トップ 政治 国際関係 経済 社会・文化 連載

Commentary

著者に聞く⑭――村田雄二郎さん
『現代中国という問い』(晃洋書房、2025年11月)

村田雄二郎
同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授
連載
印刷する
日本列島の中国研究は若い世代の交流を助けたり、伴走したりする力、言い換えれば、人と人を分野横断的につなぐ力になればいい、と著者は語る。写真はタクシーの車窓から望む天安門。2025年10月26日。(共同通信社)
日本列島の中国研究は若い世代の交流を助けたり、伴走したりする力、言い換えれば、人と人を分野横断的につなぐ力になればいい、と著者は語る。写真はタクシーの車窓から望む天安門。2025年10月26日。(共同通信社)

問4 本書を通じて登場する、知識人・文学者たちの位置付けについても伺います。権力者の弾圧の対象でもある一方、康有為(第11章)のように既存の社会秩序の批判から論を起こしながら、より大がかりな「干渉」「専制」を必然にするユートピアを描く事例もあります。中国の政治文化では、権力者と知識人はどのような関係にあるのでしょうか。

(村田)康有為と毛沢東を重ねてみるのは、直接影響を受けたわけではありませんが、李沢厚『中国近代史論』(1979年)あたりが最初でしょう。毛の平均主義を大同思想とつなげて連想するのは、中国の学界では普通だと思います。

第3章でカフカを取り上げたのは、たんに作品が好きだということと、コロナ禍で国民に「自粛」を要請する権力とは何か、ということを考えさせられたことがあります。個人的には、公権力の「自粛」要請に反発を覚えたり、メディアに登場する公衆衛生の専門家の発言にかなり違和感を抱いたりしました。もちろん「自粛」を一元的に政治文化の問題に帰するつもりはなく、忖度(そんたく)だとか同調はどの社会にも起こり得ることですから、政治文化による国民の線引きには慎重でなければなりません。その意味で、毛沢東を論じた第10章はいまの自分ならこうは書かないだろうな、という気持ちでいます。ただ「思想改造」が洗脳とは違うことを論じた第4章は字数の制限があって十分に論理展開できているわけではありませんが、現代中国における権力者と知識人の関係を考える上では、決定的なポイントであると思います。

この部分を書く上では、ワン・ビン(王兵)の一連のフィルム(『鳳鳴』『無言歌』など)が一番のヒントになりました。いま唐突に思いつきましたが、ワン・ビンの映像には魯迅的な(もとをただせばヘーゲル的な)主人・奴隷関係のモチーフがそこかしこに揺曳(ようえい)しているのではないでしょうか。

問5 日本に関わる質問もいたします。本書では、日本人(岡倉天心)の中国論と、中国人の日本論(あるいは日本観)とが、朝鮮半島を含む東アジアの枠組みから論じられています。彼らの議論が互いに反響を呼ぶことはあったのでしょうか。あるいは、一方通行に終わってしまったのでしょうか。

(村田)朝鮮や韓国での評価は知りませんが、同時代においても、今日においても、一方通行で、交差するところはほとんどない(なかった)のではないでしょうか。

理由の一つには天心の立ち位置が英語圏にあったことが指摘できます。また本人もボストン美術館以降は中国への関心を相対的に薄めたということがあったのかな。そのあたりはよくわかりませんが、“Asia is one”に対する中国側の応答があったかと言うと、まったく思いつきません。そもそも天心を戦後的な意味で「日本人」と言っていいのかどうか・・・。近年の中国大陸でも、天心は変わらず膨張主義的アジア主義の始祖の一人と見られているようです。ただ、美術史の領域では別の評価軸もあろうかと思います。このあたりは、東洋美術史の誕生と変容という線で、天心以降の時代における東アジアの反目と連帯の像が浮かび上がると面白いと思います。

問6 最後に、この記事をご覧の方に、特にこれから中国近現代史を研究したいと考えている学生さん(大学生、大学院生)にメッセージをお願いします。

(村田)あえて言えば、「個」の信頼醸成ですかね。昨年11月の高市発言以降、ますます冷え込む日中関係について中国や日本の人と話したり、聞いたりする機会が多くありましたが、意見の一致点を見たのは、こういう時期だからこそ民間(在野)の個人の交流が必要だということでした。心配なのは、旅行者や留学生の減少、学術的な往来の停滞など、一番大事な人的交流がストップしかけていることです。

私は1980年代のいわゆる友好・蜜月期に育てられた人間です。ただ、それを特権視するつもりはありません。むしろ特殊で異常な時期だったとすら考えます。また、研究者が中国を訪問することの是非について色々な考え方があることは承知しています。それでも、若い世代の交流としては、STEM(科学、技術、工学、数学)など政治的干渉が及びづらい(はずの)幅広い分野を含めて、若い世代の交流が進むべきだと思います。日本列島の中国研究はそうした交流を助けたり、伴走したりする力、言い換えれば、人と人を分野横断的につなぐ力になればいい、まだその力はあるのではないかと信じたいところです。

『現代中国という問い』の表紙(晃洋書房HPより)

村田さん、ありがとうございました。この記事をご覧になって、伝統中国・近代中国・現代中国との関係に興味を持たれた方は、ぜひ『現代中国という問い』を手に取ってみてください。

1 2
ご意見・ご感想・お問い合わせは
こちらまでお送りください

Copyright© Institute of Social Science, The University of Tokyo. All rights reserved.