トップ 政治 国際関係 経済 社会・文化 連載

Commentary

著者に聞く⑧――田原史起さん
『中国農村曼陀羅』(東京大学出版会、2025年7月)

田原史起
東京大学大学院総合文化研究科教授
連載
印刷する
農村は都市に比べて選択肢が限られているが、だからこそ工夫が生まれ、制限された状況の中で、覚悟を決めて主体的に生き方を考える力が育まれるのではないか、と著者は語る。写真は甘粛麦村の棚田の景観。2015年5月(著者撮影)。
農村は都市に比べて選択肢が限られているが、だからこそ工夫が生まれ、制限された状況の中で、覚悟を決めて主体的に生き方を考える力が育まれるのではないか、と著者は語る。写真は甘粛麦村の棚田の景観。2015年5月(著者撮影)。

問4 「第Ⅰ部」と「第Ⅱ部 県域社会と文化心理」を中心に、社会主義化を経た中国の農村と県城を舞台とする文学作品を取り上げています。こうした手法をとった狙いは何でしょうか。

(田原)現在の中国の政権下ではフィールドワークがほとんど不可能な状態にあるため、文学作品を通じて研究する手法を思いつきました。

農村を描写した文学作品や映画は非常に豊富で、農村研究の資料として価値があります。また、世には「農村問題」を論じる政府や知識人、メディアの声は溢れかえっていますが、基層幹部や農民自身は自分の気持ちや考えを書くことがほとんどありません。そこで次善の策として、路遥や閻連科、賈平凹など農村出身の作家が農民の声を代弁してくれているような文学作品が浮かび上がってきます。第二部で試みたような文化心理の領域に関わる研究の手段としても、文学作品は大きな可能性を持っていると思います。

問5 「第Ⅲ部 比較のなかの中国農村」では、都市=農村間の人の流れや、ガバナンスの個性などについて、ロシア・インドとの比較を行っています。比較をすることによって、中国の農村のこれまで意識されなかった側面も明らかになったのでしょうか。

(田原)中国では都市が憧れの対象で、農村的要素が後進的とみなされ蔑視される傾向がありますが、ロシアとの比較によって、これは当たり前ではなく、それぞれの社会構造や社会主義の道筋、歴史的経験の違いによるものだとわかります。ロシアでは都市と農村の間の人的環流が活発であった結果、中国のような都市優位・農村蔑視の文化心理が生まれなかった点が明らかになりました。

インドとの比較では、選挙の有無が公共問題の解決の仕方(ガバナンス)や、ひいては両国の農村住民の政治的性格の違いに影響を与える点が見えてきました。

中国人や中国研究者に、中国には競争選挙がない、という点を指摘しても、「それがどうした?」という反応をされます。当たり前すぎるのでしょう。インドでは1952年の第1回総選挙以来、70年以上も競争的な選挙が実施され、ガバナンス資源の多くは選挙を通じて村に引き込まれます。投票により自分たちの生活が変わる経験を繰り返しているので、農村の人々は政治化されています。

一方、中国では選挙による政権交代のオプションがないからこそ、経済活動に特化し家族の発展に注力する「家族主義」が生まれています。しかし、政治参加を通じて生活を変えようとする発想が人々にないのは、国際的に見れば決して「当たり前」ではないのです。家族主義や関係(コネクション)主義が発展するのは決して単なる「文化」の問題ではなく、政治システムがもたらした帰結でもあります。

このように比較研究によって、中国だけを見ていては気づかない、現象の新しい説明の仕方が可能になるのです。

1 2 3

Copyright© Institute of Social Science, The University of Tokyo. All rights reserved.