Commentary
香港を支えた馬たち
競馬と社会に思いを馳せる
私はこれまで自分の手を汚さずに工業的畜産に頼るばかりで、家畜や家禽(かきん)を過剰に消費し、動物実験を経て開発された薬品やワクチンを使ってきた。急に道徳的な高みに立って動物の福祉を論じるのはおかしいが、前述したように香港ジョッキークラブの寄付により設立された多くの社会・文化・教育の施設から見ると、香港社会は馬によって成り立っていると言っても過言ではないだろう。さらに、競走馬は単なる金のなる動物ではなく、騎手の命や調教師のキャリア、そして馬主の栄光がかかっている。このように、馬は人間との信頼関係が深い。人間性を重んじる現代社会で、その信頼関係を簡単に裏切ることはもはや許されないはずだ。
香港社会とともに歩んできた
競馬は香港社会とともに独自の歴史を歩んできた。19世紀にはイギリス人の趣味であり、一部の住民の休日の見世物だった。20世紀前半に入ると、クラブのメンバーシップが徐々に華人エリートにも開放されるようになり、特に戦後には多くの一般住民の娯楽となっていった。1846年に設立されたハッピーバレー競馬場の他に、ニュータウン開発計画に伴い、1978年に沙田競馬場も開設された。地域の住民に就業機会を提供し、1980年代以後の沙田区というニュータウンの発展と成功も象徴する場所だった。
イギリス時代には、総督カップや軍隊に由来する「センチュリオン」(百人隊長)や「グルカ」(戦後香港にはネパールの山岳民族出身者からなるグルカ部隊が駐留していた)と名付けられた特別レースがあった。1997年の香港返還後も、現在に至るまでクイーンエリザベス2世カップという重賞レースが毎年開催されている。香港競馬はイギリスの伝統を受け継ぎながら、地元出身の華人騎手や調教師が育ち、外国産の香港馬とともに海外のGI競走で活躍している。先進国並みの水準に到達した香港競馬は、近年では中国馬術協会と協力し、「国家の競馬と馬産業の発展を促進しよう」という方針を打ち出している(賽馬新聞、2023年5月5日)。また2018年には、すでに述べた広東省広州市の香港ジョッキークラブ従化競馬場が開設された。この競馬場は現在、トレーニングセンターとしての機能しかないが 、将来的には中国大陸における競馬事業の拠点となる潜在力もある。以上の香港競馬の発展を見ると、まるで香港の縮図や宿命にも思えてくる。偶然にも、隣のマカオ特別行政区にあるマカオジョッキークラブは経営難に陥り、今年の4月1日に政府との競馬運営権契約を解除された。1980年代から本格化したマカオ競馬の幕は閉じた。香港ジョッキークラブは、将来開放される可能性がある競馬事業を牽引する、中国で唯一の老舗企業となっている。
中国大陸を視野に入れるなら、さらには人間中心主義から一歩引いて考えるなら、馬にとっては香港競馬の将来はどうでもよいことなのかもしれない。馬たちは殺処分されるよりもむしろ、馬主が支払った購入費や競馬団体の収益から養老年金を受け取り、中国大陸の広々とした土地の一角で、余生を過ごすことを望んでいるだろう。