Commentary
なぜ中国で「上野千鶴子ブーム」が巻き起こったか?
フェミニズムの停滞と再興
日本における中国研究はジェンダーの視点に欠けている。しかし、最近、日本の中国研究者はジェンダー問題に関心を持たざるを得なくなった。その背景には、2019年の東京大学入学式での祝辞をきっかけに中国全土で「上野千鶴子ブーム」(以下、引用を除き「ブーム」と略記)が巻き起こったことがある。また、「ブーム」は日本で開催される講座やセミナーを通して日本に逆輸入され、注目を集めている。
2023年の中国で突然起こった「ブーム」
東京大学名誉教授の上野千鶴子(以下、上野)は、1970年代前半に日本で誕生したウーマンリブ運動の代表的な人物の一人であり、日本の女性学の先駆者でもある。他方、彼女の日本軍性暴力問題[1]や日本の移民受け入れ問題[2]等に関する言論は時に論争の元になった。
筆者は最初、日本フェミニズム運動のパイオニアとして上野を知った。その後、お茶の水女子大学の大学院生として上野の特別講義を受講し、上野の学者としての一面も知った。突然中国で上野がブームになるとは思ってもみなかった。筆者が知っている上野には特に大きな変化はなかったが、大きな変化を遂げたのは、むしろ中国のほうである。
2023年2月以降、「ブーム」は日本の主要メディアによって取り上げられ、報道された[3]。と同時に、「ブーム」の理由を分析する研究も増えた。代表的なのは、中国人民大学の宋少鵬「『上野千鶴子ブーム』とインターネット時代のマーケットプレイス・フェミニズム――苦境と活路」(2024)、東南大学の陸薇薇「中国における上野千鶴子ブームの今とこれから」(2022)がある。上野自身は中国での「ブーム」の背景として以下の4点を指摘している(上野、2023)。
第一は改革開放後の中国で市場化が進み、中国の若い女性の経験が、ネオリベラリズムのもとの資本主義社会に生きる日本女性の経験と似通ってきたことである。
第二は「一人っ子政策」の結果である少子化のもとで育った娘たちだということである。両親から息子並みに期待され、高等教育を受け、時には男の子と競争して優位に立ち、のびのび育った娘たちが、社会に出て理不尽な性差別に直面するからである。
第三は日本の女性の経験はしょせん外国の話、として聞いていられる距離感である。
第四は中国のフェミニストたちは集会もアクションも難しい状況に置かれている。フェミニズムに国境はない。上野の著作はそういう彼女たちの経験に言語を与える役割を果たしたのではないだろうか、と上野は推測する。
以上のように、上野本人は、「ブーム」の理由についてネオリベラリズム改革のジェンダーへの影響、一人っ子政策のもとで育った娘たちの苦境、距離感、中国におけるフェミニズム運動の圧迫を指摘した。だが、筆者は「ブーム」が起きた理由は上野が指摘した4点だけではなく、さらに次の4つの理由があると思う。