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Commentary

中国社会の自己認識と改革開放史研究
改革開放を歴史化する新たな潮流を読み解く

中村元哉
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授
社会・文化
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中国の制約のある学術環境下にあっても、世界の学者と対話可能な改革開放史研究が育ちつつある。写真は北京の国家博物館で開かれた、改革開放40周年の展覧会を訪れた人びと。2018年11月(共同通信)
中国の制約のある学術環境下にあっても、世界の学者と対話可能な改革開放史研究が育ちつつある。写真は北京の国家博物館で開かれた、改革開放40周年の展覧会を訪れた人びと。2018年11月(共同通信)

 以上のような改革開放史研究の変化を「習近平時代を政治的に高く評価しようとしているに過ぎない」として一蹴することは、簡単である。しかし、もしかしたら中国の研究者たちは、改革開放史の問題点も含めて学術研究を客観的に展開できる条件を少しずつ獲得しているのかもしれない。このような兆(きざ)しが今後どのように現れてくるのかは、海外から中国社会の現状を観察する際に、一つの重要な手がかりになるだろう。

改革開放史研究をめぐる国際学術交流

 現在、世界の多くの中国研究者は、改革開放の実際の起点が1970年代後半ではなく1970年代前半にあること、改革開放という中国語が正式に初めて使われたのが1980年代前半であること、改革開放が実際に軌道に乗ったのは1990年代前半であることを共通の理解としつつある。このような学術的理解は、実は、中国社会の一般的な改革開放に対するイメージ――ただし起点に関するイメージを除く――とも重なるものである。上述の孫揚氏の見立てによれば、中国の多くの人たちが真っ先に思い浮かべる改革開放とは、文化大革命(1966-1976年)後の約30年間、とりわけ1980年代から1990年代の時期だ、とのことである。

 だからこそ、中国の研究者が現在までの約50年の改革開放史を一気に歴史化することは難しいにしても、中国の研究者たちが、中国社会の一般的な理解に基づいて、まずは1970年代から1990年代までの改革開放史を学術的に紐解(ひもと)いていけば、その取り組みは、日本を含む世界の中国研究に刺激を与えると同時に、世界の中国研究者が改革開放史をグローバルヒストリーのなかに位置づけようとする機運をますます高めていくことになるだろう。

 もちろん、グローバルヒストリーとして改革開放史を理解することは、中国の研究者を介して、即座に中国社会に受け入れられるわけではない。なぜなら、ここまで確認してきたように、中国には中国の改革開放史に対する独自の論法があるからである。

 ところが、である。私たち海外の中国研究者が中国の改革開放史研究を丁寧に確認すると、日本や欧米圏の問題関心にも通じる整理・分析・考察が随所に散りばめられていることに気づかされる。

 たとえば、中国の一部の研究者は、改革開放に大きく貢献した経済学者呉敬璉(ごけいれん、1930年-現在)に対して、日本や欧米圏の中国研究者と足並みを揃えるかのように高い関心を示している。それを物語るかのように、『呉敬璉文集』(呉敬璉〔兪可平主編〕、中央編訳出版社、2013年)が出版された。この呉敬璉という経済学者は、1980年代の経済改革モデルには、改良型ソ連モデル(ポスト・スターリン時代の計画経済モデル)、旧東欧モデル(市場社会主義モデル)、東アジアモデル(日本を含めた政府主導の市場経済モデル)、欧米モデル(自由市場経済モデル)があり、当時の中国では旧東欧を参照しようとする動きが強まっていたとはいえ、現在から1980年代を振り返ってみると、当時の世界の趨勢(すうせい)が東アジアモデルと欧米モデルへと向かっていたことは明らかだとした。このように呉は、日本や欧米圏の中国研究者には受け入れられやすい改革開放史理解を示し、それ故に、中国社会においては、リベラルな国際派知識人として知られるようになった。

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