Commentary
著者に聞く④――小栗宏太さん
『香港残響』(東京外国語大学出版会、2024年8月刊)


この概念を、香港の事例を語るのに用いた理由は、雨傘運動にせよ2019年の抗議運動にせよ、香港の近年の動向は、断続的な政治危機を中心に語られてきた印象があるからです。そういった政治危機は、いつか終息します。しかし終息したあとにも、その影響は長く残っていくはずです。目立つ出来事を中心に「いついつこういう政治運動が起きた」というタイムラインを語るのではなく、たとえば歌手や商業施設や飲み物をめぐる人々の思い出のような、地味だけれど継続的な影響の積み重ねから現代香港を語りたいという思いをこのタイトルに込めました。
また日本語としての残響は、演奏された音が止まったあと、空間内に反響して残る音を指します。政治危機の最中には、報道などを通じて、さまざまな声が日本でも紹介されます。ただ、それもいつかは止まってしまう。「演奏」が終わったからといって、ただちに沈黙が訪れるわけではない。耳を澄ませば、聴こえるものもある、そんな比喩的な意味も意識したタイトルです。
問3 執筆に当たって、特に苦労したことは何でしょうか。また、それをどのように克服されたのでしょうか。

(小栗)リアルタイムに進行中の出来事を対象にしていたので、執筆中、編集中にも状況が刻一刻と変わっていきました。なので、それに対応した書き換えを行ったりして、最後の最後まで調整が大変でした。また、各章のもとになった論文の執筆自体も、もともとまとまった構想があって各論を書いたというよりは、その時々の情勢を受けて、必要に応じて書いていったものなので、全体をまとめる大きな枠組みを構想するのが大変でした。最終的にスッキリ収まった感覚がしたのは、先ほど述べた「残響」概念に辿(たど)り着いた時だったように思います。
克服したという感じではないですが、一見バラバラに見える文章も、やはり同じ人間が何らかの共通する関心に基づいて書いているわけで、ちゃんと考えれば共通する要素やテーマは見出せるものだな、と思いました。研究をする時はテーマや問題意識をはっきり決めろ、と言われるものですが(私も指導教授や先輩方からはそう言われてはいましたが)、自分の中で一貫した関心に基づいていれば、意外と筋は通ってくるものだなと…。こんな行き当たりばったりなやり方、おすすめはできませんが、もしテーマが見つからずに悩んでいる後輩研究者がいたら、まず関心のあることに取り組んでみれば案外あとから見えてくるものもあるよ、と伝えたいです。
問4 関連して、特に参考にした先行研究はありますでしょうか。
(小栗)本書の後半で重要な概念として用いているのは、フランスの社会学者のアルヴァックスの「集合的記憶」です(モーリス・アルヴァックス『集合的記憶』小関藤一郎訳、行路社、1989年)。ただ、私自身がこの概念を重要な分析概念として選択的に用いたわけではないです。この言葉の中国語訳である「集體回憶」という言葉が、もともと2000年代後半以降の香港で、流行語になっていたんです。つまり香港の人々自身が選んだ、現代香港を語るためのキーワードというか…。