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Commentary

著者に聞く④――小栗宏太さん
『香港残響』(東京外国語大学出版会、2024年8月刊)

小栗宏太
文化人類学者
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狭い価値観にとらわれずに、幅広い事象から香港なり何なり自分の研究対象を見ていってほしい、と著者は力強く語る。写真は嘉頓山から見下ろす香港の街並み。2025年3月6日著者撮影。
狭い価値観にとらわれずに、幅広い事象から香港なり何なり自分の研究対象を見ていってほしい、と著者は力強く語る。写真は嘉頓山から見下ろす香港の街並み。2025年3月6日著者撮影。

中国学.comでは、現代中国および中国語圏の研究者の中から、近年注目すべき著作を出版された著者にインタビューを行います。今回は現代香港のポピュラー文化の専門家で、『香港残響』の著者である小栗宏太さんにお話を伺いました。

問1 そもそもなぜ現代香港に興味を持たれたのでしょうか。また本書の着想を得たきっかけを教えていただけますか。

(小栗)香港に興味を持ったもともとのきっかけは、親戚が駐在で住んでいたことです。その親戚を頼り、返還翌年の1998年に家族と一緒に初めて香港を訪問しました。まだ子供でしたし、研究なんてもちろん考えてもいませんでしたが、その後大学に入って国際関係を学び、修士課程に進んで、研究対象となる地域を決めようという時にふと香港のことを思い出し、再訪しました。それが2014年の夏のことで、今から考えれば「雨傘運動」の起こる直前です。

写真1 香港のミルクティー。2017年9月17日撮影。以下、撮影者は全て著者。
写真1 香港のミルクティー。2017年9月17日撮影。以下、撮影者は全て著者。

大人になってから訪問してみて特に印象に残ったのは、香港現地の人々が並々ならぬ情熱を持って自分たちの社会について語っていたことです。政治的な動きもそうですが、それだけではなくて、香港名物のミルクティーはどこの店がいちばんうまいとか、このニュータウンにはこんな思い出があってとか、この広東語ポップスの歌手が好きだったとか、そんなことが盛んに論じられている。そういった話題は、香港の人々にとっては「あるあるネタ」みたいなものですが、部外者の私には何のことだかわからない。だから自分も香港の文化をしっかり学んで、話についていけるようになりたいと思いました。

写真2 香港島の山頂からヴィクトリア湾を望む。2017年9月9日撮影。
写真2 香港島の山頂からヴィクトリア湾を望む。2017年9月9日撮影。

本書の着想を得たきっかけは、2019年6月から大きな抗議運動に発展した「逃亡犯条例」改正をめぐる問題です。この運動は、もちろん政治上、法律上の問題を直接の争点としていたわけですが、よくよく観察していると、自分が学んできた「香港あるある」、つまりミルクティーやら、ニュータウンやら、広東語ポップスやらといったトピックがさまざまな場面で話題になっていた。なので、そういったポピュラー文化の側面から、近年の香港社会の動きを論じたいと思いました。

問2 『香港残響』というタイトルについて伺います。この「残響」とは何を指すのでしょうか。また、「残響」というキーワードに込めた本書の狙いは何でしょうか。

(小栗)「残響」の語は、直接的にはヤエル・ナヴァロというトルコの人類学者が用いた「reverberations」という概念の訳語として用いています(Navaro, Yael, Zerrin Özlem Biner, Alice von Bieberstein, and Seda Altuğ eds. 2021. Reverberations: Violence across Time and Space. Philadelphia: University of Pennsylvania Press.)。ナヴァロは、大規模な暴力の行使が社会に及ぼす長期的な影響という意味でこの語を用いていました。個人間での暴力にせよ、戦争や虐殺などの集合的な暴力にせよ、行為としての暴力の行使そのものは、比較的短期間で終わります。でもその影響は、長期間にわたって広範に残ることになる。それを表したのがこの「reverberations」という概念です。

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