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Commentary

中国中央公文書館、その謎めく内部を探訪する
中国共産党史研究者による回想録

楊奎松
北京大学教授(定年退職)、華東師範大学「紫江学者」
社会・文化
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2011年5月、北京の中央檔案館で、中国の歴史的重要資料について記者団に説明する館員。その内部は、いまだに秘密に包まれている(写真:共同通信社)
2011年5月、北京の中央檔案館で、中国の歴史的重要資料について記者団に説明する館員。その内部は、いまだに秘密に包まれている(写真:共同通信社)

妬みと嫉み?

 私は決して怒りっぽい人間ではないが、そのときばかり衝動的になりかけたのは、その某処長が私の1年間余りの努力の結晶を消し去ってしまったから、というわけではない。これが彼の仕事であると私もわかっていた。私が彼を問い詰めたくなったのは、それまでにあった一連の出来事により、彼のやり方が実に腹立たしいと感じていたからだった。

 某処長は白髪頭のベテランで、年齢的に次の昇進の芽はないようだったが、政治的警戒心は依然としてとても高かった。彼と初めて会ったのは、私が二回目の資料調査に来たときで、当時私が閲覧室で公文書の書き写しに没頭していたところ、なぜだか知らないが、彼がわざわざやってきたようだった。私は彼が入ってきたことに気付かなかったが、彼はいつの間にかひっそりと私の背後に立ち、公文書を書き写すのを眺めていた。頭の後ろに気配を感じ取り、振り返るとようやく、彼は何事もなかったかのように机の前に来て、表情を崩すことなくこう尋ねた。「そんな公文書を見て何の意味があるんだ?」「なぜ中央檔案館に資料調査に来た?」というように。彼が言いたいのは、私の知りたい問題は中央の決議や党史の教材に既にはっきりと書いてあるのだから、私のような若造が来て自分で研究する必要があるのかということだ。これは私が所属していた部門の老主任が言ったことと似ている。「君が賢いからと言って、党中央、毛主席より賢いっていうのかね?」それからさらに、彼は一通り話し続けた。中央の公文書がいかに重要であるかということ、党と国家の機密に関わっており、公文書を自由に書き写すことはできないこと、檔案館による審査を受ける必要があり、書き写したからと言って持ち出すことはできないこと、云々。

 後から知ったことだが、改革開放後に中央檔案館が個人による資料調査の申請を許可するようになって以降、私は調査に来た最もキャリアが短く若い学者であった。私は中央や地方の党組織から委任された執筆チームの一員として調査に来たのではなく、中央党校の責任者の許可を得たとはいえ個人の身分で来た若い編集者に過ぎないため、特に目立ってしまった。それまでの仕事の習慣や政治的警戒心ゆえに、その老同志がそこまで敏感になっていたというのも無理はない。実のところ、こうしたことはもともと覚悟していたし、たいしたことだとは思っていなかった。

 その後はなかなか思い通りにはいかなくなった。私が資料調査を始めてから1年ほど経ったある日、仲良くなっていた檔案館のある若者が突然やって来て、小声で私に某処長と何かあったのかと聞いてきた。その理由は、彼が午後の勤務時間に手荷物預かり所を通りかかったところ、ちょうど私が預けた荷物を某処長が物色しているのを見かけたからだった。こうしたことはそれまでに見たことがなかったため、とても意外に思い、私が某処長の機嫌を損ねたか、あるいは某処長にルール違反が見つかったのではないかと疑ったのだった。

 それを聞いて私は、なんとも言えない気持ちになった。かばんを含め、荷物はすべて施錠しておいており、その鍵は自分で持っている。某処長は受付にあった予備の鍵を使って、私の荷物が入った棚を見つけ出し、公文書を見ている間にこっそりと開けて検査をしていたに違いない。幸いなことに、私はこっそりと書き写して持ち出すようなことはしていなかったので、心配することはなかった。わざわざ教えてくれた親切な彼に、「大丈夫だ、そうさせておけばいいよ。価値のあるようなものは何も持っていないから」と苦笑しながら言うしかなかった。

 このことがあってから数日後、某処長が急に閲覧室にやって来て、私を廊下に呼び出し、出国の予定があるのかと厳しく聞いてきた。そう聞かれて、私はただ呆然(ぼうぜん)としていた。何のことだかわからないという様子の私を見て、まるで現行犯を捕まえたかのような硬い表情で、さらに厳しく聞いてきた。「お前はカナダで会議に出るのだろう?なぜそれを教えなかった?」そこでようやく、確かにカナダの謝培智(しゃばいち)教授から、北米歴史学会の年次総会への招待状をもらっていたことを思い出した。しかし、それは1、2か月も前のことで、私はその会議に参加するつもりはなかった。私は彼に、その情報は不正確で、会議に参加するつもりはないと言った。だが、彼は全く聞き入れず、資料調査を続けることはできないと繰り返し伝えてきた。私が出国するならば、機密漏洩(ろうえい)の可能性があるからだという。どう説明しても、聞こうとしなかった。そして、まさにこのことが原因で、資料調査をやめなければならなくなっただけではなく、書き写したものを審査する際に手ひどくやられたのであった。公開されていない資料はほとんどすべて黒塗りにされ、既に基本的に公開されている資料がわずかに残されただけであった。

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