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Commentary

分節化していくインド農村社会
中国とインドの農村社会の比較②

田原史起
東京大学大学院総合文化研究科教授
社会・文化
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インド農村の食事は、基本的に主食にカレーをかけて食べることに集約され、他人や社会を必要としない個人的な営為である。写真はプレートの上の小宇宙(2013年、インド南東部・オリッサ州にて田原撮影)
インド農村の食事は、基本的に主食にカレーをかけて食べることに集約され、他人や社会を必要としない個人的な営為である。写真はプレートの上の小宇宙(2013年、インド南東部・オリッサ州にて田原撮影)

「社会的非飲酒者」の国

上記(中国の農村での棟上げ式と大宴会)のような中国での「農村調査」を常としてきた筆者が、2009年から新領域プロジェクト「ユーラシア地域大国の比較研究」に関わったことは、一つの転機であった。以来、ロシア農村、インド農村にも複数の拠点を持ち、定点観測を行うようになった。インドの拠点の一つは、テランガナ州のぺダマラレディ村である。

インドでの農村調査を楽しく遂行できるか?この点はかなり、調査者の個人的な、特に酒に関わる嗜好(しこう)性に左右されると思う。正直にいえば、インド農村は、筆者を含む個人的飲酒者にとってはなかなかにしんどい現場である。酒にアクセスすること、そして堂々と飲むこと、この二つが高いハードルとして聳(そび)え立っているからだ。いっぽうで、「社会的飲酒者」、あるいはそもそもが非飲酒者のフィールド・ワーカーにとっては、インドの村は(酒を飲まなくて済むという意味で)願ったり叶ったりの現場であろう。

幸か不幸か飲酒を好むという筆者の性癖のため、ぺダマラレディ出身で筆者の研究協力者であるラクシュマンは、調査への協力のみならず、ビールやウイスキーの調達役も演じる羽目になってしまった。彼自身は非飲酒者で、内心ではアルコールを嫌悪しているであろうから、大変申し訳ない気分で調査期間を過ごした。いっぽうで同じ村のシュリニバスは、筆者が飲酒を欲した際の酒の友である。彼はラクシュマンの幼馴染で、村の私立学校校長をしている。「ビールくらい、別にいいんじゃない?」といって、酒に付き合ってくれる。村内の「闇市」で仕入れて日の落ちたあと屋外で一緒に飲む他、しばしばバイクに3人乗りして、30分ほどかけ、近隣の田舎町であるラマヤンペットに酒を調達に出かける。

中途半端に栄えた農村の中心地の例に漏れず、この田舎町も常に人やバイク、飲食店や露店で溢(あふ)れかえり、埃っぽい舗装道路には至る所にゴミが散乱している。中国でいえば都市と農村の間にある「鎮」のイメージに近い。低い店舗の屋根や街路樹として使われるガジュマルの上には猿の親子が散歩している。店舗の一つには物々しい鉄格子がかかっており、それが酒を販売するライセンスを持ったリカー・ショップである。インドでは、誰でも酒を売って良いわけではないのである。

小さな出来事

2014年の盛夏、ぺダマラレディ村への滞在中のこと。所用でラマヤンペットに来た際、村に戻る前に、近場でバーを探して呑んでいくことにした。「バー」は表通りから少し奥まった、目立たない場所にある。場末のそのまた場末といった空気が漂う。というのも、床はゴミだらけ、掃除が行われている気配も全くないからで、目を血走らせた男たちが、一人か二人組でやってきて、人目を忍んでウイスキーをあおるといった風情なのである。ゆったりビールを飲む、あるいはつまみの料理を楽しむ、そんな場所ではない。飲酒という「悪事」をやらかすためのアンダーグラウンドな隠れ屋。それが、インドの田舎町のバーである。我々3人組は、スパイシーなインド式スナックをつまみに、ウイスキーを飲んだ。もちろんラクシュマンは酒には手をださない。

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