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Commentary

著者に聞く⑫――高暁彦さん
『毛沢東時代の統治と民兵』(名古屋大学出版会、2025年10月)

高暁彦
東北大学大学院法学研究科助教
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毛沢東が民兵に期待していた「階級闘争」は、宗族や集落間の抗争、あるいは略奪行為といった在地的な要素を内包した形で展開されていたとも言えよう。写真は、社会主義農村として知られる河南省・南街村の広場に建つ真っ白な毛沢東像と、その傍らで歩哨に立つ民兵。2006年8月30日(共同通信社)
毛沢東が民兵に期待していた「階級闘争」は、宗族や集落間の抗争、あるいは略奪行為といった在地的な要素を内包した形で展開されていたとも言えよう。写真は、社会主義農村として知られる河南省・南街村の広場に建つ真っ白な毛沢東像と、その傍らで歩哨に立つ民兵。2006年8月30日(共同通信社)

本書では、江蘇省と貴州省という対照的な二つの地域を事例として取り上げました。一つの地域に限定するのではなく、二つの地域に共通する統治上の現象を観察することで、得られた結論の一般性を高めることを意図した研究設計です。

江蘇省は、国民党政権が国民国家建設に最も力を注いだ地域の一つであり、交通条件にも恵まれ、国家権力が浸透しやすい地域であったと言えます。一方、貴州省は、1949年まで国民国家建設の試みがほぼすべて失敗に終わった地域でした。通常であれば、国家権力が浸透しやすい地域ほど党の影響力も末端に容易に及び、民衆は政権の統治により従順であると考えられがちです。私自身は当初、そのような構想のもとで研究を設計しました。しかし、実際に史料を読み込んでいくと、状況は必ずしもそうではないことが明らかになりました。党の影響力がいかに浸透していたとしても、その作用には限界があり、政策が過度に強引であれば、民衆の反発や暴動が生じていたのです。

江蘇省では、1953年冬以降、食糧統制制度に反発する形で民衆による暴動が続発していました。末端幹部が不満を抱く民衆に拉致され、村の広場で吊(つる)し上げられ、公開の場で批判を受ける事件が相次ぎました。貴州省においても1955年前後から、食糧問題を背景に、皇帝の降臨など終末論的な色彩を帯びた民衆暴動が連続的に発生していました。こうした危機的な状況の中で、両地域では民兵の出動が確認されました。民衆の不満が顕在化した地域には、秩序回復のために民兵が投入され、暴動が顕在化していない地域においても、民兵による武装巡回が行われ、武力の誇示を通じて社会秩序の維持が図られていました。さらに、武装した民兵が戸別訪問を行い、食糧供出を促す対応も両地域で等しく取られていました。

以上の分析から、本書では、統治に関わる客観的条件が異なる地域であっても、政権に従順でない民衆を民兵の暴力を用いて抑圧することが、共通の統治メカニズムとして機能していたとの結論に至りました。

問4 執筆に当たって、特に苦労したことは何でしょうか。また、それをどのように克服されたのでしょうか。

(高)まず、最初の難関は、新型コロナウイルスの感染拡大でした。私が博士課程に進学したのは2019年10月です。進学して研究構想を固め、指導教員からゴーサインを得て、いよいよ史料調査に着手しようとした矢先に、感染拡大が起こりました。その結果、史料調査の計画は大きく狂ってしまいました。史料調査を再開できるようになったのは、感染対策がある程度緩和された2021年からです。

また、史料調査の過程自体にはさまざまなトラブルや困難が伴いました。檔案館で門前払いを受けることも非常に多く、研究者を明らかに見下すような対応をされることもありました。しかし、さまざまな点で助言を与えてくれた檔案館員も多くいました。史料へのアクセスが全体として厳しくなっていますが、そうした親切な方々の助けを得ながら、何とか史料調査を完了することができました。もちろん、こうした史料へのアクセスが可能であったのも、私が中国籍であることによるところが大きいです。中国籍でない研究者との間に大きな格差が存在していることについては自覚しています。

問5 本書を通じ、民兵による過酷な暴力の実態も浮かび上がってきました。民兵は毛沢東の個人支配体制の確立に対し、どのような役割を果たしたと評価できるでしょうか。反対に、毛沢東は民兵をどのように認識していたのでしょうか。

(高)まず、毛沢東時代の大部分において、民兵は中国人民解放軍によって管理され、その指揮命令系統も解放軍の体系に組み込まれていました。この点から見ると、民兵の運用は、原理的には軍の最高指導者である毛沢東が独占していたと言えます。1950年代に急進的な農業集団化が実施される過程において、毛沢東が民兵に対し、「階級闘争の道具」として機能するよう指示していた事実があります。基層レベルにおいて、毛の意向を徹底的に実行した主体の一つが民兵でした。さらに、文化大革命初期において、毛が軍の指揮命令系統を通じて、紅衛兵の動きを抑制しようとする地方の党委員会の民兵出動要請を阻止した事例もありました。これらの点を踏まえると、民兵が毛の個人支配の一環として機能していたことは明らかであると言えます。

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