Commentary
著者に聞く⑮――海野典子さん
『イスラームが動かした中国史』(中央公論新社、2025年12月)
問4 次に伺いたいのは、中国ムスリムと日本との関係についてです。戦前の日本では、大陸政策との関連からイスラームおよびムスリム研究が行われていたということです(第3章・第4章)が、こうした研究は戦後には断絶し、忘却されてしまったのでしょうか。あるいは、本書にも活かされている面はあるのでしょうか。
(海野)中東地域が重視される戦後日本のイスラーム研究では長らく等閑視されてきましたが、戦前の対ムスリム宣撫(せんぶ)工作、いわゆる「回教工作」と密接に結びついていた日本の初期イスラーム研究の主要な対象は、日本の植民地と勢力圏に住むムスリムたちでした。とりわけ、日本が中国に侵略する際に協力者としての役割を期待された回民たちへの注目度は高く、満鉄調査部や外務省、軍の傘下にあった研究機関に所属する研究者たちが、中国各地のムスリム・コミュニティで緻密なフィールドワークを実施し、数多くの詳細な記録を残しました。その成果である岩村忍『中国回教社会の構造』や佐口透の一連の研究は、当時の回民社会の構造や教派対立など、回民自身があまり記録しなかった重要なテーマを扱った貴重な資料です。拙著の執筆時にも参照しました。
したがって、回教工作の一環としてのイスラーム研究の遺産が、戦後になって完全に途絶えたわけではありません。ただし、当時の国策としてのイスラーム研究が大きな歪(ゆが)みを抱えていたことには留意する必要があります。日本側が残した膨大な実地調査資料は、一見すると客観的な記録に見えます。しかし実際には、日本の工作を警戒した回民たちが、自衛のためにわざと不正確な情報を教えたり、核心に触れる話を避けたりしたという指摘があります。また、イスラームを「大陸工作に利用可能なツール」と見なす当時の研究の中には、イスラームへの無理解や偏見、中国の人びとを見下す植民地主義的な意識がしばしば反映されていました。
さらに重い事実は、日本の回教工作が現地の人びとに残した傷跡です。日本は中国西北地域に親日・反共的なムスリム政権を樹立しようと画策し、多くのムスリムに接近しましたが、戦局が悪化すると彼らを見捨てて撤退しました。その結果、「対日協力者」と見なされ処刑されたムスリムも少なくありません。
現代の日本でも、新疆での人権問題などをめぐり、中国への批判的文脈からムスリム支援を唱える声があります。しかし、かつての日本が謀略のために彼らを利用し、最後には切り捨てたという事実はよく知られていません。単なる対中批判の材料として彼らを消費するのではなく、その複雑な歴史に真摯(しんし)に向き合う責任があると感じています。そのためにも、戦前の中国ムスリム研究を含む回教工作の詳細を丹念に検証し、日本が彼らに対してどのような眼差(まなざ)しを向け、どのような影響を与えたのかを問い直す必要があるでしょう。