Commentary
著者に聞く②――周俊さん
『中国共産党の神経系』(名古屋大学出版会、2024年6月刊)
研究の着想や方法については、京都大学の石川禎浩先生、慶應義塾大学の高橋伸夫先生、華東師範大学の楊奎松先生から影響を大きく受けています。伝統的な歴史学において権力と富は主な研究対象とされており、ここ数十年、社会史や心性史、記憶史が人気になりつつありますが、空気よりも透明な情報はなかなか気づきにくいものですから、今まであまり研究対象にされませんでした。しかし、1949年以前の革命史の中で情報がどう流れていてそれが共産党の政治的営みにどのような影響を与えたかについて、中国共産党史研究の重鎮である御三方はいずれも論考を発表されたことがあります。諸々の事象がどのような情報環境の中で発生したかという繊細な問題に気づかせてくれた点で大いに啓発を受けました。また、厚いイデオロギー的な修飾膜に覆われている共産党側の一次・二次資料の真意を汲み取るためには、眼光紙背(がんこうしはい)に徹す技法が不可欠ですが、これについて手本を見せてくれたのもこの3名の先生です。
もう一言付け加えると、最新の研究よりも、私は石川忠雄、衛藤瀋吉、竹内実など戦前生まれの学者が著した古典的な研究のほうが好きです。今日の視点から見て資料や実証の側面において問題があるものの、文章の切れ味はなおも健在であると思います。
問5 分析対象・手法について、『内部参考』のような閲覧が難しい資料を扱った章もあれば、地理情報システム(GIS)という斬新な手法を用いた章もあります。これらの多様なアプローチを採用した理由は何でしょうか。
(周)人民共和国成立前後、すなわち1940年代から60年代までを研究対象の時期とする本書は、中国共産党史ないし中国現代史、かつ中国政治史の領域に属する実証研究ですので、文献資料を徹底的に収集し読解することが基本的なやり方です。ただし、個別の事例から一挙に中国全体の事象を説明することを回避する必要もあるため、本書は可能な限り、断片的な歴史資料から有用な数値を取り出し、それをデータ化・可視化することにも努めました。
可視化の手法、すなわちGISのことですが、これまで主に地理学、建築学、環境科学などの分野で活用されてきました。歴史研究あるいは政治研究の分野においてはほとんど利用されていません。共産党の指導者らによる地方視察の足取りを地図上に可視化し、その空間的特徴を分析する本書第6章でGISの技術が大変役に立ちました。
私の知る限り、視察中、ある指導者はいつ、だれと、どのような環境でなにを話したかがわかる二次資料が数多く存在するものの、信憑(しんぴょう)性のある一次資料がほぼありません。政治史でよく使われている言説分析という手法に限界を感じたところ、指導者の空間的な移動情報が詳細に掲載された年譜(ねんぷ)資料はもしかして面白い素材になると考え始めました。ですが、具体的な方法がなかなか思いつきませんでした。GISという奇想天外な策を考案したきっかけは、たまたまある研究会に出席した際、東京大学の中村元哉先生がスピーチの中で「GISは空間情報を地図上に可視化することができる」と言うのをちらっと聞いたことです。「これだ!」と思うものが見つかった瞬間でした。研究というのは、ある意味で偶然の産物です。