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Commentary

肉食の女神の庇護のもとでビールを飲む
中国とインドの農村社会の比較③

田原史起
東京大学大学院総合文化研究科教授
社会・文化
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インド農村には無数の神や女神が存在しているが、神々の間にはベジタリアンの神とノン・ベジタリアンすなわち肉食の神の区別がある。写真は肉食女神の祠前での会食(2014年、インド南部・テランガナ州ペダマラレディ村にて田原撮影)
インド農村には無数の神や女神が存在しているが、神々の間にはベジタリアンの神とノン・ベジタリアンすなわち肉食の神の区別がある。写真は肉食女神の祠前での会食(2014年、インド南部・テランガナ州ペダマラレディ村にて田原撮影)

舞台としての村

 インドに滞在経験のある呑助の読者の方で、筆者と同じような経験を「しなかった」人もいるだろう。思い出してみて頂きたいのは、そのような方は主として都市部それも大都市に滞在されていたのではなかろうか。外国人と接することの多い都市部の知識人や中間階級の人々についていえば、彼ら彼女らは個人的嗜好(しこう)にしたがって、人目を気にせず、ほぼ自由に飲酒しているはずである。しかし、都市の中産階級は基本的に世界中、どこでもマンションに住み、ホワイトカラーの職と自家用車を保有して自由に暮らしている。どこも似たり寄ったりで、その国や地域の特色をさほど顕著には反映してはくれない。こうした人々だけを見ていては地域の真相は分からない。その意味で、地域の特徴をつかむには農村に行ってみる必要がある。ましてや、インドは「村の国」といわれる(M.K.ガンディー『ガンディーからの遺言』)ほどであるから、村に行ってみないことには何も始まらない。

 ペダマラレディ村は、村全体が一つの「舞台」のようにも見える。村民みんなが舞台の上の役者であり、同時に観客のようである。村民たちはそれぞれのカーストや性別、年齢などに相応しい役割を演じることが期待される。他人に見られているからである。カーストが伝統的な職業と結びついているのも、それぞれの持ち場を守り、「演じる」ことの重要性を高めている。といっても堅苦しいものではなく、タブーとされるポイントを回避すれば、その他は存外に自由である。

 たとえば家族成員間の接触のタブーがある。社会人類学の立場から中根千枝が指摘するのは、家族成員は年齢と性別を掛け合わせて四つのカテゴリーに区分される:①年上の男性、②年上の女性、③年下の男性、④年下の女性である。以上のうち、特に接触が忌避されるのは①年上の男性と④年下の女性の間である。筆者のもう一つの調査地、オリッサ州で実際に見聞した例は、兄は弟の嫁を直接見たり、話したりしてはいけないというもの。そのために、ある男性は数十メートルしか離れていない弟の家を訪ねることができない、といっていた。他方で、上記の②年上の女性と③年下の男性のカテゴリーの間の接触となると制約は存在せず、むしろ親密な関係が日常的に形成されやすいという(『家族の構造』)。

 そうしたタブーの最大のものが、異なるカースト間での恋愛・通婚であろう。

 ある時、村の私立学校校長のシュリニバスのバイクで田舎町のラマヤンペットまで酒を仕入れに行った。その帰り道、人気のない野原にバイクを止めて、いつものようにビールを一本ずつ飲んだ。夕闇の中で、シュリニバスが語り出す。

 彼は村で最大人数を誇るムドラージ・カーストの一員であるが、若い頃、他のカーストの女性と仲良くなり、結婚まで考えた。「でも、結婚するとなると、村を出ていかねばならなかったんだ」という。「だから、泣く泣く断念した」。

 現在の妻は同じムドラージの出身で、気立ては良いし、後悔はしていない。二人の子供にも恵まれた。

 このように、カースト間の結婚は、村落の文脈では依然として激しく忌避される。しかし、タブーが存在するということは、見方を変えれば、タブーの要(かなめ)だけ押さえておけば、それ以外の部分では存外、自由な面もあるということだ。上述の通り、家族内の年上の女性と年下の男性の組み合わせが自由かつ親密なのと同じ理屈である。結婚の場合も村という舞台を退場すれば、実際に、結婚の自由もあり得る。

 飲酒という行為もそうしたタブーの一つと考えると、村の表舞台で堂々とやらない、というポイントさえ押さえれば良いことになる。インド(農村)社会を秩序付けている「浄」と「不浄」の関係は、「表」と「裏」のようなものだ。浄はあくまで不浄との関係において浄なのであって、不浄を徹底的に排除してしまっては、浄も成り立たなくなってしまう。飲酒は不浄につながる行為かもしれないが、裏舞台で存在することを許されている。こっそりなら構わない、ということである。

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