦女連のリーダーの一人が、中国共産党と習近平思想の指導の下で婦女連の仕事を進めていくことを強調する傍らで、「女権主義」、「女権至上」といったフェミニズムの概念は、「西側の敵対勢力」が中国を西洋化し分裂させるための策動だとして批判する文章[8] を発表した。

 こうして行動派フェミニズムも国家フェミニズムも、政治的なバックラッシュによって勢力が衰退した。その中で、中国独自のマルクス主義フェミニズムが再燃している。これは、江沢民をはじめとする中国共産党リーダーが提唱してきたマルクス主義婦女観ではなく、中国の特色ある社会主義に適するマルクス主義フェミニズムのことを指す。パンデミック期間中には、1910年代の無政府主義の時代や五・四運動への回帰を望み、女性の主体性を追求する読書会が盛んに行われ、また、マルクス主義フェミニズム関連のポッドキャスト番組も登場した。さらに、留学中の中国人女子学生を中心に構成された新たなフェミニスト・コミュニティも世界各地で続々と誕生している。無政府主義や新たな左翼の道を模索し、政治的主体性を持つ若者が増えたことで、マルクス主義フェミニズム関連の書籍の需要も高まっている。上野の『家父長制と資本制』に加え、マルクス主義フェミニストのシルビア・フェデリーチの『キャリバンと魔女』も2023年に中国で歴史・文化書籍のベストセラー第1位となった。

4.個人に還元されゆくフェミニズム

 第四の理由として、個人の経験や実践とフェミニズム運動や女性学・ジェンダー学とのつながりはこれまで不透明だったことが挙げられる。

 婦女連など中国の体制内の機関で働く国家フェミニストたちは、党体制の家父長制的な側面や個人的な経験について公に発言することができない。行動派フェミニストも運動を優先し、個人の経験や実践については積極的に発言しない。つまり、個人の生活上の経験や実践とフェミニズム運動とのつながりは不透明であった。そのため、上野の書籍のように、日常生活におけるフェミニストとしての闘い方を若者と分かち合う内容は、読者やフェミニストにとって新鮮であり、刺激を受けるものである。典型的なのは、『往復書簡 限界から始まる』、『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』である。この二冊はこれまで中国には存在したことがない、フェミニストになるための入門書である。現代中国社会に生きる女性たちは多様なアイデンティティ(娘、母、妻、女等)と異なる関係を交差して持っているため、上野の著作は字面(じづら)上の男女平等が如何に個人の生活で実践できるかという意味で、抽象的なものを具体化して示してくれたわけである。

 以上、上野千鶴子ブームがなぜ中国で起きたかについて、これまで指摘されていなかった理由をまとめてみた。2024年に入ると、「ブーム」は少し落ち着いてきたが、ポストコロナ時代の中国の現状から見ればまだまだ「ブーム」は終わらないと考えられる。日中関係を表現する時に、「政冷経熱」という言葉はよく使われるが、「フェ熱」も新たに入れるべきではなかろうか。

参考文献

上野千鶴子『中国で「上野ブーム」のワケ ちづこのブログNo. 162』2023年11月3日 https://wan.or.jp/article/show/10902

陸薇薇(2022)「中国における上野千鶴子ブームの今とこれから」https://wan.or.jp/article/show/10361

宋少鵬著、河村昌子訳(2024)「『上野千鶴子ブーム』とインターネット時代のマーケットプレイス・フェミニズム : 苦境と活路」『中国21』60号、191-216頁。

 


 

[1] 1997 年 9 月、日本の戦争責任資料センター主催『「慰安婦」と歴史学』のパネルディスカッションで上野と吉見義明の間で歴史構成主義に関して交わされた議論。

[2]『中日新聞・東京新聞』2017年2月11日付け「考える広場 この国のかたち 3人の論者に聞く」における上野の発言、「平等に貧しくなろう」がネットで話題になった。上野千鶴子(2017)「人口減少か大量移民か? ちづこのブログNo. 113」https://wan.or.jp/article/show/7070を参照。

[3]「動画再生3百万回、中国で上野千鶴子さんブームなぜ 共感呼ぶフレーズ 対談相手の北京大女子に激しい批判も」東京新聞web、2023年4月23日配信 https://www.tokyo-np.co.jp/article/245635

『上野千鶴子さん 中国で「上野ブーム」のワケ』朝日新聞デジタル2023年10月10日配信 https://www.asahi.com/articles/ASRBB6SNQRB2OXIE02L.html

「中国で上野千鶴子著書が大ヒット 若い女性共感、社会現象に」共同通信2024年3月3日配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/6664471a59d40bde5040fdde3dfa8449ebd40f0e

[4] 中華女子学院(北京)、湖南女子学院、山東女子学院の三校である。

[5] 中国語訳のタイトルは、『女性生存戦争』である。2023年7月に郭書言氏によって翻訳され、上海文彙出版社から出版された。上野千鶴子の中国語訳の著作の中で、「豆瓣」の読者評価ランキング上位6位までは、『家父長制と資本制』、『女ぎらい』、『往復書簡 限界から始まる』、『生き延びるための思想』、『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』、『女性たちのサバイバル作戦』(いずれも原著名)である。

[6]コロナ感染者や感染者と同じ空間にいた人たちが別の場所に移送され、隔離されること。

[7] 2015年3月、中国で若手フェミニスト活動家らが、セクシャル・ハラスメントに反対するキャンペーンを計画したところ、警察に1か月以上も身柄を拘束された事件。

[8] 宋秀蓮(2017)「把講政治貫穿于婦連改革和工作全過程」http://cpc.people.com.cn/n1/2017/0613/c227126-29336313.html

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