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Commentary

イギリス式から中国式へ転換する香港の行進
香港の「青少年制服団体」にみる身体レベルの愛国化

銭俊華
東京大学大学院総合文化研究科博士課程
社会・文化
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2019年3月、香港警察機動部隊総部で、香港航空青年団の代表がイギリス式の行進を行っている様子(写真提供:匿名)
2019年3月、香港警察機動部隊総部で、香港航空青年団の代表がイギリス式の行進を行っている様子(写真提供:匿名)

 しかし、国旗掲揚チームの動きを見ると、その変化が一目瞭然であった。彼らは、膝を屈曲させずに、足を直立させ、高く持ち上げる、人民解放軍のガチョウ足行進(グースステップ)を行った。ロシアや北朝鮮の軍隊もグースステップを採用している。香港がイギリス領だった時代には青少年制服団体は青少年の心身の規律化を通して植民地社会の社会統制と安定に寄与していたが、今では多くの団体は身体のレベルで中国への愛国を促進する役割を果たしている。

 イギリスの植民地時代から中国返還後の今日までの青少年制服団体の変化を示す一例として、以下では、先月成立53周年を迎えた香港航空青年団(Hong Kong Air Cadet Corps)について見てみよう。

香港航空青年団とイギリス文化

 1971年4月7日に成立した香港航空青年団は、香港の青少年に責任感と自信を育て、航空知識を提供し、航空業界の人材を育成する組織とされている。最初はあるアメリカ人が設立した団体であったが、帰国する際に香港の航空愛好者とイギリス軍関係者に引き継がれた。団員は14〜21歳で、21歳以上になると指導員となる。性別と国籍は問われないが、英語の理解と会話が求められている。団員の人数は1972年の約200人から1981年の約350人まで増加した。

 香港航空青年団では、規律訓練、ロープワーク、応急処置、遠足、キャンプ、射撃訓練、ダンス、社会奉仕活動などを行うほか、航空をテーマとする活動も充実している。香港航空会(1982年に香港航空会と遠東飛行学校と香港飛行会が合併し、香港飛行総会になった)、イギリス空軍、王立香港補助空軍(Royal Hong Kong Auxiliary Air Force)の協力を得て、飛行体験やスカイダイビング体験が行われたり、香港におけるイギリス軍の航空基地や天文台、空港、機体工場、寄港してきたアメリカ航空母艦を見学したりする。内部の選抜によって、奨学金を得て飛行機操縦士の資格を取る団員や、世界の他の航空青年団との交換計画を通してアメリカ、シンガポール、フィリピン、イギリス、西ドイツ、ベルギー、オーストラリアに行って夏休みを過ごす団員もいた。

 香港航空青年団は「航空」に特化したスカウト運動とも言えるが、イギリスの軍事文化を香港の青年たちに伝える役目を果たしてきた。イギリス空軍からイギリス(空軍)式の行進と儀礼の指導を受けており、制服もイギリス空軍式である。イギリス軍と共に、市民がよく泳ぐ池で尖った石を拾ったり、毎年8月にイギリス空軍の兵営内で一週間の合宿を行い、軍隊生活を体験したりすることもある。1975年9月にはイギリス軍の協力を得てチャタム・ロード兵営(Chatham Road Camp)の47号館を本部にした。兵営の閉鎖に伴い、本部は深水埗兵営に移設された。1976年の執行委員会には、キャセイパシフィック航空の機長、王立天文台長の他に、元イギリス空軍の中佐、少佐もいた。

 1980年代に入ると、香港航空青年団はイギリスの航空訓練隊(Air Training Corps)に加入した。イギリスの航空訓練隊はイギリス空軍航空青年団(Royal Air Force Air Cadets)の一部であり、後者はイギリス空軍が後援する組織であり、現在の名誉指揮官はイギリス皇太子妃のキャサリンである。1987年に石崗空軍基地で行われた第16回閲兵式では、駐香港イギリス空軍の司令官が、訓練を修了した160名の団員を観閲し、空軍のバンドが演奏し、補助空軍の飛行機が観閲台の上空を飛んでいた。

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