トップ 政治 国際関係 経済 社会・文化 連載

Commentary

香港を支えた馬たち
競馬と社会に思いを馳せる

銭俊華
東京大学大学院総合文化研究科博士課程
社会・文化
印刷する
競馬は香港社会とともに独自の歴史を刻んできた。写真は香港カップを制したロマンチックウォリアー(左端、2023年12月10日)。2024年6月の第74回安田記念でも優勝した(共同通信)
競馬は香港社会とともに独自の歴史を刻んできた。写真は香港カップを制したロマンチックウォリアー(左端、2023年12月10日)。2024年6月の第74回安田記念でも優勝した(共同通信)

 また、2022年には計549頭の馬が引退したが、香港ジョッキークラブはこれらの馬たちのその後について公表していなかった(『香港動物報』2024年1月15日)。香港ジョッキークラブの公式サイトによれば、1964年以来、同クラブが「リスタート・引退競走馬プログラム」(RESTART Retired Racehorse Programme)を行い、引退馬を新界の双魚河に位置する傘下の馬術学校に送り、「休養の家」を提供してきたという。2018年には広東省広州市で、東京ドーム32個分の広さを持つ香港ジョッキークラブ従化競馬場が開設された(中国大陸ではまだ競馬が開放されていないため、この競馬場はトレーニングセンターとしての機能しかない)。その2年後、同競馬場の引退馬センターが双魚河馬術学校の再調教センターと協力し、馬の再調教に取り組むことになった。しかし、従化側の最大収容頭数は60頭であり、双魚河は80頭だ。毎年の引退馬が400から500頭程度とされていることから見ても、この収容能力では半数だけでもすぐに一杯になると考えられる。

 同クラブもまた、2025年シーズン以降、馬主が引退馬を海外に送り出す場合、従来の輸送費支援金の上限10万香港ドル(約200万円)に加え、5万香港ドル(約100万円)を支給すると発表した(『明報』2024年4月12日)。しかし、馬の養老費用は高額だ。2025年シーズンから同クラブに所属する競走馬は月3万香港ドル(約60万円)かかる(同上)。引退後は調教料や運動料が不要かもしれないが、厩舎(きゅうしゃ)の預託料、飼料代、装蹄(そうてい)、医療などの費用が必要だ。本来の半額になるとしても、高額な費用がかかることに変わりはない。法的措置や経済的誘因がなければ、賞金を狙い自馬の優勝を誇りたい馬主が、使えなくなった馬に資金を費やすだろうか?

 もし馬主が自分で引退馬の行き先を決めない場合、香港ジョッキークラブに委託ができる。「競走馬の引退」(Racehorse Retirement)という申込書には、「香港ジョッキークラブの判断に委ね馬の処分を決定する」というオプションがある。その下には「当クラブは、当クラブが認めた香港/中国本土/海外の乗馬団体に馬を送る/寄贈することができる。当クラブにより馬が馬術の用途や輸出に適さないと判断された場合、その馬を安楽死させることができる」と太字で付記されている。同クラブが関連情報を公開しない限り、馬の行く末について確定的なことは言えない。例えばフェアリーキングプローンのように、安楽死を免れて引退し、地元の馬術学校で暮らし、さらにニュージーランドで余生を過ごせた競走馬がたくさんいるなら、そのデータを公開し、馬の余生を心配している人々に安心感を与え、引退馬保護活動を推進する世界の模範になってほしい。

 2023年、日本の農林水産省畜産局競馬監督課がまとめた資料によると、中央競馬と地方競馬の競走馬の登録抹消頭数は計11,024頭だった。そのうち、斃死(へいし)した馬は1,060頭で全体の10%を占めている。再登録(中央競馬から地方競馬へ、またはその逆)が3,961頭(36%)、乗用馬への転用が3,257頭(24%)、繁殖用が1,281頭(12%)、研究用が15頭(0.1%)、その他が1,450頭(13%)となっている。見たところ、登録抹消された馬は多様な行き先があり、特に乗馬クラブや大学馬術部などの乗馬施設が重要な受け皿として機能しているようだ。しかし、日本馬事協会が公開した資料によれば、1994年から2014年にかけて日本の乗馬施設で供用されている乗用馬の数が約10,000頭から15,000頭に増加している。その一方で、乗馬人口が急速に増加していないことを考えると、仮に毎年約2,000頭の競走馬が乗用馬として移転されるとしたら、相当数の乗用馬を乗馬施設から追い出さなければならない状況だろう。養老牧場が少ないため、天寿を全うできずに殺処分される馬の数は依然として多いと考えられる。

 日本とは異なり、香港には生産牧場がないので、境内で繁殖への転用は行われていない。香港ジョッキークラブの下には屯門、薄扶林、鯉魚門、双魚河に位置する馬術学校があり、民間の乗馬クラブもいくつか存在するが、日本の全国に点在する乗馬クラブや大学の馬術部とは比較にならない。そのため、競走馬から乗用馬への再調教の機会も非常に限られている。

1 2 3

Copyright© Institute of Social Science, The University of Tokyo. All rights reserved.