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Commentary

魯迅研究の隆盛は何を意味しているのか
その深いポテンシャルを考える

鈴木将久
東京大学大学院人文社会系研究科教授
社会・文化
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魯迅は時代によって多様な読み方がされてきた。写真は天津市の内山書店に設けられた、魯迅の書籍や書簡などが閲覧できるスペース。2023年1月23日(共同通信社)
魯迅は時代によって多様な読み方がされてきた。写真は天津市の内山書店に設けられた、魯迅の書籍や書簡などが閲覧できるスペース。2023年1月23日(共同通信社)

 近年、中国で注目すべき魯迅研究が続々と生まれている。魯迅はいうまでもなく近現代中国において最も重要な文学者である。近代文学の創始者であり、しかも文学史を代表する作家である。当然のことながら魯迅についての研究はアカデミズムの世界では絶えることなく生み出されている。しかし近年の成果は、アカデミズムにとどまらない意味を持っているように感じられる。

 多くの偉大な作家にあてはまることだが、魯迅もまた時代によって多様な読み方がされてきた。魯迅をどう読むかは、時代を反映している。

多様な読み方がされてきた魯迅

 毛沢東時代には、魯迅は中国革命の精神を象徴する人物とされ、いわば革命者としての地位が与えられた。魯迅については、前期と後期を分ける考え方があった。「狂人日記」や「阿Q正伝」など著名な文学作品を書いた1910から20年代と、時事的なテーマについての「雑文」が執筆の中心になり、マルクス主義を受け入れたとされる1930年代を分ける考え方である。毛沢東時代には、前期から後期に向けて魯迅の思想が進歩したとされた。1930年代に書かれた雑文に、魯迅精神の精華である革命的な戦闘性が見出されることが多かった。

 ところがそのような時代に、魯迅についての新しい読み方が生み出された。新たな魯迅を見出したのは、文化大革命時代に農村や工場に下放(かほう)した知識青年と呼ばれる世代であった。たとえば代表的な魯迅研究者の一人である銭理群(せんりぐん)氏は、若い頃から毛沢東と魯迅の二人の影響のもとで成長したと告白している(銭理群『毛沢東と中国』青土社、2012年参照)。彼らにとって毛沢東と魯迅の著作は経典であった。もちろん毛沢東の解釈にしたがって魯迅を読むこと、つまり革命者として魯迅を読むことが求められていた。しかし興味深いことに、都市から離れた下放先で魯迅の文章をじっくり読んだ結果、革命者に収まらない魯迅の多面的な思想が見えてきたという。つまり、当時のイデオロギーのもとで魯迅を読んだのだが、文章を真摯(しんし)に読んだことによって、イデオロギーを超える意味を読み込んだ。魯迅の文章には、そのような力が含まれている。

 文化大革命が終わり、知識青年たちが大学に戻った1980年代、魯迅研究は大きな成果をあげた。当時の知識界の大きな課題は、文化大革命を反省し、新しい近代化の道を探ることだった。そうした中で、かつての魯迅研究と異なり、魯迅が人間の複雑な精神構造に関して独自の視角から探究していたことが注目されるようになった。魯迅の個人主義や人道主義の思想が論じられはじめた。論者たちが注目するポイントも、1930年代の雑文ではなく、1910年代から20年代に書かれた虚構性を持つ文学作品や、文学活動を本格的に始める以前の日本留学時代に向かった。その時代の活動から、魯迅特有の啓蒙思想が生み出される契機が読み取られた。かくして魯迅は、20世紀初頭の中国において啓蒙のために奮闘し、中国の精神思想史に大きな足跡を残した希有(けう)な知識人となった。すなわち文化大革命中に下放先で新しい魯迅の読み方を見出した青年たちが、1980年代の啓蒙の時代に合致するような魯迅研究を生み出した。あるいは、青年たちによる魯迅研究の新たな展開が新啓蒙思潮を導く原動力となったと言えるかもしれない。

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