Commentary
著者に聞く④――小栗宏太さん
『香港残響』(東京外国語大学出版会、2024年8月刊)

中国学.comでは、現代中国および中国語圏の研究者の中から、近年注目すべき著作を出版された著者にインタビューを行います。今回は現代香港のポピュラー文化の専門家で、『香港残響』の著者である小栗宏太さんにお話を伺いました。
問1 そもそもなぜ現代香港に興味を持たれたのでしょうか。また本書の着想を得たきっかけを教えていただけますか。
(小栗)香港に興味を持ったもともとのきっかけは、親戚が駐在で住んでいたことです。その親戚を頼り、返還翌年の1998年に家族と一緒に初めて香港を訪問しました。まだ子供でしたし、研究なんてもちろん考えてもいませんでしたが、その後大学に入って国際関係を学び、修士課程に進んで、研究対象となる地域を決めようという時にふと香港のことを思い出し、再訪しました。それが2014年の夏のことで、今から考えれば「雨傘運動」の起こる直前です。

大人になってから訪問してみて特に印象に残ったのは、香港現地の人々が並々ならぬ情熱を持って自分たちの社会について語っていたことです。政治的な動きもそうですが、それだけではなくて、香港名物のミルクティーはどこの店がいちばんうまいとか、このニュータウンにはこんな思い出があってとか、この広東語ポップスの歌手が好きだったとか、そんなことが盛んに論じられている。そういった話題は、香港の人々にとっては「あるあるネタ」みたいなものですが、部外者の私には何のことだかわからない。だから自分も香港の文化をしっかり学んで、話についていけるようになりたいと思いました。

本書の着想を得たきっかけは、2019年6月から大きな抗議運動に発展した「逃亡犯条例」改正をめぐる問題です。この運動は、もちろん政治上、法律上の問題を直接の争点としていたわけですが、よくよく観察していると、自分が学んできた「香港あるある」、つまりミルクティーやら、ニュータウンやら、広東語ポップスやらといったトピックがさまざまな場面で話題になっていた。なので、そういったポピュラー文化の側面から、近年の香港社会の動きを論じたいと思いました。
問2 『香港残響』というタイトルについて伺います。この「残響」とは何を指すのでしょうか。また、「残響」というキーワードに込めた本書の狙いは何でしょうか。
(小栗)「残響」の語は、直接的にはヤエル・ナヴァロというトルコの人類学者が用いた「reverberations」という概念の訳語として用いています(Navaro, Yael, Zerrin Özlem Biner, Alice von Bieberstein, and Seda Altuğ eds. 2021. Reverberations: Violence across Time and Space. Philadelphia: University of Pennsylvania Press.)。ナヴァロは、大規模な暴力の行使が社会に及ぼす長期的な影響という意味でこの語を用いていました。個人間での暴力にせよ、戦争や虐殺などの集合的な暴力にせよ、行為としての暴力の行使そのものは、比較的短期間で終わります。でもその影響は、長期間にわたって広範に残ることになる。それを表したのがこの「reverberations」という概念です。

この概念を、香港の事例を語るのに用いた理由は、雨傘運動にせよ2019年の抗議運動にせよ、香港の近年の動向は、断続的な政治危機を中心に語られてきた印象があるからです。そういった政治危機は、いつか終息します。しかし終息したあとにも、その影響は長く残っていくはずです。目立つ出来事を中心に「いついつこういう政治運動が起きた」というタイムラインを語るのではなく、たとえば歌手や商業施設や飲み物をめぐる人々の思い出のような、地味だけれど継続的な影響の積み重ねから現代香港を語りたいという思いをこのタイトルに込めました。
また日本語としての残響は、演奏された音が止まったあと、空間内に反響して残る音を指します。政治危機の最中には、報道などを通じて、さまざまな声が日本でも紹介されます。ただ、それもいつかは止まってしまう。「演奏」が終わったからといって、ただちに沈黙が訪れるわけではない。耳を澄ませば、聴こえるものもある、そんな比喩的な意味も意識したタイトルです。
問3 執筆に当たって、特に苦労したことは何でしょうか。また、それをどのように克服されたのでしょうか。

(小栗)リアルタイムに進行中の出来事を対象にしていたので、執筆中、編集中にも状況が刻一刻と変わっていきました。なので、それに対応した書き換えを行ったりして、最後の最後まで調整が大変でした。また、各章のもとになった論文の執筆自体も、もともとまとまった構想があって各論を書いたというよりは、その時々の情勢を受けて、必要に応じて書いていったものなので、全体をまとめる大きな枠組みを構想するのが大変でした。最終的にスッキリ収まった感覚がしたのは、先ほど述べた「残響」概念に辿(たど)り着いた時だったように思います。
克服したという感じではないですが、一見バラバラに見える文章も、やはり同じ人間が何らかの共通する関心に基づいて書いているわけで、ちゃんと考えれば共通する要素やテーマは見出せるものだな、と思いました。研究をする時はテーマや問題意識をはっきり決めろ、と言われるものですが(私も指導教授や先輩方からはそう言われてはいましたが)、自分の中で一貫した関心に基づいていれば、意外と筋は通ってくるものだなと…。こんな行き当たりばったりなやり方、おすすめはできませんが、もしテーマが見つからずに悩んでいる後輩研究者がいたら、まず関心のあることに取り組んでみれば案外あとから見えてくるものもあるよ、と伝えたいです。
問4 関連して、特に参考にした先行研究はありますでしょうか。
(小栗)本書の後半で重要な概念として用いているのは、フランスの社会学者のアルヴァックスの「集合的記憶」です(モーリス・アルヴァックス『集合的記憶』小関藤一郎訳、行路社、1989年)。ただ、私自身がこの概念を重要な分析概念として選択的に用いたわけではないです。この言葉の中国語訳である「集體回憶」という言葉が、もともと2000年代後半以降の香港で、流行語になっていたんです。つまり香港の人々自身が選んだ、現代香港を語るためのキーワードというか…。
全体に本書では、私自身が何らかの理論や概念を選択して香港の事象に適用するのではなく、香港の人々自身が用いている理論や概念を記述しよう、と試みています。その着想のきっかけになったのが、フランスの人類学者であるラトゥールが書いた『社会的なものを組み直す』という本です(ブリュノ・ラトゥール『社会的なものを組み直す:アクターネットワーク理論入門』、伊藤嘉高訳、法政大学出版会、2019年)。この本はいわゆる「アクター=ネットワーク理論」の入門書として書かれたもので、その内容は多岐にわたるのですが、私が特に影響を受けたのは、観察者や研究者だけが「概念」や「理論」を用いる特権を持つわけではないと指摘している箇所です。彼は「アクター」(ラトゥール独自の概念ですが、ここではほぼ当事者のことだと考えていいかと思います)自身も、自分自身の置かれた状況について語る「メタ言語」ないし「形而上学」を持っている、と指摘しています。つまり学者が分析する前に、当事者自身も分析を行っているということです。
外部からの基準を用いる前にアクター(の分析)を追いかけるべきだ、とラトゥールは語っています。これは、そもそも香港の人々が語る「あるある」を理解したいと思っていた私の関心にも合致しました。本書では、特定の事象に対して私自身が分析を行うこと以上に、香港内において発表された研究や評論などを通じて、まずそれが香港においてどのように語られているかを整理することに力点を置いています。
問5 都市の文化を扱った現代香港研究は数多くありますが、郊外(ニュータウン)を取り上げた第3章や、香港式ミルクティーを扱った第4章は新しい切り口だと感じました。今のお話を伺っても、何気ない日常への着目は、小栗さんのもう一つのバックグラウンドである文化人類学との関連を連想させますね。
(小栗)そうですね。テーマ選びの点でも、私自身が語りたいものを選ぶというよりは、香港の人々自身が語りたがっていそうなものを選ぶ、という視点を貫いたつもりです。なので結果として、これまでの切り口とは異なるテーマになったのかなと思います。おっしゃる通り、文化人類学の影響もあります。先ほど言及したラトゥールの「アクターを追え」という原則も、元来は文化人類学が重視してきた「現地人の視点」(native’s point of view)の体得という原則を徹底したものだと思います。

文化人類学のパイオニアの一人であるマリノフスキも「民族誌的調査をする人は、平凡で、単純で、日常的なものと、奇妙で普通ではないものとのあいだに差別をもうけず、対象としての部族文化のあらゆる面に見られる現象を真剣に、冷静な態度で、そのすべてにわたって研究する必要がある」(ブロニスラウ・マリノフスキ『西太平洋の遠洋航海者:メラネシアのニュー・ギニア諸島における、住民たちの事業と冒険の報告』増田義郎訳、講談社学術文庫、2010年、45頁)と語っていますが、私も一見平凡に見える何気ない日常を真剣に見つめながら、研究をしてきたつもりです。
(編集部:質問の関連記事「著者・小栗宏太さんが語る「香港残響 危機の時代のポピュラー文化」」もご参照ください)
問6 率直に申し上げて、今後の香港は対中依存が進み、その独自性が薄れてしまうのではと考えてしまうのですが、それでも変わらない香港の魅力はどこにあるとお考えでしょうか。
(小栗)本書でも芸能界の中国大陸市場依存の事例などを取り上げていますが、香港の経済的な「対中依存」は、ここ数年に始まったことではなく、ずっと前から語られてきた問題です。その上で、香港の独自性や魅力とは何なのか、そしてどのようにすればそれを守ることができるのかを、私たち学者以上に現地の人々自身が考え、実践してきています。それはこれからも変わらないのではないかと思います。実際、政治情勢が大きく変わった2019年以降、香港のローカルな芸能シーンはすごく元気なんですよ。本書の第5章でも取り上げている通り音楽でも新世代のアーティストが多く出てきていますし、映画でもこれまでの興行収入記録を塗り替えるヒット作が次々出ています。

香港の芸能は今がいちばんおもしろい、とすら私は思っていて。これまではそれをどれだけ熱弁してもなかなか伝わらなかったんですが、ちょうど今『九龍城寨之圍城』(邦題:トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦)という香港映画が日本でも上映されて、これまでの香港好き、香港映画好きのコミュニティをこえて、大きな話題になっていますよね。私からすれば「ほら、やっぱりね!」って感じです(笑)。こういう日本でも話題になる映画が出てくるってことは、やっぱり香港ならではの魅力があるからじゃないんですかね。
問7 本書刊行後に取り組んでいるプロジェクトやテーマなどがあれば、教えていただけますか?
(小栗)近頃の香港をめぐっては、「政治」ばかり語られて「文化」があまり語られていないという意識が本書の執筆の動機の一つでもあるのですが、反対に香港の文化が今以上に注目されていた時代を振り返ってみたいと思って、ここのところ1980年代〜1990年代の雑誌記事を集めたり、当時を知る人に話を聞いたりしています。
あとは趣味の延長という感じなんですが、香港のヒップホップシーンについて調べ始めています。昨年『辺境のラッパーたち:立ち上がる「声の民族誌」』(島村一平編、青土社、2024年)という本が出て、中国大陸を含む世界各地のヒップホップをその地域の専門家が論じているんですが、それに刺激を受けて「香港のラッパーだってかっこいいぞ!」と伝えたいと思いまして…。論文にまとめたりするあてはまだないんですが、ひたすら聴きまくっています。
おすすめを聞かれるとありすぎて迷いますが、いちばんおもしろいと思うラッパーはNovel Fergusですね。香港の昔のホラー映画のイメージを取り入れたりしながら、個性あふれるアーティスティックな楽曲〔編集部:Official Music Videoはこちら〕を作っているので、いわゆる王道のヒップホップが苦手な人にもおすすめしたいです。あと最近いちばん聴いているのはYODAというラッパーの『大廈』という曲〔編集部:Official Music Videoはこちら〕です。ストリングス(弓で引く弦楽器)を効果的に用いたドラマチックなトラックにのせて、どことなく社会風刺も感じられる歌詞がラップされていくんですが、とにかく曲としてかっこいいのでぜひ聴いてほしいですね。今年の初めに出たばかりですが、早くも個人的な2025年No.1楽曲候補です。
問8 最後に、この記事をご覧の方に、特に現代香港に興味を持っている学生さん(大学生、大学院生)にメッセージをお願いします。

(小栗)この記事をご覧になってくださっている方全体には、ぜひ香港の文化に興味を持ってくださいと言いたいですね。今がいちばんおもしろいので!音楽でも映画でも何でもいいので、ぜひチェックしてみてほしいです。日本語で手に入る情報がまだまだ少ないのが難点ですが、私もこれから頑張ります。
学生さんについては、香港に関する一見「どうでもよさそう」なことに関心を抱く人が増えてくれるとうれしいですね。研究テーマを選ぶ時って、そのテーマが学術的に重要かどうかとかそういう真面目な基準で考えがちですが、私たちの目の前の世界は、目まぐるしく変わっていくわけです。だから将来的にどんなテーマが重要になるかなんて、どんな偉い先生にも正確にはわからないはずです。私自身も歌やミルクティーを通じて香港情勢を論じることになるなんて、思ってもみませんでした。だから狭い価値観にとらわれずに、幅広い事象から香港なり何なり自分の研究対象を見ていってほしいと思います。
小栗さん、ありがとうございました。この記事をご覧になって、現代香港文化の現在位置に興味を持たれた方は、ぜひ『香港残響』を手に取ってみてください。