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Commentary

分節化していくインド農村社会
中国とインドの農村社会の比較②

田原史起
東京大学大学院総合文化研究科教授
社会・文化
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インド農村の食事は、基本的に主食にカレーをかけて食べることに集約され、他人や社会を必要としない個人的な営為である。写真はプレートの上の小宇宙(2013年、インド南東部・オリッサ州にて田原撮影)
インド農村の食事は、基本的に主食にカレーをかけて食べることに集約され、他人や社会を必要としない個人的な営為である。写真はプレートの上の小宇宙(2013年、インド南東部・オリッサ州にて田原撮影)

 カーストごとの分節化が進むのにも、理由がある。村の24のカーストの分節は、全く横並びの関係ではない。大まかに「浄」と「不浄」の軸で、宗教・儀礼的な意味で縦方向に序列化されている。すなわち、最も「浄」であるバラモン(僧侶)を頂点に、バイシャ(商人)が続き、人口の大部分は「その他の後進諸階級」(OBC)と呼ばれる中位にあり、最下層とみなされるのが指定カースト(SC)や指定部族(ST)のコミュニティである。さらに、「浄」と「不浄」という抽象的概念が具体的に示される場面として、飲食がある。すなわち、肉食と飲酒は「不浄」を代表するものとして、上位のカーストであるほど忌避する傾向にある。一般に、バラモンやバイシャは菜食主義の非飲酒者である。中位カーストの一部も、こうした上位カーストの習慣を真似ることで、自分のカーストの「浄」性を高めようとする(こうした行動は「サンスクリット化」と呼ばれる)。最末端の指定カースト、指定部族などは「浄」に近づくことはもはや気にせず、肉食、飲酒を好むようである。

 研究協力者のラクシュマンの実家、すなわち筆者のホームステイ先の家族は「バンジャリ」という農業カーストに属するが、一家は皆、肉食はするが非飲酒者である。そこには、サンスクリット化のメンタリティもはたらいていたようである。とにかく、両親は家の中にアルコールを持ち込むことを好まなかった。筆者にとっての受難の幕開けである。

 ともあれ、飲酒や肉食の基本的習慣がカーストごとに違っていると、共食することができなくなる。カレーの中に羊肉が入っているのに、ベジタリアンの客を招くわけにはいかないからである。とりわけSCやSTとその他の「一般カースト」との間にははっきりした忌避関係がある。こうして食物規制には、立派な社会学的意味が存在する。それは異なる集団の人々を食事に招くことができないため、友人になれず、ましてや結婚できないために、同じ集団内部での結束が強まり、信仰の共同体が次の世代にも再生産されることである(橋爪大三郎『世界がわかる宗教社会学入門』)。こうして村落単位で見れば、カーストごとの分節化が進んでいく。

 ただ注意すべきは、分節はひたすら小さくなっていくだけのものではない点である。同一カーストは村や地域、さらには国などの空間の制約を超えて、横方向にネットワークを拡大する原理ともなる。

 ――飲酒をこよなく好む筆者が、飲酒を「不浄」とする傾向の強いインドの農村でビールを飲もうとすることで見えてきた、インドと中国の農村社会の特徴とは何か?続きは「肉食の女神の庇護のもとでビールを飲む」で。

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