Commentary
中国の農村での棟上げ式と大宴会
中国とインドの農村社会の比較①
ある社会で「当たり前」のことが別の社会では当たり前でない。考えてみれば、この道理自体「当たり前」であるが、一つの対象地域に惚れ込んで地域研究をしていると、存外、その地域の特性が見えなくなってしまうこともよくある。たとえば中国社会の特徴を大きくつかもうとする際には、巨大な農業社会として多くの歴史社会的前提を共有するインドと比較するのが有意義だろう(中根千枝『中国とインド』)。
新しい地域に踏み込もうとする際、こまごまとした「地域研究的」な予備知識はあまり必要ないかと思う。中国農村で慣れ親しんだフィールド・ワークのスタイルをインドの農村に持ち込もうとするとき、どのようなノイズが立ち上がってくるのか、まずはそこに耳を澄ませばよい。フィールド・ワーカーが新しい土地でおそらく真っ先に気づくのは、飲食のあり方の差異である。その違和感に向き合った瞬間、社会の比較が始まる。
以下、まずは中国の現場に遡(さかのぼ)り、山東半島にある果村から説き起こそう。
棟上げの日
中国大陸から朝鮮半島に向かってまるでツノの如く渤海に突き出した山東半島。その半島の北端に蓬莱市がある。中国には同じ「市」といっても、直轄市、地区級市、県級市と三つのレベルがある。蓬莱市は、元々は「県」であった、すなわち県級市に属する。
調査地の「果村」は蓬莱市の中央付近にある。当地としては平凡な村であるが、筆者にとっては特別な存在である。中国農村や、もっといえば中国社会のなんたるかを様々な側面から教えてくれた「教室」のような場所だからである。とすれば、そこに住む村民たちは、さながら自分にとっての「先生たち」だったことになる。
2000年代の果村では、農閑期である夏に家屋を新築する世帯が多かった。経済の発展した沿海部に属し、若者の就業機会も多い果村では、内陸農村のように長期にわたって村を離れ、遠隔地まで出稼ぎに行く必要はない。20代後半から30歳くらいで息子たちが身を固めるタイミングで、村の中に若夫婦の家を新築するのである。30歳代の若い村民が村に残っているから、村全体に「活気」のようなものが感じられる。
筆者が村に滞在中であった2006年8月16日、家屋新築中の「棟上げ」の行事を控えた世帯が近隣に二軒あった。果村での筆者のホームステイ先は「兄貴分」の池道恵さん宅。村内に10ある村民小組のうちの第9村民小組で、棟上げの世帯も同じ村民小組に属している。村民小組の前身は人民公社時代の「生産隊」。ある種の運命共同体であり、血縁者も多く含まれ、普段から濃密な付き合いが見られる。果村の場合、村民小組が果物畑の灌漑(かんがい)などでも一つの重要な管理主体をなしているため、余計に重要な単位として残り続けている。