Commentary
経済指標が豊富な鉱工業企業個票データベース
中国学へのミクロデータ活用法:企業関係データ編①
鉱工業企業個票データベースを利用した論文は多岐にわたりますが、企業業績、生産性、企業金融、雇用、輸出、研究開発などを研究対象とするものが多い。また、国有企業と民間企業の違い、国有企業の民営化の要因と効果も注目されました。このほかに、企業の住所データを利用し、空間経済分析の手法によって、産業集積の要因や、集積が企業の生産性に与えた影響を分析する研究もあります。このように、このデータベースは産業組織、企業金融、移行経済、国際貿易、労働経済、空間経済など幅広い分野の研究に活用されています。また、このデータベースを特許データベースや税関データベースなどの企業個票データベースと接続すると、より深い分析も可能になります。
筆者は、このデータベースでは10年以上のタイムスパンにおいて企業データが継続的に示されていることに留意し、隣接年次の企業が同じ企業かどうかを識別したうえで各年次の企業データを接続し、1998-2007年の間の国有企業と民間企業の「進退」を分析しました(『中国の資本主義をどうみるのか――国有・私有・外資企業の実証分析』日本経済評論社)。その結果、主に次のことがわかりました。
①この間の「戦略的改組」によって、国有企業の株主資本は実に3倍に増え、国家資本の減少が確認できたのは紡織と衣服・革製品の2業種だけでした。国家資本は電力、原油、石炭、鉄鋼、自動車などの戦略的分野に傾斜的に投入されたとはいえ、驚いたことに、国家資本の撤退が期待された多くの非戦略的分野においても資本投入が続けられました。つまり、中国は当初からほとんどの業種において国家資本の撤退を予定していなかったのです。このことは「国進民退」批判を招きました。
②とはいえ、民間企業が国有企業以上に活発に投資した結果、大半の業種では民間企業が国有企業を抑えて主役になりました。「国進」は事実ですが、「民退」どころか、「国進」に勝る「民進」の事実も確認できました。
③存続企業、退出企業、民営化企業、国有化企業と参入企業の資産規模、労働装備率、自己資本利益率、全要素生産性を分析した結果、国有企業も民間企業も、新陳代謝がおおむね機能していることがわかりました。
④戦略的分野の一大主役は自然独占産業ですが、この分野の産業では、新陳代謝が機能しない場合があることもわかりました。
実際に、中国の民営化の停滞にいらだちを覚える人がいる一方、「国家資本主義」の一過性を主張する人もいます。近年の鉱工業企業個票データが入手できるならばもう一度検証しないといけませんが、上記の発見から判断すると、「民退」、すなわち民間企業の後退は実際には起きていない一方、自然独占産業などの戦略的分野からの国有企業の撤退も安易には期待できません。
データの利用には事前に入念な加工作業が不可欠
鉱工業企業個票データベースを利用する際の注意点を挙げておきます。1つ目は、このデータベースに入っているのは規模以上鉱工業企業ですが、「規模以上」の定義が変化してきました。2010年までは売上高500万元以上が「規模以上」でしたが、2011年からは売上高2000万元以上に基準が引き上げられました。また、2006年までは規模未満の国有企業もデータベースに入っていました。
2つ目は、業種基準も幾度変化したため、業種分類の統一が必要になります。また、企業の所有を表す指標として、「企業支配状況」、「登記類型」、「払込資本金」がありますが、分析目的に合わせて、よく吟味したうえで利用しなければなりません。
3つ目は、総生産高、資産、株主資本などの指標がマイナスであるような異常値が存在します。データの重複や欠損もあるので、事前に丁寧にクリーニングを行うことが欠かせません。異常値を探すには、利益率、資産負債比率などを計算して判断するのは効果的です。また、必ず国家統計局が発行する『中国工業経済統計年鑑』などの公式統計資料と照合してみてください。
論文執筆の際、データ分析の前にほかの準備作業も必要な場合があります。たとえば、生産性分析の際、経済データの実質化が必要になりますが、そのために物価指数の収集と加工が欠かせません。あるいは企業の立地分析を行うならば、企業の住所を経緯度に変換する必要があります。筆者はかつてジオコーディングサービスを使って住所データを経緯度に変換させた経験があります。APIによる自動変換はそれほど時間がかかりません。しかし、その経緯度が正しく取得できなかった地点は、手作業で変換するしかありません。この作業にはなんと10か月もかかりました。そのため、平日の深夜だけでなく、祝休日もすべて返上しました!
鉱工業企業個票データベースは1998年以降のデータを含みますが、管見の限り、2013年頃を最後にデータの更新が止まっています。データが若干古くなりましたが、経済改革が進んだ1990年代末から、中国経済が躍進を遂げた2000年代までの間をカバーしているので、利用価値は依然として高いでしょう。ただ、有名なデータベースなので、これを利用した論文は非常に多く、そのため、研究目的に合わせて、たとえばほかのデータセットと接続したりする工夫が、腕の見せどころになります。
20年前に数百社の上場企業のデータをネットから手作業で集めたことをふっと思い出しました。今やウェブから大きなデータを自作することも技術的に可能な時代になりました。中国経済の研究者になるためには、皆さん、まずデータの達人になりましょう!
参考文献:
・Dougherty, S., Richard Herd and Ping He (2007) Has a private sector emerged in China’s industry? Evidence from a quarter of a million Chinese firms. China Economic Review. 18(3).
・Jefferson, G. H., Thomas G. Rawski and Yuxin Zheng (1992) Growth, efficiency, and convergence in China’s state and collective industry. Economic Development and Culture Change. 40(2).
・Jefferson, G. H., Thomas G. Rawski and Yuxin Zheng (1996) Chinese industrial productivity: Trends, measurement issues, and recent developments. Journal of Comparative Economics. 23(2).
・Jefferson, G. H., Thomas G. Rawski, Li Wang and Yuxin Zheng (2000) Ownership, productivity change, and financial performance in Chinese industry. Journal of Comparative Economics. 28(4).
・Li, K., Heng Yue and Longkai Zhao (2009) Ownership, institutions, and capital structure: Evidence from China. Journal of Comparative Economics. 37(3).
・Xu, Xiaonian and Yan Wang (1999) Ownership Structure and Corporate Governance in Chinese Stock Companies. China Economic Review. 10(1).
・甲斐成章(2021)「習時代の国有企業改革の制度デザイン:混合所有制はどう推進されるのか」『関西大学経済論集』第70巻第4号。
・林青松・杜鷹編(1997)『中国工業改革与効率――国有企業与非国有企業比較研究』雲南人民出版社。
・王俊松(2012)『中国製造業空間格局与企業生産率研究』華東師範大学出版社。
・徐涛(2014)『中国の資本主義をどうみるのか:国有・私有・外資企業の実証分析』日本経済評論社。
・徐涛(2019)「中国の自動車産業の立地:集積と共集積」『中国経済経営研究』第3巻第1号。