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Commentary

著者に聞く⑦――岩間一弘さん
『中華料理と日本人』(中央公論新社、2025年6月)

岩間一弘
慶應義塾大学文学部教授
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「実事求是」、つまり事実に即して真理を追究する、情熱と冷静さを併せ持った姿勢が、今、日中交流史研究においていっそう求められている、と著者は述べる。写真は千葉県市川市の町中華「萬来軒」。2025年1月9日(共同通信社)
「実事求是」、つまり事実に即して真理を追究する、情熱と冷静さを併せ持った姿勢が、今、日中交流史研究においていっそう求められている、と著者は述べる。写真は千葉県市川市の町中華「萬来軒」。2025年1月9日(共同通信社)

くわえて、もう一つ重要な点として、1936年に東京の中華料理店を論じた中国の雑誌記事に、「支那の二字にはひどく侮辱する意味が含まれており、華僑の経営する店では皆“中華料理”と呼ぶことで愛国心を示している」と記されていました。

これまで、日本では日中戦争以降に「支那料理」から「中華料理」へと呼び名が変わったと考えていましたが、戦前からすでに中国人経営者が意識的に「中華料理」と名乗っていたことがわかったのは、意味ある発見だったと思います。

問3 執筆に当たって、特に苦労したことは何でしょうか。また、それをどのように克服されたのでしょうか。

(岩間)一つ目は、中華料理に込められた日本人の思いのようなものを、文献史料から読み解こうとした点です。

しかし、定番の中華料理であっても、そうした精神面に言及した史料はあまり多くありませんでした。さらに、個人的な体験や感想にとどまらず、より広い世相や社会の変化と結びついた思いが語られるケースは、非常に限られていました。

本書で取り上げた肉まん、ジンギスカン、餃子、ウーロン茶、シュウマイ、ラーメンなどは、料理を作る人・食べる人・語る人々の思いや、当時の時代状況を探るうえで、貴重な例となりました。

二つ目は、やや無謀だったのかもしれませんが、日本の中華料理とその社会的背景を、日本史の枠にとどめず、世界史のなかに位置づけようとしたことです。

そのため、欧米のフード・スタディーズ系のジャーナルに論文を投稿させていただいたり、イギリスの大学で発表させていただいたりしながら、分野も国籍も異なる研究者の方々からいただいたフィードバックをもとに議論を深めようとしました。

専門分野が異なる研究者から、英語で容赦なく批判されることもあり、しんどい思いもしましたが、日本国内ではなかなか得られない有意義な視点に触れることができ、大きな刺激となり、良い学びの機会にもなりました。

問4 章ごとに個別の料理を紹介する叙述の方法が、本書の内容をわかりやすく、魅力的にしていると思います。ただ、第2章で取り上げた「ジンギスカン」は、中華料理と結びつかないのですが、当初は中華料理(あるいは「支那料理」)として紹介されたのでしょうか。

(岩間)ジンギスカンについては、ゼミの学生からも、なぜ東アジア史の研究に必要なのかと尋ねられたことがありますが、実は1940年代頃までは完全に中華料理として認識されていました。ところが、1950年代に餃子と並んで全国的に普及し始めると、そのルーツはしだいに忘れられていきました。

数ある中華料理のなかでも、ジンギスカンほどドラマチックな経歴をもつ料理は珍しく、もし人物だったら映画の主人公になっていたかもしれません。20世紀初頭の北京で、日本人が羊肉の炙り焼きに「成吉思汗」(ジンギスカン)という勇ましい名前を付けたことによって、この料理の運命は大きく変わりました。のちに満洲国の名物料理とされ、日本陸軍によって戦意高揚のための宣伝にも利用されました。

現在では、北海道の郷土料理として親しまれ、北海道遺産にも認定されています。時代や地域によって意味づけが大きく変わってきた料理の一例として、ジンギスカンはとても象徴的な存在だと思います。

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