Commentary
著者に聞く⑮――海野典子さん
『イスラームが動かした中国史』(中央公論新社、2025年12月)
中国学.comでは、現代中国および中国語圏の関連研究の中から、近年注目すべき著作を出版された著者にインタビューを行います。今回は中国・中央ユーラシア近現代史、イスラーム地域研究の専門家で、『イスラームが動かした中国史』の著者である海野典子さんにお話を伺いました。
問1 まず本書のテーマについて伺います。イスラーム(イスラム教)を取り上げるにしてもなぜ中国で、中国を取り上げるにしてもなぜイスラームなのでしょうか。
(海野)それは、イスラームの適応力と中国社会の多元性を同時にとらえ直し、中国ムスリムの歴史的経験を学ぶことによって、多文化共生の方法を考えることができるからです。
一般にイスラームと聞くと、多くの人は紛争やテロといったネガティブなニュースから、「融通の利かない暴力的な宗教」という先入観を抱きがちです。しかし、イスラームの教義にはさまざまな例外や法解釈の余地があるなど、実は柔軟な側面を持っています。だからこそこの宗教は、儒教道徳が重んじられる中国をはじめとして世界各地に広まり、現地の文化と折り合いをつけながら独自の発展を遂げることができました。その千数百年にわたる軌跡は、イスラームが異なる文明と対話し、その豊かさを吸収して進化する、懐(ふところ)の深い信仰体系であることを証明しています。
もちろん、このことは、イスラームが一方的に中国に同化したことを意味しません。もともと異質な要素であったイスラームが中国を変容させた経緯、すなわち「中国のイスラーム化」とも呼びうる現象にも目を向けるべきです。天文学、医学、軍事技術から食文化にいたるまで、外来ムスリム(イスラム教徒)がもたらした知見は長い歳月をかけて中国文化の血肉となり、社会をより重層的なものへと作り変えてきました。私たちはつい漢族を中心に「中国史」を語りがちですが、外来ムスリムの末裔(まつえい)を主体とする回族の存在は、中国が陸と海の道を通じてユーラシア全域と結ばれ、イスラーム世界の重要な一部であったという実態を鮮やかに伝えています。
これほど豊かな歴史的経緯があるにもかかわらず、中国のイスラームないしムスリムは、「中国化したイスラーム」「漢化したムスリム」という一言で片付けられてしまいがちです。しかし、こうした一面的な認識は、習近平政権が進める「宗教の中国化」政策を学術的な見地から無批判に追認しかねない危うさを孕(はら)んでいます。中国ムスリムの歩みは、イスラームが中華文明に飲み込まれた直線的な道のりではありません。相互的かつ多方向に展開された文化変容のダイナミズムにより、両文明が互いを高め合ってきた複雑な過程なのです。
将来、世界最大の信徒人口を持つと予想されるイスラームと、国際社会で存在感を増す中国。イスラームに関するステレオタイプを修正し、漢族中心の一元的な中国像を相対化することは、この両者に対して多角的に理解を深め、私たちの国際感覚を鋭敏に研ぎ澄ますことにつながります。また、清代後期(特に19世紀後半)の虐殺や文化大革命期(1966~1976年)の弾圧を乗り越え、非ムスリムからの差別に苦慮しながらも信仰とコミュニティを守ってきた中国ムスリムの歴史的経験には、移民との共生に揺れる現代日本が参照すべき、共存のための知恵が詰まっています。そうした問題意識から、中国のイスラームやそれを信仰してきた人びとに光を当て、その通史を書く必要があると考えました。
問2 本書を通読する中でどうしても戸惑ってしまうのは、中国ムスリムの多様さ、複雑さです。例えば現代中国の回族とウイグル族との違い、また歴史的に「回民」と呼ばれてきた人びととの関係について伺えるでしょうか。
(海野)現在、中国政府が公式に認定する55の少数民族のうち、イスラームを伝統的に信仰するとされるのは10の民族です。その代表格である回族とウイグル族は、信仰の面では共通する部分もありますが、その成り立ちは大きく異なります。
回族の多くは、7〜14世紀頃に西・中央・東南アジア方面から来華したムスリムが、漢人やモンゴル人と混血して形成された人びとです。歴史的に「回回」「回民」という自他称で知られた彼らは、中国全土に広くコミュニティを形成しました。漢語を母語とし、外見も漢人とほとんど区別がつかないため、長らく漢人のムスリム集団と見なされてきました。状況が大きく変わったのは1930〜40年代です。当時、回民が多く住む西北地域を拠点としていた中国共産党は、日中(抗日)戦争や国民党との内戦を有利に進めるべく、彼らの組織的な協力を得るための懐柔策を打ち出しました。その過程で、回民を漢人とは異なる単一の民族として認定し、自治権の付与を約束しました。こうした共産党の初期の民族政策は、現在の中国政府の民族政策の土台となりました。
今日の回族には、明清代以降に入信した漢人の末裔(まつえい)や、現行の民族政策のもと親のいずれかの民族戸籍を選択した結果、回族と登録されている人びとも含まれます。そのため、回族と一括(ひとくく)りに言っても、宗教規範を厳格に守る層から、実質的に漢族と変わらない生活を送る(礼拝をしない、豚肉や酒を摂取する)層まで、その内実は非常に多様です。
対照的にウイグル族は、中央アジアにルーツを持つテュルク(トルコ)系民族であり、独自の言語とオアシス都市文化を色濃く保持しています。18世紀後半の清朝による東トルキスタン征服によってその「新しい領域」(新疆)に組み込まれた彼らは、20世紀前半の中国とソ連における激動の政治状況と、ユーラシア各地のテュルク系ムスリムの改革運動や民族主義の高揚を背景として、「ウイグル」としての民族アイデンティティを確立させていきました。
現在の回族とウイグル族という厳密な区分は、「民族」概念の定義や各集団の名称に関する議論が政府中枢レベルでもムスリム知識人のあいだでも活発になされた1930~40年代を経て、1950年代に中国政府が実施した民族識別工作によって定着したものです。それ以前は、テュルク系のオアシス定住民を「纏回(てんかい)」、漢語を話すムスリムを「漢回」と呼び分ける一方で、両者を含む中国領のムスリムを「回回」「回民」と総称することも珍しくありませんでした。清末に本格的な議論が始まり、中華民国初期に提唱された「五族共和」論の中では、漢・満・蒙(モンゴル)・蔵(チベット)と並ぶ「回族」は、これら全ムスリム集団を包括したカテゴリーとして扱われることがありました。
これまでの中国ムスリム研究は、回族かテュルク系民族(ウイグル族など)のいずれかに二分されがちでした。しかし、歴史的に見れば、両者は共に商業・宗教的ネットワークを築き、時には政治的に対立・協力するなど、互いに影響し合ってきた存在です。そこで、拙著では、両者の相互認識や対立・協力関係の変遷にも紙幅を割きました。中国のムスリム諸集団間の交流史を詳(つまび)らかにすることによって、東部ユーラシアにおけるイスラームの複雑な展開や、現在の民族・宗教問題への理解をより深めることができると考えています。
問3 歴代政権の民族・宗教政策との関係の中で、中国ムスリムの多様さ、複雑さも生まれてきた面があるのですね。興味深いのは、回族をはじめ共産党員として党の内部で活躍する人びとも多い点です。彼(女)らの中では、信仰と政策(党の規律)との関係はどのように理解され、どのように折り合っているのでしょうか。
(海野)私がこれまでに出会った回族やウイグル族の人びとの中には、「立身出世のため」、あるいは「反政府的だという批判を防ぎ、社会的立場を守るため」に入党したと語る人が少なからずいます。共産主義が掲げる無神論の規律と、生活の隅々にまで根ざしたイスラームの規範。この二つの論理に対し、特に回族がどのように折り合いをつけているのかは、主に二つの戦略から理解することができます。
第一に、信仰を「民族の伝統習慣」へと読み替える戦略です。党の規律上、党員は無神論者である必要がありますが、ムスリムにとってイスラームの規範は、冠婚葬祭や食習慣など日々の暮らしそのものです。そこで多くの回族党員は、自身の宗教的行為を信仰ではなく、「先祖代々の文化の継承」として再定義します。例えば、モスクへ足を運び、イスラームの祝祭に参加することを、宗教儀礼ではなく「民族の文化活動」と位置づけることで、党の規律との論理的な衝突を巧みに回避しているのです。党関係者もこうした回族党員の活動を黙認する傾向があります。
第二に、「愛国愛教」という論理の援用です。この言葉は、もともと1930年代に中東を訪れた回民の宗教指導者が、現地で流行していたアラビア語のナショナリズム言説を漢語に翻訳・紹介したものです。日中戦争期を経て定着したこのスローガンは、「国が安定してこそ信仰も守られる」というロジックのもと、国家への忠誠と宗教心を矛盾なく結節する役割を果たしてきました。近年の習近平政権下では、党への忠誠をさらに強調した「愛党愛教」「愛党愛国」という標語も広がりを見せています。
このように、回族たちは、国家の論理と信仰共同体の規範の境界に立ち、政治状況の変化に臨機応変に対処しながら、自らのあり方を絶えず模索し続けてきました。中には、「表向きは党員だが内心はムスリム」と割り切って二重生活を送る人もいれば、「党員であることは回族であることと矛盾しない」と独自の論理で心理的葛藤を解消しようとする人もいます。さらに、党員という立場を維持するために人目を避けてモスクへ献金を行い、定年退職後に本格的なモスク通いを始める人もいます。つまり、現役時は党員、引退後は信者というように、ライフステージに応じて自らの属性を切り替えているわけです。こうした「敬虔か非敬虔か」という二項対立に集約されない、柔軟かつ多層的なイスラームへの向き合い方は、宗教活動が制限される社会主義体制下ならではの生存戦略と言えるかもしれません。
しかし、近年の宗教政策の厳格化により、これまで「民族の伝統習慣」として許容されてきたグレーゾーンは、急速に失われつつあります。宗教弾圧が猛威を振るった文化大革命期には、多くのムスリムが信仰を秘匿(ひとく)、あるいは放棄せざるを得ませんでした。現在、回族やウイグル族の人びとの中には、あの凄惨(せいさん)な歴史が繰り返されるのではないかと強い不安を口にする人も少なくありません。
問4 次に伺いたいのは、中国ムスリムと日本との関係についてです。戦前の日本では、大陸政策との関連からイスラームおよびムスリム研究が行われていたということです(第3章・第4章)が、こうした研究は戦後には断絶し、忘却されてしまったのでしょうか。あるいは、本書にも活かされている面はあるのでしょうか。
(海野)中東地域が重視される戦後日本のイスラーム研究では長らく等閑視されてきましたが、戦前の対ムスリム宣撫(せんぶ)工作、いわゆる「回教工作」と密接に結びついていた日本の初期イスラーム研究の主要な対象は、日本の植民地と勢力圏に住むムスリムたちでした。とりわけ、日本が中国に侵略する際に協力者としての役割を期待された回民たちへの注目度は高く、満鉄調査部や外務省、軍の傘下にあった研究機関に所属する研究者たちが、中国各地のムスリム・コミュニティで緻密なフィールドワークを実施し、数多くの詳細な記録を残しました。その成果である岩村忍『中国回教社会の構造』や佐口透の一連の研究は、当時の回民社会の構造や教派対立など、回民自身があまり記録しなかった重要なテーマを扱った貴重な資料です。拙著の執筆時にも参照しました。
したがって、回教工作の一環としてのイスラーム研究の遺産が、戦後になって完全に途絶えたわけではありません。ただし、当時の国策としてのイスラーム研究が大きな歪(ゆが)みを抱えていたことには留意する必要があります。日本側が残した膨大な実地調査資料は、一見すると客観的な記録に見えます。しかし実際には、日本の工作を警戒した回民たちが、自衛のためにわざと不正確な情報を教えたり、核心に触れる話を避けたりしたという指摘があります。また、イスラームを「大陸工作に利用可能なツール」と見なす当時の研究の中には、イスラームへの無理解や偏見、中国の人びとを見下す植民地主義的な意識がしばしば反映されていました。
さらに重い事実は、日本の回教工作が現地の人びとに残した傷跡です。日本は中国西北地域に親日・反共的なムスリム政権を樹立しようと画策し、多くのムスリムに接近しましたが、戦局が悪化すると彼らを見捨てて撤退しました。その結果、「対日協力者」と見なされ処刑されたムスリムも少なくありません。
現代の日本でも、新疆での人権問題などをめぐり、中国への批判的文脈からムスリム支援を唱える声があります。しかし、かつての日本が謀略のために彼らを利用し、最後には切り捨てたという事実はよく知られていません。単なる対中批判の材料として彼らを消費するのではなく、その複雑な歴史に真摯(しんし)に向き合う責任があると感じています。そのためにも、戦前の中国ムスリム研究を含む回教工作の詳細を丹念に検証し、日本が彼らに対してどのような眼差(まなざ)しを向け、どのような影響を与えたのかを問い直す必要があるでしょう。
問5 本書は7世紀以降の1400年にわたる膨大な時空間を網羅しています。反面、この一冊だけで学びを終えるのももったいない気がします。日本語で読める平易な関連書にはどのようなものがありますか。
(海野)まず、北京出身の回族作家・張承志さんの著作をおすすめします。回族を中心とした中国ムスリム史の流れや、当事者の視点を知ることができます。中国ムスリム通史である『回教から見た中国』(中公新書、1993年)は、特に清代以降に西北地域で広まったスーフィー(神秘主義)教団の思想と活動、現代中国の民族・宗教問題についての記述が充実しています。張さんが信奉するジャフリーヤ教団の歴史と信仰に迫った『心霊史』の邦訳としては、『殉教の中国イスラム』(亜紀書房、1993年、梅村坦編訳)があります。
特定の時代・地域やテーマに関心を抱いた方には、2001年に発足した中国ムスリム研究会編『中国のムスリムを知るための60章』(明石書店、2012年)を手に取っていただきたいです。回族や新疆のテュルク系ムスリムを中心とした中国のムスリム諸集団の歴史・社会・文化・思想にまつわるさまざまなトピックが、わかりやすく解説されています。私は第45章「日本の回教工作」を担当しました。勉誠出版社の「アジア遊学」シリーズとして2010年に刊行された堀池信夫編『中国のイスラーム思想と文化』も、回族やウイグル族の専門家が幅広いトピックを平易な文章で説明した良書です。
これらはいずれも中国ムスリム研究の優れた入門書ではありますが、刊行年から時間が経(た)っています。最新の情報、特に新疆のテュルク系ムスリムの現状について知りたい方には、中国共産党による統治開始後の新疆社会の変容を丹念に描いた熊倉潤さんの『新疆ウイグル自治区』(中公新書、2022年)をおすすめします。拙著の第5章でも参照しましたし、中央ユーラシアに関する授業の教科書としても使わせていただいたことがあります。『新疆ウイグル自治区』は第2章以降の中華人民共和国期に関する記述が主題ではありますが、タリム盆地に人類が定住しはじめた古代から、当該地域がモグーリスターンや東トルキスタンと呼ばれた時代を経て、中国共産党による新疆の「和平解放」にいたるまでの経緯をコンパクトにまとめた第1章も有用です。
問6 最後に、この記事をご覧の方に、特にこれから中国の宗教やマイノリティの歴史を研究したいと考えている学生さん(大学生、大学院生)にメッセージをお願いします。
(海野) 「中国」の宗教や民族に関心のある方、特にこの分野の研究を志す皆さんは、まず、固定された枠組みを疑い、あらゆる境界を往来する視座を大切にしていただければと思います。私自身、研究を続ける中で、自分の見方がいかに既成概念や先入観に縛られているかを痛感する毎日です。
私たちが普段目にする「中国」や「少数民族」「漢族」などという枠組みは、近現代の政治力学の中で構築・拡散されたものです。今でこそ回族やウイグル族は「中国のマイノリティ」と位置づけられ、歴史の脇役扱いをされることもありますが、実態は異なります。彼らはイスラーム世界やユーラシアという広大な時空を横断するネットワークを築き、文明をつなぐ中核として重要な役割を果たしてきました。そもそも、ウイグル族をはじめとするテュルク系ムスリムは、中央アジアという文脈で見れば、「マジョリティ」として歴史を動かしてきた、当該地域の主役でもあるわけです。
また、回族の中には、「自分たちは民族・宗教的にマイノリティだ」という意識と、「漢族と文化的共通点の多い自分たちは中国社会の本流だ」という自負を同時に併せ持つ人もいます。このように、「マイノリティ」と「マジョリティ」という意識は二項対立的なものではなく、一人ひとりの内面で時に重なり合い、社会状況に応じて変化しうるものです。一国史観や固定化された公定の歴史観を超え、さまざまな概念が構築されてきた過程をたどることによって、新たな学問の地平が見えてくるはずです。
次に、人びとの営みとの対話を忘れてはならないと感じています。マクロな統計や公的な記録だけでは見えてこない、一人ひとりの日常生活こそが歴史を形作ってきました。厳しい政治情勢に置かれながら、人びとがいかにして隣人と折り合いをつけ、生き抜いてきたのか。多言語史料を突き合わせ、多様な角度から「生の声」を丁寧に読み解くことで、社会の多面的、複合的な実態が明らかになります。
こうしたアプローチを通じて養われる知的な誠実さは、混迷する現代社会を生きる力にもなるでしょう。いずれも私にとっても大きな課題ですが、人間は多面的であり、そのアイデンティティは時代・環境や対人関係とともに揺れ動く可変的なものであると認識すること。溢(あふ)れる情報の中から信頼できる情報源を見極め、自身の先入観を柔軟に更新し、未知のことに対して謙虚であること。そうした態度は、デマやプロパガンダに惑わされない冷静な判断力へとつながります。それは身近な他者が抱える事情を汲(く)み取る想像力や共感力、ひいては多文化共生を支える実行力にも通じていくはずです。
中国ムスリムの研究は、言語の壁や現地調査の制約など、一筋縄ではいかない難しさがあります。しかしその分、既存の価値観を揺さぶられるような底知れない魅力に満ちています。また、知的な冒険のフィールドは世界中に広がっており、中国国外での史料収集や在外中国ムスリム・コミュニティの調査、国際的な共同研究も盛んに行われています。このテーマの研究を通じて、自身の視野が広がる楽しさと建設的な議論の重要性を、ぜひ皆さんと分かち合いたいと思っています。
皆さんの探究が、さまざまな矛盾や葛藤を抱えた人間たちが紡(つむ)いできたからこそ深みのある歴史を解き明かす道筋となることを、願っています。

海野さん、ありがとうございました。この記事をご覧になって、中国とイスラームとの関係に興味を持たれた方は、ぜひ『イスラームが動かした中国史』を手に取ってみてください。