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Commentary

分節化していくインド農村社会
中国とインドの農村社会の比較②

田原史起
東京大学大学院総合文化研究科教授
社会・文化
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インド農村の食事は、基本的に主食にカレーをかけて食べることに集約され、他人や社会を必要としない個人的な営為である。写真はプレートの上の小宇宙(2013年、インド南東部・オリッサ州にて田原撮影)
インド農村の食事は、基本的に主食にカレーをかけて食べることに集約され、他人や社会を必要としない個人的な営為である。写真はプレートの上の小宇宙(2013年、インド南東部・オリッサ州にて田原撮影)

分節化する社会構造

 抽象的な説明になってしまうかもしれないが、あえて印象論的に、大胆に切ってみよう。インドは一つの巨大な社会であるが、その内部は「分節的」な仕組みがはたらいている。つまり、より大きな集団に「まとまって」いくのではなく、宗教的・文化的な意味で、より小さな集団に「分かれて」行こうとするベクトルがはたらく。集団が小さければ小さいほど、人々のアイデンティティはより身近で、よりしっくりくる対象に求められることになる。

 まずは大きなレベルで考えてみる。ペダマラレディ村が属している「テランガナ州」は、筆者が滞在中であった2014年6月に、アーンドラ・プラデーシュ州から分離独立を果たし、29番目の新しい州としてスタートした。インド独立以降、しばしば新しい州が元々の大きい単位から分節化し、独立してきた。なぜ、独立が必要なのだろうか。専門家の間では色々議論があるだろうが、要は、各地の住民が「我々は彼らとは違う」というアイデンティティを追求するうち、よりしっくりくる、小さい単位の方が重要になってくるからだろう。

 テランガナの場合、言語的にはテルグ語圏として他のアーンドラ地域と共通していながら、歴史的には異なる経験を持っていた。イギリス統治時代、テランガナはムスリムの王様を冠した「ハイデラバード藩王国」に属していた。この藩王国はテランガナ地方に加え、マラートワーダー地方、カルナータカ地方の三つの地域から構成されていた。インド独立後に言語による州編成の原則でアーンドラ・プラデーシュ州に組み込まれてからも、「我々はアーンドラとは違う!」という意識で独立運動が続いてきた。2014年の分離独立はその願いが成就したものだが、ここではかつての「ハイデラバード藩王国」が復活するのではなく、その一部であったテランガナが新しい「分節」として分かれてきている。つまり、統合・合併という動きは(あるのかもしれないが)少なく、分離・独立こそがインド社会の基本ベクトルに見える。

 より小さいレベルでの分節化として、2014年から2019年の間に、県や村でも分離・独立が起きている。調査地の場合、かつてのニザマバード県からカマレディ県が分離・独立した。また、かつてのペダマラレディ村からは、周辺集落であるアヤワリパリィとマルパリィが分離独立し、新しい「村」(グラム・パンチャーヤト)を成立させている。

カーストごとの分節化

 現在人口5000人強で、巨大な一つの集落からなるペダマラレディ村でも、「我々村民!」というまとまりの意識は弱い。ここでも人々のアイデンティティは、村という大きな単位よりも、伝統的職業で区別されるカースト・コミュニティに分節化しがちである。村は、24ものカーストと、一つのムスリム・コミュニティ、合計25のグループに分かれている。重要なことは、それぞれのグループは現在でも内婚の単位であり、つまり他のグループとの間の通婚は許されてないことである。結婚式や、カーストごとの祭祀で集(つど)って飲食する場合も、同一カーストのメンバーだけが招かれる。

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